敗者を決めたロケット砲 M142 HIMARS・M270 MLRS

お待たせいたしました。これの解説を待っていた方も多いでしょう。

開戦から4ヶ月経った6/23、ウクライナに自走ロケット砲が届き、使用されます。


最初はあまり期待されていませんでした。みんなが冷静に、考えられる通りの戦果を出すだろうと思っていました。

ロケット砲なんか昔からあって、それを少々発展させたに過ぎないこの兵器は、まあ普通であると。中の上くらいで、もっと注目すべき兵器はほかにもあると。


一日で、アメリカ軍は追加供与を決定しました。この時点で、何かあったなと感づきましたが、詳細は不明でした。

三日で、みんなの冷静な態度はひっくり返り、熱狂が始まりました。

それからたっぷり一ヶ月間、暴れに暴れて大暴れしたのがこのロケット砲です。


M142 HIMARS(ハイマース)、そしてM270 MLRS。この2つのロケット砲が、ロシア軍に敗者の烙印を焼き付けたのです。


6月のウクライナ軍は、ロシア軍を相手に細かな反撃を行っていました。

供与された装甲車と戦車を集中させて運用し、ロシア軍を攻撃しました。


しかしキーウから手を引いたロシア軍はある程度の立て直しに成功しており、大量の砲撃と突撃によってじりじりと戦線を進めていました。

ウクライナ軍は都市を丸ごと更地にする砲撃に立ち向かわねばならず、この時期の戦死者数の増加はロシア軍よりもハイペースだったと思われます。


あまりにも厳しい状況に、取り返す速度が追いつきません。次々に塹壕を掘り、砲撃で掘り返されては後方に撤退するという動きを繰り返しました。

長い時間をかけてドニエプル川以東を制圧されてしまうかも……という厳しい予測もありました。


7月、ロシア軍の砲撃数は10分の1にまで落ち込み、以降ウクライナ軍は全戦線で緩やかに反撃、ようやくロシア軍の東部後退が始まったのです。

この状況を作り出したのは、何を隠そうハイマースでした。


ハイマースは2010年、前身のMLRSは1983年からアメリカで運用されているロケット砲です。

それぞれ6発、12発のロケット弾を搭載し、連続で発射することができます。


射程はロケット弾によって大きく変わり、30kmから90kmです。

MLRSは元が装甲車で、軽度の装甲とキャタピラを持ちます。ハイマースは元がトラックで、道路を高速で走ることができます。


MLRSは、ソ連が持っていたロケット砲に対抗する目的で作られました。

ソ連のロケット砲は大量のロケットを高速連射し「面」を制圧するものでした。


再装填に時間がかかる反面、砲撃時の火力はすさまじく、一帯の歩兵が動けなくなるほどの威力があります。

一方アメリカは、高い精度で目標に飛んでいく「点」の攻撃を好みました。


張り手で叩くよりも、槍で貫く方が強力だと判断したのです。

ソ連軍の圧倒的物量に正面から向かっていっては勝ち目がありませんから。


高い精度といいつつも当時の電子機器では限界があったのか、まっ先にクラスター弾頭がつくられています。

これは湾岸戦争などで鉄の雨と呼ばれて恐れられていましたが、クラスター弾の条約に従い撤廃されています。


本格的な点攻撃ができるようになったのは2005年から。GMLRSというシリーズのロケット弾になってからです。

GMLRSは慣性航法装置とGPSによって誘導されます。射程も90km以上あり、遠距離から弱点を狙い撃つことができます。


実際に、ウクライナではヘルソンなどにかかる橋を攻撃、片側車線だけに穴を複数個開けています。

最大射程付近でも高い精度があることを示しており、驚異的ともいえます。事実上の地対地ミサイルです。


因みに慣性航法装置とは、気圧や磁気、速度といった要素を組み合わせて経路上を移動できているか判断する装置のことです。

これ一つで完結する分、精度はそこそこなのでミサイルでは他の誘導方式と組み合わせて使います。


最新のER GMLRSでは射程が150kmまで伸びています。まだウクライナには供与されていませんので、ウクライナのハイマースやMLRSは本気を出していません。

名実ともにミサイルのATACMSもあり、こちらはハイマースで一発、MLRSで二発しか発射できないものの、300kmの射程と戦艦大和の主砲弾を軽く超える610mmの直径を持ちます。


MLRSは装甲を持ち高い攻撃力を誇りますが、鈍重です。キャタピラなので不整地には強いですが、足回りの故障は多いでしょう。

ハイマースはMLRSに比べて半分のロケット弾しか撃てませんが、迅速に展開でき、燃費が良くて故障も少ないです。


さて、ハイマースとMLRSはほぼ同時に使用され始めました。供与はMLRSの方が早かったのですが、訓練していたのかしばらく戦場に姿を現しませんでした。

低調な活動は近年の対テロ戦争でもよく見られた光景で、こうしたこともあってか期待は高くなかったように思います。


しかし、ロシア軍はNATOがバックに付いている意味をよく考えるべきだったのです。本当に。

ロシア軍は榴弾砲で届かない距離にある弾薬庫や指揮所といった重要目標をロクに隠蔽していませんでした。当然こんなものは、NATOの偵察機と人工衛星が捉えています。


開戦初期からそうですが、ロシア軍はウクライナ軍を舐めすぎなのです。

そして隠れていない重要目標へ押し寄せたのが、慣性航法とGPSで誘導されるロケット弾でした。


次から次へと爆発し炎上する弾薬庫。破壊される指揮所。大量の死亡者を出す詰所。

道路も鉄道も破壊され、終いには対空ミサイルやレーダー、空港までもが餌食になりました。


重要施設を尽く破壊されたロシア軍は大慌で隠蔽を開始、重要施設をより奥地へと下げて対応しましたが、それはロシア軍全体の能力を低下させました。

考えてもみてください。通勤距離が6倍になったらどんな気持ちになるでしょうか。同じことが、ロシア軍に起こったのです。


これまでは15kmほどをトラックで運んでいた砲弾は、90km以上を運ばねばならなくなりました。

当然時間がかかるので、在庫があっても前線になかなか届かないという事態を引き起こしました。


おまけに、弾薬庫が見つからないよう移動の時間を制限されました。

これにロシア軍はトラックを増やして対応しましたが、民間からの車両徴収と燃料消費の大幅な増加を引き起こし、規格がめちゃくちゃになった部品補給と合わせて補給路に多大な負担をかけ始めます。


長く細くなった補給路は途切れやすく、ハイマースはそこも狙いました。

ぶつ切りになった補給路をつないだり迂回したりするのは大変で、前線兵力が後方支援に割かれるようになります。


おまけで対空システムも多数が破壊されました。砲によるSEAD(敵防空網制圧)をワンランクアップさせた攻撃です。

これが8月いっぱい続きます。それぞれたった数両のハイマースとMLRSが叩き出した戦果です。


こうした状況はウクライナ軍の反撃と防衛しきれないロシア軍という構図を招き、死傷者が出るペースが逆転します。

ハイマースの攻撃とそれを恐れたロシア軍の関係はロシアに負担を積もらせ、30万人の部分的動員にまで結びつくのです。


部分的動員とそれに伴う国外脱出は、医療や物流、農業、エネルギー生産、インフラにまで悪影響を与えています。

ハイマースの射程は90kmですが、ウクライナ兵の勇気と他の兵器を組み合わせることで、間接的にロシア全土を攻撃しました。


戦線が東部の奥まで後退したことにより、現在(2022/12/15)はハイマース、MLRSともに低調です。

NATOの偵察が難しくなっただけではなく、ロシア軍も学習し重要施設をしっかり後方に下げ、どうしても前線に近くなる施設はよく隠しているからです。


ハイマースは強力な兵器ですが、目標の情報が無ければ撃ちようがありません。

このあたりは「大体あの辺を撃て」という命令ができるソ連タイプのロケット砲が強いです。


事実、アメリカはここ最近ハイマースの弾薬は供与しているものの、ハイマースそのものの供与は低調です。

重要度が下がったという認識なのでしょう。


ですが、ハルキウ攻勢直後のような重要施設の移動が間に合わない瞬間や、ふと気が抜けた瞬間などに射撃し、毎回大ダメージを与えています。


ハイマースは恐ろしいまでの戦果を残しましたが、すべてを超越する兵器ではありません。

あくまでロシア軍が雑な仕事をしていたから暴れたのであって、そうでなければ有名になることも無かったでしょう。


一度に撃てる数の少ない、精度の良いロケット砲。この範囲を逸脱することはありません。

正確な情報が無ければ無駄打ちできず、弾が高価で希少なので安い目標にも撃ち辛いです。


しかし、強力な兵器であることには変わりないのです。

GMLRSは発射後に軽く角度を変えて上昇していきます。これにより対砲迫レーダーに見つかっても発射場所を特定されにくいです。


試験的にですが、対空ミサイルを発射したこともあります。将来、もしかしたら戦闘機を撃墜するハイマースが見れるかも……?

対艦攻撃も考えられており、演習で撃破判定をもぎ取っています。これもまた、もしかするともしかするかもしれません。


ATACMSはアメリカの意向によって封印されていますが、その存在は魅力的です。

いいですか?ハイマースはまだ本気を出していないのです。ATACMSによって攻撃範囲が広がれば、ロシア軍の補給路と指揮系統はこれまで以上に破壊されます。


ER GMLRSだって残っています。射程90kmが150kmに広がるだけでも、威力は爆増します。

2023年からはPrSMという最新のミサイルの運用が始まります。射程500km、ATACMSの倍の数を発射できます。


PrSMが供与されるまで戦争が続いてほしくはないのですが、潜在的な能力がこれだけあるということは特筆すべきでしょう。

あの大暴れは、実はまだほんの序の口でしかないのです。ロシア軍が全ての重要施設を隠せるなら、話は別ですが。


ハイマース、MLRSは今後も長距離高精度ロケット砲としてロシア軍を困難に晒し続けるでしょう。

延々と無駄なリソースを割かせ、ウクライナ軍を支援し続けます。その威力と余波は、もうだれにも止められないのです。




2023/5/6

HIMARS、M270が使用するGMLRSロケット弾が、GPSジャミングにより有効性が低下していることが確認されました。

GMLRSにはホームオンジャム機能がなく、GPSジャミングされると当たらない可能性が高まります。


これを解決するにはレーザー誘導のような別の誘導方法が必要になりますが、それができると確認されている同様の兵器は、トルコとウクライナのMLRS(M270のことではない)です。

どちらも数が少ないため、喫緊の課題でしょう。GPSが使えなければ、GLSDBの供与も無駄に終わり、どころかJDAMやエクスカリバー誘導砲弾といった多数の西側製兵器が無効化されてしまいます。


ゲームチェンジャーはない、というのはこういうことです。どんなに戦局を変えるような兵器だとしても、対策する方法はあり、それを打破する別の兵器が必要になります。

だから早くF-16をですね(以下いつもの)


……待った、ロシア軍はその、今までGPSジャミングをまともにやってなかったと?なんで?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る