16.約束
魔女との約束を取り付けた俺は、その日のずっと上機嫌だった。
臭い糞も鼻歌交じりに運んだ。
周りの奴らは俺がとうとう壊れたかと思ったようだ。気の毒そうにチラチラと俺を見ている。
しかし、頭のおかしくなった奴とは口を利きたくも無いのだろう、誰も近寄ってこない。
もちろん、俺は気にしない。
そんな中、一人だけ俺に声を掛けてきた。
「機嫌が良いな」
「あ、ど~も~。ダンさん」
俺はペコっと頭を下げた。
「早速、魔女の婆さんに会えたのか?」
ダンはそう尋ねてきた。
はいーっ!
俺は思わず、大きく頷きそうになった。
しかし、慌ててぐっと口を噤んだ。
ダンは俺に魔女の存在を教えてくれた男だ。
ここで黙っているのは礼儀に反すると思う。本当ならお礼を言うべきところだ。
だが、俺は黙っていることを選択した。
なぜなら、魔女に会う理由をネチネチと聞かれたら厄介だからだ。
俺が異世界人だなんて言えない。
その魔女にこの世界に連れて来られたなんて、ましてや、それが国王陛下の依頼だなんて言えるわけがない。
更に更に、その国王、俺の親父っす。なんてこと、口が裂けても言えないのだ。
「風呂に入れたからっすよ~、ははは」
俺は頭を掻きながら笑って誤魔化した。
「ふーん・・・」
ダンは目を細めて俺を見た。
途端に俺の体に緊張が走った。俺の嘘など見透かしているような目だ。思わず喉がゴクリと鳴った。
「そうか・・・」
だが、ダンはふっと目を逸らすと、自分の持ち場へ戻っていった。
「ほ~・・・」
俺はホッと胸を撫でおろした。
嘘付いてすいません・・・。仁義に反してすいません・・・。
俺は去っていくダンの後ろ姿に心の中で謝った。
なんか、裏切り者になった気分だ。
秘密を持つって、思っていたよりも辛いもんだな。
ダンさん。
このお礼は、俺の願いが叶った時にさせて頂きます。親父にね。
★
翌日、俺は朝から糞と堆肥の運搬を張り切った。
もしかしたら、朝一に来ているかもしれない。だって年寄りって朝早いし。
俺はそう期待しながら、リヤカーを運ぶ。
重たくても、気持ちが急いて、いつもより早く丘を登る。
必死になってやっと丘を登り、畑と林が見渡せる場所で一息ついた。
そして、期待を込めて下を流れる小川を見る。
「まだ、いないか・・・」
やっぱり、ちっと早いか。
畑からの帰る頃にはいるはずだ。
そう思っていたのだが・・・。
畑から空のリヤカーを引っ張り、丘の上に辿り着いた時、小川の畔には誰もいなかった。
「諦めるな! きっと来る。来てくれる!」
俺は思わず声に出して自分を鼓舞した。
次、運び終わった頃にはきっといるはずだ!
そう思っていたが、次も誰もいなかった。
そして次も。その次も・・・。
とうとう午前中が終わり、午後の作業に入ってしまった。
それでも、小川の側には誰もいなかった。
これで何度目の往復だろうか・・・。
俺は朝の元気なんてこれっぽっちも残っておらず、畑から家畜小屋へ戻る道を、俺はだらしなくリヤカーを引いて歩いていた。
空を見上げると、夕日が美しい。
その夕日が目に染みた。
「約束なんて守ってくれるわけないか・・・」
俺は空に向かって呟いた。
約束って言ったって、俺が一方的に押し付けただけだ。
約束だなんて思っているのは、きっと俺だけだ。
なぜなら、今の俺は奴隷なのだから。
奴隷の頼みなんて、誰が聞くだろう。
改めて自分の立場を思い知る。
約束を反故された悔しさというより、約束を約束と思われなかった事に絶望した。
深く溜息を付いて、チロリと小川を見た。
「え・・・?」
俺は一瞬、目を疑った。
小川の畔に小さい人物が小柄な馬と立っていた。
こちらを見上げて、じっとしている。
間違いない。あの服装。
昨日と同じ白いコートを身に纏い、フードを被っている。
フードを目深に被っているのにも関わらず、顔を布で隠しているのが分かった。
「魔女さん!!」
俺は飛び上がって叫んだ。
絶望が歓喜に変わる。
俺はリヤカーを捨て置くと、転がるように魔女に向かって走り出した。
「わわわっ!」
俺は丘の傾斜の事など考えず、勢いよく駆け下りたので、本当に転がってしまった。
ゴロゴロゴロっと転がり落ち、そのまま小川にザッバーンっと落ちてしまった。
「だ、大丈夫か?」
魔女の老婆は驚いたように、俺に声を掛けてくれた。
なんだぁ! ババア、良い奴じゃないか!
「わははっ! ぜーんぜん大丈夫っす! 汚れてたから丁度いいっす!」
俺は勢いよく立ち上がると、手と顔をゴシゴシ洗った。
ブルブルっと頭を振ると、ズンズンと水の中を歩き、小川から上がった。
次の瞬間には、ガバッと勢いよく老婆の前に土下座した。
「来てくれてありがとうございます!」
俺は顔を上げ、老婆を見た。
フードを深く被っただけでなく、美しい模様の布で顔を覆っているので、普通に対峙していたら、顔はほとんど見えないだろう。
だが、俺は下から老婆を見上げているので、目が見えた。
俺はしっかりと老婆の目を見据えると、
「お願いです! 俺を元の世界に返してください。魔女様!」
そう叫び、もう一度、頭を下げた。
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