15.魔女

この小川は浅い。

膝よりは上まで水かさはあるにしても、そんな程度の深さは大したことない。

それに水も綺麗なので、俺は全く躊躇なく中に飛び込んだ。


ザクザクと岩まで歩き、布を拾い上げた。

綺麗な花柄の布だ。スカーフか?


俺は掴んだスカーフを婆さんに見せるように振り向いた。


婆さんはフードを深く被っているものの、俺のことは見えているようだ。

顔の前で手を叩いた。


お、喜んでるな。よしよし、これで一つ貸しが出来たぞ!


俺は自然と笑みがこぼれた。いや、ニヤけたと言った方がいい。

だって、これで頼み事がし易くなるもん。


バシャバシャと大股で歩き、急いで岸に戻ると、婆さんにスカーフを差し出した。


「・・・!」


俺がドヤ~!?っとばかりに勢いよく差し出したせいか、婆さんは一瞬怯んだ。


いや、違うか?

俺が奴隷だから、怯んだのか?

クサいから? 汚いから?


よく見ると、この婆さん、身なりが良い。

フード付きのコートは俺たちのような素朴な麻の素材じゃない。

柔らかそうなオフホワイトの生地で、淵には金糸で何やら柄があしらわれているし、コートの裾から見える長いスカートも、なんかとても綺麗な模様だ。

靴はスカートが長過ぎて見えない。


こんな良い身なりしてるんじゃ、絶対王室付きの魔女でしょ?


俺は心の中でそう確信するも、魔女に会えた喜びが一瞬消え、拒絶されたことに胸が痛んだ。


ああ、偉いんでしょうね・・・、きっと。

奴隷なんて、口を利く価値も無いんでしょうね。


俺は受け取ってもらえないスカーフをどうしていいか分からず、手を下ろしかけた。

すると、魔女は慌てて手を差し出し、オズオズと俺からスカーフを受け取った。


「礼を言う」


掠れた小さい声が聞こえた。


「いいえ、大したことないです! このくらい!」


そうだ、差別を受けたからって凹んでなんかいられるか!

凹んでいる暇なんて無いのだ、俺には!

この機会を逃してはならない!!


俺は勢いよく小川から上がると、グイっと魔女に近づいた。


「!」


魔女は驚いたように一歩下がった。

俺はさらに一歩詰める。

そして、その場に勢いよく土下座した。


「『礼を言う』と言うのなら、どうか、そのお礼に、俺の願いを聞いてくださいっ!」


「ね、願い・・・?」


魔女は困惑気味に呟いた。


「はい! 俺を・・・!」


俺は顔上げた。そして魔女を見た。

その時、魔女の肩越しに、小さい人影が見えた。


そう、丘の上!

俺の置きっぱなしのリヤカーに人が近づいてくる!


やべえ! あいつ、家畜小屋の奴隷の一人だ! 

サボリをジンにチクられたら、きっと飯抜きだ!

くそ~! いつもならそうそう往来は無いのに!


俺は飛び上がるように起き上がった。


「明日! また明日、ここに来てください、この時間に! 話はその時に! 絶対来てください!! マジで来てください!! お願いしゃーすっ!!」


俺は勢いよく頭を下げると、リヤカーに向かって走り出した。


俺はこの時、サボリがバレてしまう事の焦りと、魔女に出会えたこの『偶然』に対する喜びで頭がいっぱいだった。

だから、すぐに気付いてもおかしくない違和感に、全く気が付かなかったのだ。


きっと、栄養不足で頭がまともに働いていなかったに違いない。


100歳越えのババア + 身なりが良い = 魔女(しかも王室付きで偉い)


そう決め付けていた。


魔女 = 魔法使い


一番基本的なことが頭から抜けていた。


つまり、魔法を使えるはずなのだ。

川に落ちたスカーフなんぞ、簡単に引き寄せられるはずなのだ。


俺は翌日になるまで、こんな単純な違和感に全く気が付かなかった。





奴隷の青年が、勢いよく丘を上がっていく。


老婆はその後ろ姿を、何も言う暇もなく見送った。


丘の上で、リヤカーを手に青年は歩き出す。

そこに別の奴隷が近寄ってきて、何やら話すと、青年の尻を蹴り上げた。

尻を蹴られても、青年はペコペコと頭を下げ、怒る様子はない。

蹴った方の奴隷は、それを見て満足したのか、軽く青年の頭をグルグル撫でると、反対方向に歩いて行った。


青年はチラリと老婆の方を見た。

こちらに向かって軽く頭を下げ、手を振る。

そして、リヤカーを引いて歩き出した。


「明日もここにと言われても・・・」


老婆は困惑したまま、青年の姿が見えなくなるまで見つめていた。

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