第2話 運命

 風が強く吹いて雲の動きが早くなっている。

 少し振り向いた視界には恥じらいながら手を伸ばす可憐な少女が一人居て、僕もまた一人その光景が理解できずに佇む。

 

 ――友達になりたい。


 よくあるライトノベル小説の冴えない主人公が高嶺の花のようなヒロインに勇気を振り絞って言う最初の台詞。そんな凝り固まりすぎている印象を振り解く時間が冷静な判断と思考を鈍らせる。

 応えは決まっている筈なのだが、どうしてもその一言が喉を通過しようとしない。

 その結果、またしばらくの沈黙が続いてしまった。


「そ、そうですよね。私なんかと関わりたくないですよね」


 痺れを切らしたのか結衣自身が自分を卑下することを止めるように言ったにも関わらず、自分を低く見つめて自尊心を痛め付けるような発言をする。

 徐々に変わりゆく表情は焦りと恥じらいが掻き混ぜられたように曖昧で相手の思考を上手く読み取れない。


「ごめんなさい、ごめんなさい。私なんかが烏滸おこがましい発言をしてしまって……。忘れて下さい!」


 結衣は顔を手で覆いながら優を置いて階段へと走り出した。

 何も応えられずに立ちすくしていた優はようやく声をかける。


「ちょっと待っ――」


 だが、その姿はもう階段室の扉の奥へと消えっていった後だった。

 扉の閉まる音がいつもより少し大きく耳に木霊する。


「お弁当は持って帰れよ……」


 それはまだ状況理解が追い付かずに佇む優に振り絞り出せた唯一の言葉だった。

 


 ▼


 

「え――今日は予告していた通り、歴史のテストを返却するぞ――!」

「ええ――ヤダ――!」

「要らねぇ――し、絶対点数低いじゃん!」

「ウチ、実は自信――」


 昼休みが終わり、五時限目の授業は歴史。

 騒ぎ立てる同じクラスの連中らを横目に外を眺める。

 今にも降り出しそうな空模様は僕の気持ちに左右されているのかもしれない。そんなことを思わせる程に淀んだ灰色の雨雲が校庭の上空に集まっている。

 あの後、直ぐに昼休みの終わり五分前の予鈴が鳴り響いて優もまた静かに教室へと戻ってきていた。結衣との会話は一切なく、何事もなかったかのように彼女は席で授業が始まるのを静かに待っている様子だった。


「はいはい、静かにしろ。少しくらい静かにできないのか?」


 昨年に歴史の教師として採用されたという新任の教師は少し苛立ちながらテストの答案を揃える為に教卓を叩いた。


「じゃあ返却していくが、まずは満点を取った優秀者から順に呼ぶぞ――」

 

 風が窓をノックするように軋ませるが、誰一人として反応せずにある人物に視線が集まっていく。

 凛として歩む彼女の背中を誰しもが自然と追いかけてしまう。崇拝対象であり、手を伸ばして我が物にしたがる者も大勢居るのだろう。


「まずは相も変わらず堂々の満点。雛屋結衣!」


 拍手は起こらない。

 騒がしかった先刻までのクラスの様子とは全く対照的で不気味な程までに静まり返る。

 風が窓を殴り立てる鈍い音と心做しか聞こえてくる彼女の足音だけが刹那の教室の全てを支配していた。

 教卓にまで歩み寄った結衣はいつもの愛想笑いで答案用紙を受け取る。


「まぁ――お前なら当たり前だよな?今後のこの調子で頑張ってくれよ?」

「はい。一層精進致します」


 結衣だけを見学しに来たかのように風はいつの間にか止んでいて代わりに雨が降り出した。

 

 僕は本当に嫌いだ。心の底から関わり合いたくない。そしてこんなことを容認している自分自身が一番嫌いだ。

 踵を翻して席へと戻る彼女の結衣の姿を終始横目に優はそんなことを思った。


 ☔︎


 辺りを見回しても誰一人居ない静寂と古い本の匂いだけが漂う放課後の図書室。

 放課の予鈴と同時に優は毎日のように図書室へと通っている。隅に籠って文豪達の著作物を読み漁るこの時は僕にとって至福の時間の一つだ。

 

 今日はなぜか五時限で放課となり、読書の時間が増えてしまった。有り難い限りなのだが、どうして放課が早まったのか知らない。普段ならカウンターに静かに本を読む図書委員が居るはずなのだ。しかし今日に限って姿がない。

 委員会の会議か何かだろう。早々に結論付けで雑念を振り払ってしまう。

 優はそのまま誰にも邪魔されることのない本の世界へと沈んで行った。巡回に来た守衛の声に気付かないまま、雨足は更に強さを増していく。



 ☔︎☔︎☔︎



「ああ――面白かった」


 三島由紀夫――『金閣寺』。

 終始一人称視点で描かれていき、金閣寺の美しさに魅入られて取り憑かれてしまった男が火をつけるまでの物語。

 近代日本文学を代表する作品で在りながら実は読むのが初めてだった。

 こんな傑作を読むことを忘れていたことは不覚だったが、今に読むことができて良かったと思える。静かな場所で何者にも邪魔されずに最後まで読み切ることができた。休み時間の合間に読んでいればまたこの作品への魅力や視点も変わってきたかもしれない。


「だから物語は面白いんだよな。僕も分野は違えど頑張らないといけないな」


 余韻に浸るぼやけた視界と思考で周りを見渡してもやはり他の者の気配はしない。

 ようやく何かが変だということに気付いた優は慌てて図書室を飛び出した。そして階段を駆け下りる途中で唖然としてしまう。


「そうか、今日放課が早かったのはこの為か……」


 階段の窓から見えたのは校庭を湖に変えるほどの激しい雨だった。おまけに風は五時限の比では無いほどに強く吹いて今にも割れてしまいそうだが、気持ち程度バツ印に貼られたガムテープが保っている。

 勿論、これでは帰ることはできない。

 朝から寝坊をしてしまいロクにニュースや天気予報を見ていなかったのもあるが、基本独りを貫いている為、クラスの話題にも耳を貸さなかったのが仇となってしまったらしい。


「やらかしたな……どうするかな」


 ゆっくりと階段を降りて集合玄関まで辿り着く。今、靴を履き替えたところで意味はないが、何となく外に出てみたくなった。

 蘇る泥にまみれた過去。雨が降る中で外に放り出された過去の記憶。

 あの時の気持ちを思い出して本能的に身体が前に進んだ。


 『見つけて欲しい。助けて欲しい』


 誰もいないと分かっていても扉を開けて外を確認したくなったのだ。『金閣寺』を読んだ影響かもしれない。


 忘れられない過去と向き合って見たくなった。

 


「……嘘だろ?」

 


 重く閉ざされた扉を開けるとそこにはびしょびしょに濡れた女子生徒が一人蹲っていた。

 濡れても尚、美しさを放つその風格に見覚えがあると思った瞬間、彼女は顔を上げた。


「尼乃……さん……?」


 運命かもしれない。


 そんな勘違いが過ぎるほどに出来過ぎた早すぎる邂逅を果たした相手は水も滴る聖女様、雛屋結衣だった。


 ―――――――――――――――――――――

 ご愛読ありがとうございます。

 かいむと申します。

 第二話ということでまだまだ始まったばかりの物語、暖かい目で温めて貰えると幸いです。

 フォローやいいね、レビューなど書いて頂けると作者は泣いて喜ぶと思います笑

 今後とも宜しくお願い致します。

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