死因
県内屈指の進学校のそのまたさらに成績のいい者だけが集められた特別クラスに、私は何とかぎりぎりで滑り込めた。
そこにいるのはさぞや天才ぞろいなのだろうと思ったが、初日、数人と話してみたところ、皆それほど変わった人たちではなく、それぞれ頭はいいのだが、同じ人間とは思えないほど優れた人間はひとりもいなかった。
そう、どちらかと言えば、自分を別の角度から見ているような、そんな気持ちになるような人物が多かった。努力家で、自分に厳しくて、他の人には親切にしようと頑張っていて、それでいて、最低限自分のわがままを押し通すだけの強さがあるような、そんな、凡人という枠の中ではもっともできのいい、秀才という言葉が似あう人物。もちろん、自分で自分のことを秀才と呼ぶのは傲慢でおかしなことだというのは理解しているが、しかしおそらく自分とまったく同じ人間を、別の個体の自分の目から眺めたら、「典型的な秀才タイプ」と判定することが容易に想像できるため、そう形容するしかないのだ。
とはいえ、皆が皆そういうタイプだったわけではなく、何人かは変わった人がいた。めちゃくちゃ空気が読めない人や、字が読めないほど汚い人。暗算が異常なほど速い人や、一度言われたことは決して忘れない人もいた。でもどんな人も、そういった得意分野に関しては天才であっても、それ以外の部分では、凡庸であったり、場合によっては人より劣っていたりもした。
最初のホームルームで、変人と言わざるを得ないような男の子が、自己紹介の時に「それぞれが思う生きる意味について語っていこう」と言い出して、誰も反対しなかったので、四十人全員が各々生きる意味について語ることになった。
私は面倒なことになったなと思いつつ、他の人がどんなことを言うのかなと興味深くも思った。私自身は、生きる意味なんて考えるのは意味のないことだと思っていたが、それを正直に口出すほど愚かでもないので、適当に「人の生きる意味とは、他の人の役にたつことです」みたいな模範的な回答をしておこうと思った。
それぞれが生きる意味について語り始めたが、はじめのうちはどれもこれもありきたりで、模範的な回答や、ふざけた回答ばかりで、感心させられたり、考えされられるようなことは全くなかった。
つまらないな、と思ってたところ、私の番が回ってきて、なんとなく正直に語りたい気分になったので、ちょっとどうかなと思ったけれど、言ってしまうことにした。
「生きる意味はわからないですけど、私は自分が楽しく生きていけたらそれでいいと思っています」
退屈そうにしていたみんなが笑顔になって、他の人より少し多めの拍手をもらえた。おそらくは、大半の人は同じ意見だと思う。ただ、それを正直に口に出すのは少し難しい。私はそれをしたから、共感と尊敬を得られた。
私は満足げに着席し、今日もうまく自分を演じられたぞ、といい気分になった。
その先はそれぞれちょっとずつ正直になっていき、面白い回答も増えてきた。
「生きる意味なんてないと思います」と正直に言った男の子もいた。思ったより雰囲気は悪くならなかったし、「そういう意見もあると思う」といった表情をしている人も多かった。
そんな中、私の右隣の男の子の番になった。彼は緊張しているようで、声は震えていた。早口で、一刻も早く終わらせたいといった感じだった。そういう人は他にもいたけれど、彼の声は震えつつも妙にしっかりしており、よく通っていた。だから、皆、彼の言葉を静かに聞いていた。奇妙なほどに教室は静まり返っていた。
いや、他の人が話すときも、教室は静かだったのだが、どうにも、彼の間の置き方が、聞き手に静けさを意識させるようなものなのだ。おそらく、彼自身はそれに気づいていない。
「俺は生きる意味がわからないので、それを見つけるために生きています」
彼はそう言って、拍手が起こる前に着席し、ばつが悪そうに顔をしかめてうつむいた。皆は遅れて拍手をした。
私は一瞬、彼がうまいことを言おうとしたのかな、と思った。というのも「生きる意味を探すために生きる、それが生きる意味である」というような、少しメタ的な考え方、つまり、問い自体を利用して答えるやり方は、頭はいいが精神的に幼稚な人間が好む、とんちのような答えだったからだ。
だが、もし彼がそれで得意気になるつもりだったのならば、もっと別の表情と話し方があったと思う。彼は「できれば他の人の印象に残りたくない」というような、早く終わらせたそうな態度と表情でその言葉を口にしたし、同時に、その言葉には、妙な重みがあった。
私は彼に興味を持って、その横顔を観察したが、彼は他の人間の視線に一切興味がない様子だった。と思えば、急にきょろきょろし始めたり、誰かをじっと見つめることもあった。私のことを見つめているときもあり、私が目を合わせようとすると、彼は必ず目をそらし、それだけでなく、逆の方を見つめ始めた。まるで、左右のバランスをとるみたいに。
彼の動きのほとんどはぎこちなかった。言葉も、人とのかかわり方も。挨拶は、されたら返していたし、元気な挨拶には、元気に返し、小さい声には、小さい声で返していた。言葉にすると自然なように聞こえるが、しかし実際に見ると、なんだか他の国から来た人のような、ぎこちなさがそこにはあった。
もちろん、四十人もいるのだから、コミュニケーションが苦手な人や、友達がうまく作れない人は他にもいた。でも彼の場合は、コミュニケーションには一切問題がなく、いつも背筋が伸びていて、言葉もはっきりしていて、親切でもあった。それでいて、どこか人との間に距離があって、常に何かを隠しているような雰囲気があった。それも、後ろ暗いことがあるからというよりも、単に他の人に迷惑をかけないため、といった感じだった。
もしそれを演じていたのならば、一種の中二病的な、自分を特別な存在だと思い込み、誰かに注目されていたいからそうする類のもので、しごく健康的なものだから放っておけばいいのだけれど、彼の場合は、もう少し、病的なものを含んでいるように感じられた。もっと慢性的で、長く続き、彼の心身を貪るような、そんな何かが彼にはあるような気がした。
私は何度か彼に声をかけて、個人的な質問をしたが、彼は当たり障りのない返事をした。「兄弟はいるの?」と聞くと「妹がひとり」と答えた。「かわいい?」と尋ねると「普通だよ」と返した。「いい子ではある」と付け足して、彼は目を合わせてほほ笑んだ。模範的な回答だと思う反面、その声色が穏やかすぎることに、私は違和感を覚えた。
「私一人っ子だから羨ましいなぁ」
もし普通の人なら、兄弟も兄弟で大変なことがあるとか、一人っ子は親から大切にしてもらえるとか、そういうことを言ってバランスをとると思う。でも彼は、変わらず、穏やかな表情と声色で、こういった。
「妹がいてよかったと思うことは多いよ」
「たとえば?」
「遊び相手には困らなかった。それに、親がいなくても寂しい思いをすることも少なかった」
私はこのとき、彼がどういう人間なのか理解した。彼は、正直な人間なのだ。そして、どこまでも自省的で、よく悩み、それでいて、しっかりとした答えを見つけ、その答えに自分を従わせる人間なのだ。
理解してしまえばもう退屈だ。私は彼に興味を失った。彼は私よりも成績がよく、その成績を気にすることもなかった。部活には入っていなかったが、彼の体力テストの成績がよかったことは、他の男子生徒が噂していた。何かスポーツをしていたのかと聞くと、中学時代にはサッカーをしていて、今は何もしていないとのこと。その理由は、体力が持たないと思ったからだそうだ。
おそらく彼は、人生をうまく運んでいくタイプの人間なのだろうと思った。なんの苦もなく名門大学によい成績で入り、そこでもよい成績を修め、国家公務員か、大手企業か、人が羨むようなエリートコースを順調に歩んでいくのだろうと思った。
だが彼は、三か月で学校に来なくなった。そして、次の年、亡くなったことが知らされた。自殺だったそうだ。
私は、それを聞いた時「生きる意味がわからないから、それを見つけるために生きている」と言っていたことを思い出した。彼は生きる意味をこの一年で見つけたのだろうか? と少し考えてみた。
そして私が思ったことは、おそらく彼は、生きる意味よりも先に、死ぬ意味の方を見つけたのだろうということだった。
生きる意味にも死ぬ意味にも興味のない私は、波はあれど、まぁまぁ悪くない人生を歩んでいけると思う。
ただ、人生の、哲学的問いに対して真剣になりすぎる人間は、その分だけ危険な目に遭うのだろうと、他人事として思うばかりであった。
大学生になってから、少し彼と雰囲気の似ている人と付き合うことになったのだが、彼にこのことを話すと、こう返してきた。
「僕らは、哲学的問いを持とうと思ってそうしているわけではなくて、生きていく中で、どうしようもなく自分の力では逃げられないことがあると、考えることによってそれを解決しようとする。でもそれがうまくいかなくて、それでも諦めがつかないと、それは自然と、普遍的な問いとしての性格を帯びていく。たとえ目の前の現実的な問題が時間によって解決されても、同じ問題がこの世にまだ存在しているという事実自体が、僕らの精神を脅かすんだ」
彼と一緒にいるのは楽しいから付き合っているが、彼と生涯を共にする気にはなれなかった。おそらく彼もそうだろうと思う。
前に、彼に「君はいつか自殺する?」と聞くと、彼は笑って答えた。
「するかもしれないけど、僕なら、自殺だとわからないように死ぬね」
「どうして?」
「その方が人を悲しませずに済むから」
どうでもいいもの あくへき @kuruttenai
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