第8話 人が恋に落ちるその瞬間
目が覚めると、そこには見知らぬ天井があった。
自分の部屋ではないし、リビングでもない。どこだ、ここ?
部屋を見渡そうと、横を見ると瞳の中に少女の寝顔が映る。
その瞬間顔が一瞬で赤らみ、掛けてあった毛布を薙ぎ飛び起きた。
え?え?何で唯が?というか俺、何してたんだっけ?
そうだ!唯のお見舞いに来たんだった!
夕飯作り終えて、少し休憩してたらうっかり寝ちゃったのか。
だけど、ここはリビングだよな?何で部屋で寝てるはずの唯がここに?
ふと、自分に掛けられていた毛布が目に入る。
そうか、毛布を掛けに来てくれたのか。そして、そのまま唯も寝ちゃったのか。
よく見ると、唯には毛布が掛かってない。
そ~と、自分に掛かっていた毛布を唯に掛け直す。
そして帰ろうと鞄を取り窓の外を見て、驚く。
朝になっていた。
俺は、数時間寝ていたのではなく十数時間寝てたのか。しかも人様の家で・・・・・・
・・・・・・やっちまった。男ならともかく、睡眠していただけとはいえ女子の家で1泊は完全にアウトだ。
というか、唯も起こしてくれれば良かったのに。
まあ、起こすのも悪いな、と思ってくれたのか。
それに毛布も掛けてくれたし、有難いな。
だが、男と一緒に夜を越すというのは感心しない。もうこんな機会は無いとは思うが、それでも今度男を家に招待した時は絶対に一緒に夜を越さないように、と注意しとこう。例え、一緒に睡眠を取るだけだったとしても。
さて、せっかく唯の家に居るんだし朝食でも作ってやるか。ついでに、昼食のお弁当も。
そうして食事の準備していると、ふぁ~あと欠伸をしながら唯が起きてくる。
「おはよう」
眠い目を擦りながら、挨拶をしてくる。
「おはよう。朝食、準備出来てるぞ」
「ありがとう」
そんな、夫婦のような会話をしながら席に着く。
「美味しい」
「良かった」
朝食を食べ進めていく2人。
「もう、風邪は大丈夫なのか?」
「うん、もう大丈夫。熱も無いみたいだし、体調の方も良い感じ」
「そうか、それなら良かった」
心底ホッとした顔をする有。
「昨日は来てくれて、ありがとう。来てくれると思わなかったから本当に、本当に嬉しかった」
そう微笑みなら言う唯、その笑顔は本当に嬉しかったのだなと分かる程輝いていた。
あまりにも眩しいその笑顔に、思わず照れながら少してしまう有。その照れを紛らわすように別の話題にシフトする。
「俺が寝てる時に、毛布掛けてくれたんだな。こっちこそありがとう」
「別に構わない」
「でも、男を一晩家に置いておくのは感心しない。俺が言うのも何打が、男を一晩家に置くなんて行為は兎がライオンと一緒に一晩を越すようなものだ。それくらい、危ない。だから例え寝てたとしても、起こして少なくとも夜が本格的に始まる前にはちゃんと帰して欲しい」
毛布掛けてもらっておいて、偉そうなことを言ってしまっただろうか。ウザ、と思われてしまっただろうか。だとしても将来唯が好きな人を見つけた時、後悔するような事態には陥って欲しくない。しかし面倒な奴だな、とは思われただろうな。まあ、仕方ないか。
「ごめんなさい」
唯は気落ちし、少し項垂れれる。
どうやら、ウザ、と思われるどころか落ち込ませてしまったようだ。そんなつもりはなかった。ただ頭の隅にでも置いておいて欲しい、くらいのつもりだったのだが。
「いや、あの、そんなに気にすることじゃない、というか、まあ、単なる忠告だしそんなに深刻に受け止める必要も無い、というか、いやまあ言った俺が言うのもなんだけども・・・・・・」
ダメだ、人と会話しなさすぎて失言フォロー能力0だ。こういう時は、言葉よりも行動だな。
そう思い、朝食後のデザートを作る。
そのデザートを頬張った瞬間、唯の表情がみるみる軟化していく。
どうやら、デザート作戦は成功だったらしい。ホッと胸を撫で下ろす。まあ、自分で蒔いた種だが。
「昨日有が寝てるのを見た時、本当は起こさないとと思った。事前の準備も無しにお泊か、嫌だろうし。でも、何でだろう、有と一緒に居ると心が落ち着く。とても心地良く感じる。だから、もう少し一緒に居たい。そう、思った」
と、少し神妙な面持ちで語る唯。
「それにやっぱり、1人は少し寂しい」
今度は切なげな表情になる。
俺は別に1人は全然平気だ。何ならすごく楽しいと感じる。でも、それは誰かと居ることが苦痛というわけじゃない。誰かと居る温もり。それは、確かに有る。でも、当たり前だが、というか言ったとおり、温もりを得るには誰かと居なければならない。それは、簡単なことのようですごく難しい。特に唯程不器用だったらなおさらだろう。
「俺は休日は、いや平日も大体家でゲームしたりテレビ見たりしてる。つまり、暇だ。だから、俺で良ければ好きな時に呼び出してくれ。楽しい時間を提供出来る自信は無いが、それでも一緒にゲームしたりテレビを見たり共に過ごすくらいは出来る」
「良いの?」
「遠慮なんてする仲じゃないだろ?」
「そうね」
唯はふわりと微笑む。その顔にはもう寂しさも切なさも浮かんではいなかった.
その後一緒に登校し、いつも通り授業を受ける。
ただ、今日はいつもの授業とは異なる時間があった。3、4時間目に今度実施される日帰りハイキングの班分けがあった。
もちろん、俺と組みたがる人は居ない。いつものことだ。こういうのは大体授業が終わる頃には勝手にどこかの班に入れられてる。まあ、どこの班でもどうせ関わることは無いだろう。だって、日常から関わろうしない奴らが行事で関わろうとは思わないだろうからな。まあ、こっちとしてもそれはそれで楽なんだが。
とりあえず、この時間が終わるまで本でも読んでるか。
そうして、有はクラス全体が浮足立ちワイワイしてる中で、1人だけ我関せずといった様子で読書に勤しんでいた。
鐘が鳴り、昼休みとなる。有のクラスだけではなく、学校中が喧噪に包まれていく。
有は屋上へ向かうついでに、班を確認する。いつもなら、話したことないあまりものグループに入れられるのだが。
班を見て驚く。3人班を作れとのことだったが、俺以外全員女子だった。
こういう数人、もしくは2人を作れという課題を長年こなしてきたが女子と班になったことは一度も無い。俺の班の女子の名前をよく見る。そこにあった名前は男子共に人気のある美少女達の名だった。唯と付き合っているだけでも男子共からは、妬みも嫉みが籠った目で見られる。これで、もっと多くの男子共からそんな視線を送られることになるだろう。
まあ、それ自体はどうでも良い。問題は美人の少女達が何故俺と一緒の班になったかだ。もちろん、偶然の可能性も有る。しかし、そうじゃなかった場合こんな悪評だらけの人物と関わろうとするなんて、絶対何かある。そして、それは絶対面倒臭いことだ。
でもまあ、今考えても仕方ないか。それよりも、今は唯との昼食の方が優先だ。だけど、心の準備くらいはしておくか。
そうして、屋上に向かう。
扉を開けると、先に唯が座っていた。
天気は晴れ晴れしており、まさに弁当日和だ。しかし、そんな天気とは相反に唯の表情は暗くどんよりしたものになっていた。
「どうしたんだ?」
「何でもない」
どう考えても何でもないという顔では無い。だが、誰にでも話したく無いことはある。それを無理に聞き出そうとするのはデリカシー以前に人としてダメだろう。
だけど、仮とは言え彼女である顔を曇らせたままというのはもっと嫌だ。
「無理に話す必要は無い。だけど、1人で抱え込む必要も無いんだ。悩んだ時、傷ついた時、それらを無理して1人で乗り越えようとする必要は無い。それを周りに話して少しでも解決に向かうのなら、どんどん話すべきだ。巻き込むべきだ。人はそうやって生きて来たんだから」
有は彼女の目を見てゆっくりと、しかし熱を込めて話す。
「俺が出来ることは大して多くは無いし、力も無い。それでも、悩みを聞いて一緒に解決法を考えることは出来る。力になるかは分からないが、そうあれるように努力することは出来る」
「けど、だけど、これは私の問題。だから、それで、迷惑を掛けるわけには・・・・・・」
「むしろ、迷惑を掛けてくれ。俺も掛ける。1度も迷惑を掛け合わせない。そんなの、カップルじゃない。俺は一応彼氏なんだからさ、迷惑くらいかけてくれよ」
その言葉に少し、表情を和ませる唯。そして、今朝あったことをポツリポツリと話していく。
唯の1、2時間目の授業は日帰りハイキングの班決めであった。唯も有と同じく、学校で孤立気味であったためこういう行事の時はたいてい余った班に入っていた。
そのため、唯も授業が終わるまで待とうとしていたが、唯のクラスの全班は割とすぐに決まった。先生が決まってない子が居たら積極的に関わり、班決めをサポートしていたからであった。
そんな先生の尽力によって、唯は話したことも無いギャル2人と班となった。
班が決まったので、クラスはハイキングのコース決めに移っていた。
唯達の班もコースを決めようと話し合う。
コースは基本、班員の好きな場所を基に決めるのが普通である。なので、唯達の班も彼女らの好きな場所にのっとって決めようとしていた。
ギャル2人は自分達の行きたい場所を言い合い、唯にも意見を聞いてきた。
しかし、唯には行きたい場所なんて無かった。だから、相槌が少し適当になりやがてギャル達は唯に興味を失い2人の行きたい場所を基にコースを作り始める。
それを見た先生が注意しにかかる。
「おい、ちゃんと雨宮の意見も取り入れろよー」
「先生、だってぇ~、この子行きたい場所無いって言ってたし~」
「だったら好きな料理店がある所とか、好きなキャラクターが居る所とかもっとほかにあるだろうー。もっと、雨宮に興味持てー」
「は~い」
そうして、ギャル達は唯に好きな物について少しの間質問してきたが彼女の答えが全て、特に無いだったためまたもや興味を無くし2人だけの世界に入っていった。
しかし、何も決して唯も好きでそう答えたわけでは無い。ただ、本当に分からないのだ。自分の好きな物が。いや、好きという感情そのものが分からないと言って良い。それは、裏を返せば何が嫌いというのも分からないということであった。何かを提案されても、唯にはそれが嫌いかどうか分からない。つまり、断る理由が無い。だから許諾する。これが快諾姫のメカニズムであった。
班決め、そしてコース決めが終わりチャイムが鳴った。
皆次々と次の授業である体育に出席するため、更衣室に向かう。
更衣室の前まで来た唯は、体操着を忘れたことに気が付く。
体操着を取ろうと、教室の扉を開けようとすると先程まで近くに居たギャル達の話声が聞こえてくる。
「え~それマジ~、超ウザくね~」
「でしょ~、もう本ッ当最悪だったし~」
「てかさ!雨宮!あいつも超ウザくね!あーしらがせっかく興味なんて微塵も無いのに、気を遣ってやって好きな物とか聞いてやったのに、全部スルーしやがった!それで、何も悪くないのに先生に怒られるし、もうマジ最悪!!」
「それな~。きっとあいつ彼氏が好きって聞いても、別に、とか言うんじゃね~」
「ギャハハハハハハ!それ、マジあり得るわ!そして、彼氏に別れるって言われたら好きじゃないけど、体ならいくらでも使って良いから捨てないで、とか言うんじゃね!」
「ギャアハアッハハハハハハハハ!マジ受ける~」
話を聞いて、有は自分を抑えるので必死だった。少しでも、抑えが緩めば今すぐそいつらを殴りに行きそうだった。
とりあえず、元の顔の2倍に膨れ上がるくらい殴り服を剥ぎそれを写真に撮って脅してそれから・・・・・・
有の顔がみるみる邪悪になっていく。
そんな有を見ながら、唯は話を続ける。
「別に悪口を言われたことは構わない。気にしてない。・・・・・・いや、やっぱり少し悲しいけど、でもそれ以上に私が好きな物も嫌いなもの無い所為で、空っぽな所為で誰かに迷惑を掛けた、それがとても嫌だった」
唯はとても悲しい目をしながら続ける。
「こういうことは、これまでも沢山あった。最初は私のことを気に掛けてくれていても、最後には私の元を離れて行ってしまう。この先もずっと人が離れて行ってしまうのだと、好きな物も嫌いな物も自分の事が何1つ分からない空虚で空っぽな自分でいるのかと思うと、すごく恐い」
「・・・・・・大丈夫、大丈夫だよ。俺は別に唯と一緒に居るのは全然不快じゃない。むしろ心地良いくらいだ。だから、唯の元を離れたりしない」
「私も、私も有と居る時間は心地良い!でも・・・・・・」
彼女が抱える問題は、彼女自身の問題だ。それは、ずっと誰かが傍にいたって彼女自身が解決しなければ一生解消されないだろう。
「唯はどうしたい?」
「私は・・・・・・私は・・・・・・・・・・・・」
唯は深く、深く考え込む。自分のへと潜っていく。
「私は、私の好きな物を知りたい。どういう人間なのかを知りたい。そうして、私について知っていったらきっと、私の中に何かが溜まっていく。そうしたら、いつかきっと空っぽじゃなくなる。そんな気がする。私は、そうしたい。・・・・・・でも、ちゃんと見つかるのかやっぱりすごく恐い」
「唯の笑顔を俺は何度も見た。それはつまり、唯は何かを楽しめる能力があるってことだ。好きって感情は楽しさの延長線上にある感情だ。だから、心配しなくても唯は好きという感情の手前まで辿り着いてる。だから、大丈夫だ」
「そう。そう、だと良いな」
唯の表情は先ほどと比べると随分とマシになっていたが、しかしやはりまだどこか不安げだ。
「探して、探して、探し回って、それでも見つからなかったらそれは探す場所が悪いんだ。この町に無かったら、この国を。この国に無かったらこの世界を。世界というのは俺達が思っているよりもずっと広い。アジア大陸だけでもその面積は日本の150倍だ。そんな大陸が世界には6つもある。それに海洋もある。世界というのは、それ程に広い。だから、その中に唯の好きな物もきっとある。それでも、見つからなかったらもう唯の好きな物はこの世界には無いといことだ。だったら、だったら俺が作ってやる。誰も見たことの無いような物でも、この世界に無かった物でも、あらゆる手段を用いて唯の好きな物を作りだしてやる。だから、その、安心してくれ」
そう言って笑いかける。
唯の顔にはもう悲しみも不安も浮かんでいなかった。
その代わり唯はこれまで一度もなったことの無いような顔、そして感情になっていた。いや、あるいは忘れていただけでただ思いだしただけかもしれないが。
ともかく、唯の有に対して抱く感情はこれまでのもの明らかに違っていた。
彼女は、まだこの感情が何なのか分からない。映画とか、本、とかそういったものに対してだったら正体は分かったのかもしれないが。人に対して、特に異性に対してのその感情は、物や同性に対してとは明らかに違う。それらよりもずっと大きく甘く切なく、そして自分で気づきにくい。そういう感情だった。
こうして、彼女の物語は始まっていく。彼女にとって、初めてのラブコメディが。
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