ぬ魔法

@Araranosatto

1話目

 「君の魔法は……"ぬ魔法"ですねえ」

 簾のような立派な眉毛のおじいちゃん先生が僕に告げた言葉は、余りにも間抜けな響きをしていた。


 「貴方は特別な魔法の持ち主です」などと言われて、浮かれない思春期男子が居るだろうか。

 電車は一時間に一本(通勤・通学時は二本)、車がないとかなり不便で、一歩外に出れば目に入るのは団地。そしてチャリンコを転がした先にはやたら広い田んぼと雉。デパートなんてのは憧れの的で、身近なものは母親が買い物に行くクリーニング店併設のスーパー。そして寂れた商店街と昼間からたむろするご老人。思春期特有の無限パワーで、なんとか(街に生息するややガラの悪い連中とのエンカウントの危険性がある)ゲーセンに足先が届く。

 面白みのない場所に生まれて、いつか己だけの特別な未来があるものだと信じて疑わない頭には、あまりにも「特別な魔法」という単語の刺激が強すぎた。


 学校の身体測定と一緒に行われる魔法の有無を確認する検査で、あなたは魔力の持ち主ですと判定が出た。しかも炎や氷など通常のものと異なる特殊なものだからと、あれよあれよと紹介状付きで大学病院に行くように言われ、やたらと長い待ち時間を過ごしている。

 待合室に置いてあっためぼしい漫画はみな読んでしまったし、周囲はご老人ばかりだしで、暇を売ってなお余りある程に持て余した心が限界に来そうだった。隣をちらっと見ると、母さんも退屈そうに、女性週刊誌のエッセイ漫画と夏向け惣菜のレシピ欄を見続けている。

 ようやく名前が呼ばれて診察室に入ると、髪と服が同じくらい白い先生が居た。白すぎて、二値化したら背景と同化しそうなくらいだ。先生が見ているパソコンの画面には、僕の名前や年齢、その他よく分からない数値が表示されている。これが所謂カルテなのだろう。

「木村カナト君ですか?」

「はい」

「君の魔法は……あ~……"ぬ魔法"ですねえ」

「へ?」

 先生が何やらカチ、カチとクリックすると、カルテの中にあった画像が拡大されて表示された。

「採取した魔力の澱の顕微鏡写真なんですけど、ここ、分かります?」

 小学生どころか幼稚園児でも読める。大真面目な病院の卓の上に似つかわしくないほど間抜けな、ひらがなの“ぬ”の文字が大量に表示されていたのだ。“ぬ”を画面にびっしり表示させると虫みたいで気持ちが悪い事など一生知りたくなかった。


 先生曰く、このふざけた一文字の魔法(いろは魔法というらしい)は、あまりにも例が限定されているため、詳細不明という事だ。なんだそれ。ドラゴンを召喚するとか、"無"を司る属性とか、時を止めるとか、特殊な魔法ってそういうものじゃないのか。そんな絶対に途中でネタ切れを起こしそうな魔法なんて誰が作ったんだ神様の畜生め。

 病院の待合室で支払いを待っている間にも、頭の中にある事は「これをどうやって友人たちに説明すればいい」一点のみ。既に特別な魔法の事は(特別であるという事に重きを置いて自信満々に言いふらしたので)知れ渡っているし、わざわざ公休を取ってまで病院に行った次の日には質問攻めに合って当然だ。絶対に“ぬ”魔法などという間抜けな名前を言う事はプライド諸々が許さない。

 さてどうするべきか、マギキャップス(魔力を抑えるための道具全般)をリング系にしてちょっと服から隠れた場所に付けて、包帯でも巻いて、重苦しい感じで無言で首を降ろう。そうだ、それだ、それしかない。そうじゃそうじゃと僕の中のものしりはかせも言っている。

 早速家でイメトレしよう。ついでに、タトゥーシールの一つでも付けておけば完璧だ。そんな事を考えながら、ぼんやりと太陽の下に足が向いていた。


 しかし、何かがおかしい。空は青空にごまのソースを混ぜたフルーリーみたいな気色悪い色をしているし、サイレンがひっきりなしに鳴っている。

 僕がそんな事を考えて院内に向けて足を動かす前に、目の前に青白い炎を纏った彗星が落ちてきた。そのあまりにも非現実的な光景に僕の目は釘付けになってしまった。彗星、いや、影?……というよりこれは……何か……。

「くっっっっっさ!臭ぁい!」

 思わずシャツの裾を鼻と口に当てる。卵が腐ったような匂いが辺り一面に漂っている。数年前に学校行事で山登りした時に嗅いだものの、何十倍も強烈だ。

 あれほど燃えていた炎は消えて、中から人間が現れた。男。多分同じような歳で、黒いレザーにギンギラギンのシルバーアクセを付けている。多分ゲームだと二面の中ボスとかその辺くらいの風格しか無い。

「きっ……さまも"魔法"の使い手だな?」

「ちがうよ」

 じわじわと名も知らぬ彼が『貴様』を言い慣れていないんだろうなあと分かってしまったのと、反射的に否定の言葉が出てしまったのとで、限りなく二者の間のコミュニケーションは破綻している。ただ彼の方は何を得心したものか、顎を撫でてそうかそうかみたいな顔をしている。きっとそういう感じの事したかったんだろうな。

「貴様が否定しても俺は分かっている。この巫山戯た魔法の使い手という事をなあ!」

 自信満々に右手で僕を指さしながら、左手で顔を隠している。僕も龍が巻き付いたペンダント好きだし、中二病って中々抜けないとか思っていたけど、目の前のこれはあまりにもアレだ。人間は自分より下のものを見て安心するって、兄貴が言ってた気がする。

「俺は魔王様の下僕、この下らない魔法に終止符を打つため神に反抗する!」

 何て?いやまあ魔王って言ったら20年だか30年前にどうこうしたって聞いたことあるけど、復活するの?伊勢神宮が建物移すくらいの頻度で起こるの魔王?

「感謝しろ。貴様も誘ってやる。来い!」

「いやどす」

 嫌すぎて舞妓さんになってしまった。待てよ?魔法に不満があるって事はいろはのどれかって事だろ?この臭い、もしかして。

「お前、"へ魔法"?」

「言うなーーーー!!!!」

 再び青い炎を出したところに、サイレンの音が鳴り響く。彼は舌打ちをして、尻のあたりから青い炎を吹き出し、空に舞い上がった。臭いさえ無かったらかっこいいのになあ。

「貴様っ!俺のさっ、そそー!!!」

 言い終わる前にずるりと彼の後ろに黒い穴が表れて、彼の身体を引っ張って向こう側に連れて行ってしまった。入れ替わりに警察の人たちが飛んできたが、既に姿は消えていた。

 きっとこれから警察の人たちが何かしら取り調べしてくるから、これも武勇伝になるのかなという気持ちと、あいつと二度と会いたくない気持ちが綯い交ぜになって、既に猛烈な疲労感が押し寄せていた。

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