16.約束

魔女との約束を取り付けた俺は、その日のずっと上機嫌だった。

臭い糞も鼻歌交じりに運んだ。


周りの奴らは俺がとうとう壊れたかと思ったようだ。気の毒そうにチラチラと俺を見ている。

しかし、頭のおかしくなった奴とは口を利きたくも無いのだろう、誰も近寄ってこない。

もちろん、俺は気にしない。


そんな中、一人だけ俺に声を掛けてきた。


「機嫌が良いな」


「あ、ど~も~。ダンさん」


俺はペコっと頭を下げた。


「早速、魔女の婆さんに会えたのか?」


ダンはそう尋ねてきた。


はいーっ!


俺は思わず、大きく頷きそうになった。

しかし、慌ててぐっと口を噤んだ。


ダンは俺に魔女の存在を教えてくれた男だ。

ここで黙っているのは礼儀に反すると思う。本当ならお礼を言うべきところだ。


だが、俺は黙っていることを選択した。


なぜなら、魔女に会う理由をネチネチと聞かれたら厄介だからだ。


俺が異世界人だなんて言えない。

その魔女にこの世界に連れて来られたなんて、ましてや、それが国王陛下の依頼だなんて言えるわけがない。

更に更に、その国王、俺の親父っす。なんてこと、口が裂けても言えないのだ。


「風呂に入れたからっすよ~、ははは」


俺は頭を掻きながら笑って誤魔化した。


「ふーん・・・」


ダンは目を細めて俺を見た。

途端に俺の体に緊張が走った。俺の嘘など見透かしているような目だ。思わず喉がゴクリと鳴った。


「そうか・・・」


だが、ダンはふっと目を逸らすと、自分の持ち場へ戻っていった。


「ほ~・・・」


俺はホッと胸を撫でおろした。


嘘付いてすいません・・・。仁義に反してすいません・・・。


俺は去っていくダンの後ろ姿に心の中で謝った。


なんか、裏切り者になった気分だ。

秘密を持つって、思っていたよりも辛いもんだな。


ダンさん。

このお礼は、俺の願いが叶った時にさせて頂きます。親父にね。





翌日、俺は朝から糞と堆肥の運搬を張り切った。


もしかしたら、朝一に来ているかもしれない。だって年寄りって朝早いし。


俺はそう期待しながら、リヤカーを運ぶ。

重たくても、気持ちが急いて、いつもより早く丘を登る。

必死になってやっと丘を登り、畑と林が見渡せる場所で一息ついた。

そして、期待を込めて下を流れる小川を見る。


「まだ、いないか・・・」


やっぱり、ちっと早いか。

畑からの帰る頃にはいるはずだ。


そう思っていたのだが・・・。


畑から空のリヤカーを引っ張り、丘の上に辿り着いた時、小川の畔には誰もいなかった。


「諦めるな! きっと来る。来てくれる!」


俺は思わず声に出して自分を鼓舞した。

次、運び終わった頃にはきっといるはずだ!


そう思っていたが、次も誰もいなかった。

そして次も。その次も・・・。


とうとう午前中が終わり、午後の作業に入ってしまった。

それでも、小川の側には誰もいなかった。


これで何度目の往復だろうか・・・。

俺は朝の元気なんてこれっぽっちも残っておらず、畑から家畜小屋へ戻る道を、俺はだらしなくリヤカーを引いて歩いていた。


空を見上げると、夕日が美しい。

その夕日が目に染みた。


「約束なんて守ってくれるわけないか・・・」


俺は空に向かって呟いた。


約束って言ったって、俺が一方的に押し付けただけだ。

約束だなんて思っているのは、きっと俺だけだ。


なぜなら、今の俺は奴隷なのだから。

奴隷の頼みなんて、誰が聞くだろう。


改めて自分の立場を思い知る。

約束を反故された悔しさというより、約束を約束と思われなかった事に絶望した。


深く溜息を付いて、チロリと小川を見た。


「え・・・?」


俺は一瞬、目を疑った。


小川の畔に小さい人物が小柄な馬と立っていた。

こちらを見上げて、じっとしている。


間違いない。あの服装。

昨日と同じ白いコートを身に纏い、フードを被っている。

フードを目深に被っているのにも関わらず、顔を布で隠しているのが分かった。


「魔女さん!!」


俺は飛び上がって叫んだ。

絶望が歓喜に変わる。


俺はリヤカーを捨て置くと、転がるように魔女に向かって走り出した。


「わわわっ!」


俺は丘の傾斜の事など考えず、勢いよく駆け下りたので、本当に転がってしまった。

ゴロゴロゴロっと転がり落ち、そのまま小川にザッバーンっと落ちてしまった。


「だ、大丈夫か?」


魔女の老婆は驚いたように、俺に声を掛けてくれた。

なんだぁ! ババア、良い奴じゃないか!


「わははっ! ぜーんぜん大丈夫っす! 汚れてたから丁度いいっす!」


俺は勢いよく立ち上がると、手と顔をゴシゴシ洗った。

ブルブルっと頭を振ると、ズンズンと水の中を歩き、小川から上がった。


次の瞬間には、ガバッと勢いよく老婆の前に土下座した。


「来てくれてありがとうございます!」


俺は顔を上げ、老婆を見た。

フードを深く被っただけでなく、美しい模様の布で顔を覆っているので、普通に対峙していたら、顔はほとんど見えないだろう。

だが、俺は下から老婆を見上げているので、目が見えた。


俺はしっかりと老婆の目を見据えると、


「お願いです! 俺を元の世界に返してください。魔女様!」


そう叫び、もう一度、頭を下げた。

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