2-5
そこには、金髪にサングラスをカチューシャのようにロン毛を纏めた、見るからに軽薄そうな大学生と思しき男性が一人、スタッフとしてスライダーの説明をしていた。何人かのスタッフに紛れてはいるが、スタッフシャツやハーフパンツから見える肌の部分は浅黒く、対照的に真っ白に輝くきれいに生え揃った歯が眩しい。ピンマイクでも付けているのか、彼の声は乗り場の至る所に設置されたスピーカーから聞こえ、否が応にも耳に入ってくる。やがて前に並んだ中学生くらいのグループが滑っていくと、俺と有紀の番が回ってきた。
「は~い、次の方カモ~ン! おぅ! 初々しいカップゥだね!」
俺達を見た瞬間、芸人ばりにオーバーリアクションを取りながら、チャラいスタッフは俺達を後ろに並んだギャラリーに紹介する。いや、そんな事しなくていいから! と心のなかでツッコミを入れながら、俺は有紀を伴って、チューブに座ろうとスライダーの入口に向かうが、有紀は大きな声で紹介されたのが余程恥ずかしかったのか、既に顔が真っ赤になっていた。
「は~い、では彼氏さんは後ろのチューブへシットダウン、はいオケ! しっかりとグリップ握ってくださいねぇ」
中途半端に英語をはさみ、軽い感じで説明するが、そこはちゃんとしているのか、安全面のチェックはきちんとしてくれる。話を聞きながら、チューブの後方に跨ると、結構な水が後ろから流れてくる。きつい水流だなと思いながら、前方を見ると、いきなり下っているのか天井が見えた。
(やべぇ。結構キツそう)
その状況に若干不安になっていると、前に有紀が座ってきた。
「はぁい、プリティな彼女さぁん、もすこし後ろに倒れ気味で……そうそう。大丈夫ですよぅ、彼氏さんがちゃんと支えてくれますからねぇ。全てを委ねる気持ちでオケ~!」
おい! チャラいスタッフ! あんたは一々そういう事を入れないとだめなのか! すげぇハズい事をにこやかに言うな!
「手はこのグリップを、しっかり……はい、気持ちは分かるけど、彼氏の手じゃなく、グリップを握っててねぇ」
スタッフ~~~! このスタッフ~~! 何を言ってるんだ!? チャラい! チャラすぎる! 説明を受ける有紀の顔は見えないが、コレ完全に固まってないか? 後ろから見えるアップにされた髪の隙間から見える耳まで真っ赤になっていて、彼女は微動だにしない。
「おい、有紀、大丈夫か? なぁ……ゆ」
「ハァイ! ではラブシチュエーション! レッツギョ───!」
スタッフ────!!
轟々と言う水流の音に、俺の心の叫びは掻き消され、滑るというより落ちると言った感覚で、視界が一気にブレる。何故かは分からないがチューブの始まりは真っ黒だ。おかげで、落ちる感覚と相まって、そのスピード感はいきなり自分の中で狂ってしまう。時間にして数秒だと思うが、体感はそれどころではない。浮遊感が腹の奥を持ち上げ、脳が無重力を感じた次の瞬間、チューブの色が明るい黄色に変わった。と同時に浮輪に押し付けられる感覚が上半身に掛かる。トップスピードに乗ったかと思われる浮輪はその水流に乗り、右へ左へと滑り出し、目の前で何が起きているのか、もうわからない。
やべぇ! スゲェ! 語彙がねぇ!
ウォータースライダーとはなんぞや! と云う程のスピードで、チューブの中を疾走する。
(こ、こりゃた、たし……かか……に、じぇっと……すっらららいだん!)
最早思考は追いつかず、上下に、左右にパイプはうねり、俺達の乗った浮輪は木の葉のように、右へ左へバウンドを繰り返す。途中透明な部分のチューブを通ると真っ青な空が広がり、まるで空を飛んでいるかのような錯覚に陥っていく。そんな中、ふと前を見ると有紀は声を全く発さずに、ただ振り子のように水流に身を委ね、座っていた。
「有紀! だいじょう、うぷっ!」
水しぶきと振動で、有紀の様子が判り難い。なんとか、身体を起こし、顔を近づけた時だった。アップに纏められていた有紀の髪が解け、眼の前が髪で塞がれる。──やばい! 有紀の様子がおかしい。首をがくりと落とし、そのままこちらに倒れ込んできた有紀は、目を閉じ、口を半開きにして気絶していた。
「おい! 有紀! 大丈夫か!? しっかりしろ! おい──うおっ!」
体を起こし、有紀を揺り動かそうとした瞬間だった。ずっと、チューブ状態だったパイプはその上部がなくなり、真夏の太陽が燦々と俺達を照らした。それは刹那の瞬間、だが確実に訪れた。総てが止まったような感覚と浮遊感。本能的にやばいと感じる。直後、最後の下り坂へとチューブは加速して行く。
「有紀!!」
──何がどうなったのか、直後の記憶は無かった。……ただ、必死な気持ちだけが俺の中に在った事だけは覚えている。
***+***+***+***+***+***
何かが遠くで鳴っている? 人の声? 何かはわからないけど急に遠くで何かが聞こえてくる感じがした。
──う、ううん。……なんか、ぼ~っとする。あれ、私いつ寝たんだっけ?! いたっ? なに?
突然、頭の奥と肘に痛みを感じ、閉じていた目を開ける。途端大きな声が耳元で聴こえ、何だと思って顔をそちらに向けようとする前に、誰かが私を抱きしめる。
「──き! ……ゆき! 有紀! 大丈夫?!」
──ん? 佐知? 何が? あ! 身を起こそうとして、誰かに押し留められる。
「はぁい。いきなり起きては駄目ですよ」
ふと見ると、白衣を着たお姉さんが、にこやかに笑いかけながら、ゆっくりと私を横たわらせてくれた。……此処は? 見廻すと保健室? みたいな。あ、救護所だ。そう思った瞬間、自分がどうしたのかを思い出す。──私、ウオータースライダーで緊張しすぎて固まって……。なんなのあれ? 超怖かったんですけど。しかも、スタッフの人がニヤけながら変なこと言うから余計、意識しちゃったじゃん! あ、それで私、途中で……気絶したんだ。
そんな回想中も、お姉さんはテキパキと私の身体を触ったり、反応を見ながら診察してくれている。
「こうだぁ……。ゆき、おぎたぁ」
いつもはお姉さん気取りの佐知が、柄にもない涙声を出しながら、後ろで健二と一緒にこちらを窺っている康太に話しかける。その言葉を聞きながら、なんとなく気恥ずかしい気持ちになり、上目遣いでそちらを見ると、右腕に包帯を巻いた康太が、こちらを心配そうに話しかけて来た。
「大丈夫か? 何処か痛いとか、変な感じは?」
そう言われて身体を触ってみるが、恐らく、着水した時に転んだのだろう、所々に絆創膏が貼ってあり、擦りむいた感じのひりつき以外、特に違和感はなかった。看護師さんはそんな私の様子を見ながら、手に持ったファイルに何かを書き込んでいる。関節部分や首を動かしてきたりするけれど、特に違和感などは感じない。
「う、うん。擦りむいた? のかな? そこ以外は特には」
「うんうん。聞くところに依ると、頭とかは彼が抱え込んでくれてたようだからねぇ。……でも、出来ることなら病院できちんと検査した方が、いいと思うんだけどね君も。此処じゃ、応急処置しか出来ないからね。特に君はその腕、本当に擦りむいただけ?」
「はい。もう少し此処で休ませてもらって、もし変な感じがしたらそうします」
素直に康太がそう返事をしたので、私も頷いた。
「──了解。貴女はもし、少しでも変な感じがしたら、言ってね。救急車すぐ呼ぶから」
看護師さんはそう言うと、離れていった。
「康太、それ……」
「ん? あぁ、大丈夫。救護師さんが大袈裟に巻いただけ」
「いや、結構血が出てたよ」
今まで空気だった健二が言う。
「ゆぎぃ、こうだ……かっごよがったぁ」
「お前らうるさい。大袈裟にすんなよ。あ、有紀もちょっと痩せろ。おも……ぐえ」
「今のこうだは、ウザい。ズズッ」
「さ、さち離せ。そして鼻をかめ」
──抱え込んで……。そうか、私気絶してそのまま康太に助けられたんだ……。ふと彼の割れた腹筋と、引き締まった胸板が頭を過ぎる。そこを変に想像してしまい、頬が少し赤くなる。不味いと思って、咄嗟に俯こうとするが、私のことを誰も見ていないのか、気付くと三人でぎゃいぎゃい騒いで、看護師さんに注意されていた。そんな情景を見た瞬間、何故だか心の奥が暖かくなって、知らない内に涙が頬を伝っていた。
「ん? どっか痛いのか?」
「違う! てか私そんなデブってないし!」
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