出逢い
はじまり
1-1
都会とは言い切れない政令指定都市に有るこの街で、道路脇には整備された人工の自然が青々と茂っている。舗装路の脇にある街路樹では、今生の世を全うしようと、七年もの永き歳月を地中という世界で暮らした強者達が、限定的な自然の中で大合唱のコンサート中だ。
そんな彼等の旋律を、耳に五月蝿く感じながら、陽の光をまともに受ける我が身。──それにしても本当に暑い。さっきから汗が止まらない、と言うか滝汗状態だ。
何故この真夏の炎天下、照り返しのアスファルトからの輻射熱にまで耐えながら、人生でただ一度きりとされる、青い春真っ只中の高校二年の夏休みを俺はこんな所で費やしているのか。高校生で遊べるのは今年までだ、年が明ければ、否が応でも受験地獄になる。──だから! 割のいいバイトって聞いたから! 荷物運びのお気楽バイトだって。
(健二のやつ、二日目でバックレやがって。お前の持ってきた話だろうが!)
俺は滝のように流れる汗を、一度絞ったタオルで拭う。今絞ったばかりのソレはすぐに汗を吸い、またじっとりと湿っていく。
「今年はまた一段と暑いな」
そんな俺とは対照的に、親方は手拭いで流れる汗を、涼し気な顔で拭きながら、トラックの後部に積み込まれたエアコンを降ろしていた。
「おーい康太、台車を持ってきてくれ」
(クソっ! 健二のヤツ逃げやがって! 何がお気楽だ! 朝から夜まで延々筋トレじゃねえか!)
──ソレは家庭用エアコン取付工事の荷運びバイトだった。
毎年夏になると何故かエアコンが爆発的に売れる。本来エアコンというものは年中使えるものなのに、イメージとして季節商品扱いの感じがする。コマーシャルでも夏に多くの新型が出るみたいだし。それを親方に聞くと、なんと昔は冷房だけの『クーラー』という物が存在したと聞かされた。『エアコン』と言う名は当然略語で正式名称は『エア・コンディショナー』という物だ。これには空気の温度や湿度を調節するという意味が有り、冷房、暖房、除湿と言った様々な機能が備わっている。しかし、この日本で当初発売されたものは『クーラー』と呼ばれた。その理由は、こちらの商品には冷房機能しか無かったそうだ。クーラー。意味もそのままズバリ『冷やす』。そしてこれらが先行して発売されていたために、一般家庭に普及し、季節商品としての認知度が高くなったらしい。これらは昭和の高度成長期の時代に一気に普及したので、すぐ暖房や除湿といった機能も追加した機種が作られ、『ルームエアコン』と名を変えたらしいのだが、今もそれがごっちゃになって残っているそうだ。
そういった時代背景も有り、エアコンは夏になると自然と売れるようになる。どうやら使用頻度の違いも有るらしく、冬に暖房を使って壊れても、他の手段が存在するからだ。言われてみれば、ストーブ、炬燵にカーペットなど、代替するものが存在する暖房器具と違って、夏に部屋を冷やすのはエアコン一択だ。扇風機で局所的に風を送れても、冷やすという事は出来ない。そのせいで夏にエアコンが壊れると即購入となる訳だ。そうして夏にエアコンは爆売れし、結果として過密スケジュールになり、職人さんは大忙しになる。
実のところ、家庭用エアコンの取付作業は手慣れた職人さんなら独りで出来る。だが荷物が多いのと、作業時に養生等、煩雑な作業が結構ある。だから最低二人で分業しながら職人二人で廻るのだが、職人が一人になり、代わりに手元に簡単な作業バイトを連れて行く事によって補うことも出来る。そうすると簡単に職人が増え、効率が上がる。バイト分の結構高い給料を差引いても充分賄えるらしい。今回は日当一万二千円なのだ!
だが、やはり上手い話には裏がある。
いくら荷運びや、軽作業の手伝いとはいえ、本来職人さん二人で行っているのだ。エアコンの室外機一台で軽く四十キロはある。一介の高校生にはキツイなんてものじゃない! 現場が一軒家ならまだいい。エレベータのあるマンションもまだ助かる。……だが、低層団地や、五階建てマンション、テメエは駄目だ。何故ならそこには階段という苦行しか存在しない、故に確実に死ねる。──主に俺が。
「──うた……い。おい! 康太!!」
突然耳元に、大きな銅鑼声が響いて来た。慌てて振り返りながら返事をしようとした瞬間に、容赦のない拳骨が落とされた。
「いだいっ!!」
「だ・い・しゃ・!」
「──あ、すいません! はい!」
慌てて台車を後部に持っていく。
「ボーッとしてると、熱中症になるぞ。ほれ! チャキチャキ行く!」
「はい、スイマセン!」
(はぁ~俺も逃げたい)
◇ ◇ ◇
──佐藤康太。 十七歳 高校二年 彼女いない歴同年。
──坂田健二。 十七歳 俺の腐れ縁的親友っぽい奴。以下同上。
そもそも今回の事は、夏休みも差迫った期末テスト前まで遡る。六月も中旬を過ぎ、既に夏服に変わった制服のシャツがじっとりして気持ち悪くなっている教室内で俺は、窓側の席からボーっと校庭の隅に有る植え込みでキャッキャ、キャッキャとはしゃいでいる女子下級生を眺めていた。下心はまったくない。ただ動いているものに目線が向いただけだと自己弁護しておく。
「ぬぁああ、なんでこの公式はこんななの? わかんねえよ! 無理じゃん! 俺の人生にこの公式はいつ使うんだあ!」
ふと俺の右斜め前に座った男が頭を掻き毟るような仕草で、大声を上げて喚き出す。一瞬何事かと教室に居た連中が彼を見やるが、いつもの事だと納得して、完全スルーを決め込んでいく。された彼も別に誰かに聞いて欲しかった訳ではないのだろう。それだけ言うと、パタンと顔を机に突っ伏し、小声でぶつぶつ呪詛を吐き始めた。
うんうん。健二くんや、俺もそこは同意だ! だが俺はちゃあんと覚えているのだよ。君とは地頭が違うのだよ地頭が。……君は補習決定かもね。彼の泣き言に対し、日々研鑽を重ねてきた俺は、そんな感想を頭の中で言いながら、視線を校庭に向けたまま、鼻でせせら笑ってやった。
「──フッ」
「康太。キモいよそれ」
「!!」
「まぁいいや。それはこっちに置いといて──」
「いや! 良くはないだろ! キモイてところは置いておくなよ!」
「それより大事な話があんだよ。」
──は? なんだって? それ? コイツ俺のアイデンティティを、それ扱いしたのか!? いいだろう、ならば戦争だ。大体コイツはいつもそうだ、何でもかんでも中途半端に物事をとっ散らかす。おかげで何度も何度も、俺は尻拭いをしてきた。だが! もう知らん! 二度と尻拭いなどしてやるもんか! と、想いを新たにしていると、健二は
「そっちのがキモいぞ。寄るなよ暑苦しい」
それでも健二はニヤつきながら、こう続けた。
「見つけたんだよ! 短期! 高日当! しかも近所!」
何故健二がそこまでニヤついてドヤって来るのか。それは俺達にとって切実な理由が存在したためだった。「彼女いない歴=年齢」今時の高校生でありながら、女性との交際経験が全くない俺達は、この狭い高校生社会の中でカースト下位に存在している。性行為自体がシたいと言う訳では無い。──いや、それは嘘だ。健全な肉体を持つ高校生であり、異性に多大な興味は当然ながら持っている。だがそこに直結している訳では無い。まずは恋愛というものがしたいのだ! 心がウキウキムズムズするような、甘くて苦い恋がしてみたいのだ! この思いは恐らく十代の者達が罹る一種の病気の様な物。女子に至ってはもう小学生でそうなっている。余程のことがない限り、皆、必ず一度は通る道。
にも関わらず──。俺達にはその兆候すら現れない。……これは非常に不味い。いくら、ちゃらんぽらんな俺達でも、流石に来年にも同じ様な事をするなんて出来ない。そう、来年になれば受験生になるからだ。だから今年こそはと意気込んでいたが……。未だその運命の人の影すら見えていない。ならばどうするかと二人でない知恵を絞りきった末に出た答がこれだった。
──金に物を言わせよう!
安直だと言うなかれ。下衆だと笑わないで欲しい。何故こんな事になってしまったか、考えてみて欲しい。「彼女居ない歴=年齢」の俺達に持てる武器は何なのか!? 顔はどこをどう見てもフツメン。身長だって日本人高校生の、平均身長である百七十センチになんとか届く程度。足が長いわけでもなく、飛び抜けた才能もない。俗に言う【ザ・モブ】なのだ。そんな、百人いれば九十九人に埋もれる俺達が、運命の人を見いだせる、たった一つのリアルな方法。それこそがマネー! リアルへの課金だったのだ。そうして考えた結果、バイトで軍資金を貯める事に決めた。
しかし夏休み自体をバイトで潰したら意味がないので、短期間でできる限りをと思い、探していたがそう簡単には無く、半ば諦めかけていた。そんな中で健二の言った条件は正に俺達にとって、救世主以外の何物でもなかった。──ヨシヨシ、ならばさっきの事はそれ程度にしといてやろう。
「マ?! どれ?」
「ほら、これ。」
そう言って健二が見せてきた募集画面の紹介文にはこう書かれていた。
[若い人歓迎! 単純な軽作業と簡単な荷運びです! 短期! その日払いOK!]
──そしてバイトが始まって二週間。……確かに短期です。確かに軽作業と荷物運びです。……朝六時から夜七時までだけど。今時奴隷かよ! と叫びそうになった。
いや、魂は叫んでいた。
純情高校生の夏休み。俺の夏物語は、このおっさんと紡ぐのか。
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