第3話 アフロルモシアの森

 ――パキ――


 それは小さな音だったが、自然界のものと異なり、耳についた。


 ハルコの意識が記憶から視覚に向いて、孫の大貴の姿が別のものに変わって見えた。浅黒い肌の現地の少年の姿だ。破れた緑色のシャツと黒い半ズボン姿の少年はひどくやせていた。


 孫の姿が消えても、目の前に人間の姿を認めたハルコは消沈しなかった。長い間封じられた言葉が、唇から踊り出したくて仕方がない。が、それを封じるのは少年の瞳だった。


 彼の眼には獲物を狙う猛獣のような鋭い光が宿っていて、ハルコの腰に金属の棒が突き刺さっているのを見ても驚いている様子は無かった。


「あなたは?」


 声はシルバースーツのAIが翻訳する。


「カブル民族解放軍のアレム伍長だ」


「伍長……、まだ子供じゃない。何歳なの?」


「14歳だ。あんただって年寄りじゃないか。何歳だ?」


「75歳よ。今日が誕生日なの」


「おめでとう。でも、誕生日なのに怪我をするなんて運がないな」


 アレムの瞳の光が同情のそれに変わった。


「……ありがとう」


「75かぁ……、そんな年寄りは俺の村にはいないな」


「それがこのざまよ。もう、あの世が近いわ」


 身体を動かすと、脇腹の傷口にたかっていたハエが飛び立つ。それはハルコの頭の上を一周すると傷の場所に戻った。


「ウジがわいたら苦しいぞ。生きたまま身体を食われる」


「まいったわね」


 アレムの教えに、ハルコは顔をしかめた。


「だけど俺たちの国では、それが普通さ」


 彼は大人のようなことを言い、近づいて蠅を追った。傷口にはすでに白いウジがうごめいていたが、そのことは口にしなかった。


「あなたみたいな子供が戦っているのね」


「大人はほとんど殺されたからな」


「だれに?」


「あんたらさ」


「そ、そう……。悪かったわね」


 ハルコは目の前が暗くなるのを感じた。


「あんたは、年寄りなのにどうして戦っている?」


「日本には子供が少ないからよ」


「年寄りは敬うものだ」


「日本の政治家に聞かせてやりたいわ。でもね、75歳になったから、今日で自衛官ではなくなるのよ」


「自衛官?」


 アレムが首をひねった。


「まぁ、普通に言えば軍人ということね」


「自衛官と軍人と、どう違うんだ?」


「さぁ……。本当は、自衛官は日本を守るためにしか、戦わないはずなのよ。……私にもわからないわ。こうして、あなたの国で戦争をしているんだもの。でも、今は民間人よ」


「民間人?」


「普通の市民ということよ」


「普通の市民は、戦うものだ。俺みたいに」


「戦うなんて、普通じゃないのよ」


「俺たちは、生まれた時から、ずっと戦っている」


「平和なら良かったのにね」


「平和を手に入れるために戦っているんだ」


 ハルコは戸惑った。どうしたら、少年に少年らしい生活を与えられるのだろう……。


「そうだ。ポケットを見て。携帯食料と銃があるわ」


 アレムがシルバースーツの太もも部分にある大きなポケットをまさぐった。右側のポケットには血のこびり付いた銃が、左側のポケットにはスティック状の携帯食料が入っていた。


「どちらか好きな方をあげるわ」


 彼は迷うことなく食料を選んだ。


「良かったわ。あなたが食料を選んでくれて」


「銃なら持っている」


「そ、そうよね。伍長だもの……」


 ハルコは、アレムが自分の想像も及ばない世界で生きているのだと突き付けられたような気がした。


「アレム、だれかいるのか?」


 草むらの中から軍服姿の体格のいい男が現れた。手には自動小銃をぶら下げている。


「隊長、日本軍の負傷者です。年寄りであります」


 アレムが直立不動の姿勢で敬礼する。


「怪我人など荷物になるだけだ。さっさと始末しろ」


 隊長は背を向けると煙草に火を点けた。


「悪いね。今は敵なんだ」


 アレムがハルコの耳元でささやいた。


「年寄りは敬うんじゃないの?」


「年寄りなら、年寄りらしい賢明な判断をするものだ。俺たちの国を壊してもらっては困る」


 強い意思が込められた言葉に、ハルコは口を閉じた。


「誕生プレゼントだ。天国で生まれ変わるといい」


 銃口が額に当てられた。


「そうか。虫に食い殺されるより楽よね」


 ハルコは観念して目を閉じる。


 パーンー……。乾いた銃声がアフロルモシアの森に響き渡った。


「悪く思うなよ。俺だって、すぐにそっちに行くさ」


 少年が歩き出す。振り返ることはなかった。

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何のために戦うのですか? ――700部隊のハルコ―― 明日乃たまご @tamago-asuno

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