#1 蛹になれない私
目の前ではバスぐらいある芋虫が、ただ一心に足元たる葉を食べている。
「キミはいいね。」
芋虫は聞かない。聞く耳などある筈がないというのは揚羽 結衣にも判っている。でも、いや、だからこそ話しかけるのを止めない。
「だって、キミはやがて蛹になって、それから蝶になって空を舞う。でも、私は……」
青虫を静かに撫で、空を見上げる。上を遮る葉の向こう側は、蝶になって飛んでいくには丁度いい青空。
「紋白蝶の姿が美しすぎて……私は……どうすれはいい……。」
その時、リズミカルな地鳴りと振動が始まり、場違いな結衣さん~!の呑気な声が聞こえて来た。
驚きはない。慣れたものだ。魔術で位置を知らせて私は立っている広大な葉の上で「それ」が聳え立つ緑の壁を掻き分けてるのを待つ。やがて、周りの枝葉がしなり、揺れる。緑の足元もそれと一緒に激しく上下する。それから、私は視界一杯を埋め尽くす顔に笑みを返した。
「結衣さん、探しましたよ。」
視界一杯広がる顔にうん、ごめん。と謝る。その全体像すら捉えられない巨大な存在に結衣は特段驚いた様子はない。何故なら彼女、大槌 あいは高校に入って以来の友達だからだ。
「そんな大きさなら、鳥とかに食べられちゃいますよ。」
結衣から見れば電車ぐらいある指を使って嘴の動作。
「いいかも……」
結衣の独り言にあいは「え?」と聞くも、いや、何でもない。と結衣ははぐらかした。
「で、何してたんですか?こんなところで?」
「見ての通り、この子をまた……。」
指差す向こうにはこちらなどお構いなしに葉を食べ続ける芋虫がいた。そんなの見て何が面白いんですか?というあいに結衣は「いつか蝶になるから。」と返す。単純な昆虫観察ではない様だとあいは思ったが、よく分からない以上、このことは深入りしないことにした。
「じゃあ、ほら、一緒に帰りますよ。だから、元に戻って……。」
結衣は縮小魔法を解除する。足元の葉が広大な大地から薄っぺらい厚紙みたいな頼りないものに変わり、あいの手も、広大な大地ではなく、寝転ぶのにやっとの大きさになる。身長おおよそ13センチ、フェアリーとしては普通の大きさだ。
「じゃあ行きましょう。結衣さん。世界史のテスト、赤点だけは避けたいので……。」
「オッケー、じゃあ近くのバーガー屋で。」
ポケットに潜り込む結衣に「ええ。」と答えるあいは二人分のカバンを自転車の籠に詰めて、それから走り出した。
その後、店は生憎満員だったため、二人は結衣の家に行く事になった。
初めて訪れる結衣の家、戦後普及した魔術インフラが整った集合住宅だ。部屋は家族用だったので、ご家族は?と結衣が聞くと結衣は母は死んでしまって、父親は精神病院に入っているから一人だと言った。
部屋の奥にはテレビが鎮座していて、歴史の番組をやっていた。10年前、魔法世界と機械世界を繋ぐ扉が開いて、それから、門を閉じるか開き続けるかで戦争が始まった話。最後は魔法世界の王女様と事の発端となった転生者の青年と仲間達が塔を制圧してハッピーエンド。そんな一昔前の話だ。
「何か飲む?紅茶とインスタントコーヒーならあるよ。」
と聞いた直後あいの遺伝子の半分に大して随分と失礼な事を聞いたと恥じたが、あいは大丈夫。といって紅茶を選択した。
結衣は念力で器用に紅茶パックと自分より重たい湯沸かし器を取り出して器用にコップに注ぐ。
「味付けは、なにかいる?蜂蜜とか?」
「いえ、何も。素のままで。ありのままで、向き合う主義です。」
「分かった。じゃあ。これでいいかな?」
余計な味付けのない紅茶が出来上がる。それを一杯頂いた後、それからは勉強会などという名目はどこにいったのか、他愛のない会話が弾む。それが続いたのち、あいは到着以来気になっていた壁に掛けられたものについて結衣に聞くことにした。
「蝶集め好きなんですか……。」
うん。と結衣は首肯した。ありきたりなもの、色鮮やかなもの、珍しい蝶のレプリカ、多種多様だ。
「でも……これ、蝶じゃないですよね。」
指さす先に飾られていたのは、一枚の写真。クリップドデルタの白頭鷲の写真が蝶達に囲まれる形で鎮座している。
「お母さんの、機体……」
結衣はその写真まで飛んでいって改まってそれを紹介した。
「紋白蝶……だよ。世界で一番美しい蝶……。」
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