2-2



 時刻は昼の二時を少し過ぎた頃。


 七月の末日、本格的な夏に入り、日差しは容赦なく地上をこれでもかと熱してくれる。土の地面はほぼなく、整然と整備された街並みで、せ返るような湿気。自宅を出て自転車に乗ること数分、住宅街を抜けて、片側三車線の主要道路が走る大きな通りへ出る。それまでは閑静だった住宅の街並みから、まばらでは有るが商業施設が立ち並び、低いながらもビルが幾つか建っている。この道を真っ直ぐ北上すると最寄り駅へと続いており、ロータリーを介して何本かの同じ様な枝道へと別れている。因みにこの道を南下すると、幹線道路へと合流し、その先にはすぐ高速道路の出入り口が所在していた。


 俺は主要道路を駅方向に向かってハンドルを切ると、自転車用に色付けされた歩道を、ギアを変速して登っていく。この街は少し山の手に造成されている。極端ではないがそれなりに傾斜がついた土地が多いのだ。やがてその道を進んでいると幾つかの枝分かれした場所が現れ、そのうちの一本に入って行く。すると目的地はすぐに見えた。全国チェーン展開されている、所謂ファミリーレストラン。喫茶店や某有名カフェ等とは違い、ここには何と言ってもドリンクバーが存在する。小遣い制度で生きる学生にとって、それはまるで救世主のような存在だ。確かにバーガーショップも有りだろうが、あそこはあくまで食事が前提となる。しかし、ファミレスはドリンクバーを頼めば、ファストフード店等とは比べようもない程の、ゆったりしたソファタイプの椅子に座ってゆっくり出来る。


 俺達のような大人寸前とも言える少年少女にとって、ここは正にうってつけのたまり場だった。



 約束の時間を十分は過ぎた頃に店へと到着した。自動ドアを潜ると店員さんが人数を聞いてきたが、待ち合わせだと断り、中を見回すこと数秒。件の男は俺を見つけて、席を立って声を出しながら手を振っていた。


「──バックレて、ごめんなさい」

「もういいって。──昨日も言ったじゃん。それよりもはい、これ」


 何度も繰り返し謝る健二に、若干辟易しながら、薄っぺらい茶封筒を手渡す。その封筒にもちゃんと「給与」の文字が入っている。健二はキョトンとした顔でそれを受け取り、文字を読んで更に疑問に思ったのか、その部分を見せながら俺に聞いてきた。


「康太……なにこれ?」

「一日だったけど働いたんだから、その分はきちんと払うってさ。──親方に感謝しろよ」


 俺がそう言いながら、注文用の小さな呼び出しボタンを押すと、矢庭やにわに席を立った健二が豪語する。


「康太! ここは俺の全奢りだ! 好きに頼め!……そして親方さん有難うございます!」

「……はぁ~」

「どしたの? 何でいきなり溜息つくの?」

「……俺は別にファミレスで、食べ放題なんてしたくねぇよ」

「んなこと言うなよう。……それにちゃんといい話も持ってきたんだから!」


 ──お前のそれは信じられるか! と心の中で叫ぶ、優しい俺。そんな事を思われてるとは全く思っていない健二は、更にドヤ顔で横に置いたリュックから、何かを取り出し、俺の眼前へと突き出してきた。


「フフフ……はい、これ」


 それは、所謂優待券というものだった。この街から電車で何駅か向こうに有る、去年完成した、総合複合施設。映画館や小さな水族館、メインとなるのは大きなアウトレットモールらしいのだが、夏の目玉としてリゾートプールが在った。そこも元はと言えば、俺達の住む街と似たようなベッドタウンだったが、ここより更に山側にあった為、急速に過疎化が進んでしまった。その土地を有効活用するために第三セクターが組まれ、住宅地としての利用ではなく、観光地側へと大胆な方向転換を行ったのだ。宅地は整理され、面積を大幅に変更して別荘地として生まれ変わらせ、商業施設や、大型ホテルの誘致に成功し、今話題になっている場所でも有る。健二が見せつけてきたのはその中にあるプールの優待券だった。一枚で何名かまでが無料となる。


「ここに、康太くん含め、四名様ご招待します!」


「──いや、今、俺達二人しか居ないじゃん。他に誰を呼ぶんだ? 大橋とか真鍋辺りか?」


 四人と言われて頭に浮かんだのは、哀しいかな、やはり男友達だけだった。だが健二は俺のそんな言葉に、ただ首を振って宣言する。


「……今回お呼びした残る二名様は。──じょしです!!」



 ──なん……だと?!



「……あのぉ、ご注文は?」

「「……え?」」


 俺達がつまらない小芝居をしている間、店員さんはずっと待ってくれていたんだろう。ものすっごい冷めた目で、そう言われた瞬間、俺達は二人共、ソファタイプの椅子に乗り上げ、がっしりと握手を交わしていた。




***+***+***+***+***




 月が変わって、これからが本番と言わんばかりの太陽光が、容赦なくコンクリートに降り注ぎ、日傘レディに照り返し光線を浴びせまくっておられる。かくいう俺もその被害を絶賛被っており、ベージュのハーフパンツに黒のタンクトップ、上に羽織った白い半袖シャツは、既にじっとり汗ばんでいるが。今日だけは許す! 許せるのだ!


 健二とのファミレスで創ってしまった暗黒歴史……。その日は永遠に二人の秘密として記憶の彼方に封印してから、四日後の今日。あの地獄のオッサン物語を乗り越え、俺の努力は報われる!


 そうなのだ。あの日凍えるような、侮蔑の視線にさらされながら、注文してしまった手前、コソコソ隠れるようにしながら、健二に聞いた所よると、アイツ自身もバックレてしまったバイトの代わりを何とかしなきゃと思い、頑張って近くの新聞配達をしたらしい。そして本来ならば、販促に使われるプールの無料券をゲットしたらしいのだ。それだけでも良くやったと褒めてやるのだが、俺に対して引け目があった彼は、なんと必死にそれを女子に渡して、ダブルデートに持ち込んだらしい。


 あの健二にしてはやるではないかと見直したので、結局ドリンクバー飲み放題で許してやった。


「……康太、テンション高いっすねぇ」


「──フッ。当たり前ではないかね、健二君。俺達は今日、この日の為に生きて来たのではないのか? そうじゃなきゃ俺の夏物語は、オッサンとの奴隷暗黒時代になって封印しないと、やべぇ黒歴史になるとこだったんだからな」


 俺のそんな苦渋に満ちた、苦々しい顔を眺めながらも、健二は何故かテンションが、上りきっていない。


「──なんだよ。お前が呼んでくれたんだろ? なんでそんなにテンション低いんだよ……まさか、おまえ、俺をだまし──」

「なわけないじゃん!! ちゃんと呼んだし、OKももらってるから! ……もう近くまで来てるってラインも来てるし」


 慌てて健二は俺にスマホを見せながら、否定してきた後、すぐに話題を変えてくる。


「そ、それにここのプール! 知ってるだろ。スーパージェットスライダー!」


当然その事は俺も知っている。何しろここは第三セクターが造った肝入の施設の一つ。箱物は国の豊富な予算が使われ、中の施設は国内有数のレジャー施設がこれでもかと、有名な設計者を使って造られた場所。メインはアウトレットモールだが、その周りには映画館や、水族館にイベントホール。スーパー銭湯にこのプール施設と、一日では先ず周れない程、何でも揃っているのだ。中でもプール施設は豪華で、波が起きる造波プール、施設をぐるりと廻る周遊プールなど、様々な工夫が施され、目玉は何と言っても国内最大級と言われるウオータースライダーだ。高低差は三十メートルを超え、全長は何と三百メートルを優に超える。チューブ型になったそのコースは二人乗りのチューブ浮き輪に座り、絶叫コースターもかくやと思わせる、スピードとスリルが味わえると、テレビで紹介されるほど。


 そして人気の理由はもう一つ。そう! このチューブ浮き輪は二人乗りなのだ! デートにコレほどの場所があろうか! 吊り橋効果満点じゃないか! おおっと。またテンションが上って来てしまった。意味もなく拳を振り上げそうになった俺を、引き止めるように健二が言う。


「あ! お~~い! こっちこっち!」


 

 ──あぁ! やっと始まる俺のホントのアオハル! 甘くて苦い、恋の始まりが、今ここに。高鳴る胸と期待のままに、健二の視線を追いかけた──。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る