自殺相談所ループヘル①
十年という節目は、なかなか人を不思議な気持ちにさせる。
干支は十二で、西暦は十進法なのが、なんとも調和していなくて気分が悪くなる私の気持ちがわかる人はいるだろうか?
ともあれ、節目というのは人それぞれで、私にとっては2023年が、節目になる年だった。
仕事をやめたのが、2022年。貯金はすぐに底をつき、実家に戻って老いた親のすねをかじって生きてきた。父親は二年前に心臓疾患で他界し、母は父の残した貯金を使い果たすことが人生の目標と言いながら散財を繰り返したが、数か月前に交通事故という不運に見舞われて亡くなった。
年末は母の葬式で忙しかったが、それが済んだ今、やることもなくなって、ぼんやり日々を過ごしている。十年だ。私が何もせずに過ごした期間は。
両親は優しい人で、私に働くよう迫ったり、何らかの生活の圧迫を加えてくるようなことはなかった。最低限家事は手伝っていたが、そのことについて感謝の言葉をかけてくれたほどだった。
「今は嫌な時代だからねぇ。敏みたいな優しい子には、生きづらい世の中だよ」
いつも明るくて活発だった母は、見ているテレビの中で、引きこもりや無職について悪くいう人が写るたびに、そんな風に言って息子の存在を正当化した。私はわざわざ否定するつもりもなかったし、昔の職場で人からひどいことを言われるのには慣れていて、無意識的に不特定多数を敵に回す芸能人の言葉程度では動じなかったので、同調することもなかった。
ともあれ、十年である。
自殺するなら、誰にも迷惑がかからないような方法で死にたかった。見ず知らずの人に対しても、できるだけ迷惑をかけず、身辺の整理をちゃんとして、誰かを心配させるようなこともなく、穏やかに死にたかった。
いや、本当はもっと早く死ぬべきだったのかもしれない。私はずいぶん両親に迷惑をかけてきたし、親戚にも迷惑をかけてきた。もっと早く死んでおけば、私のために消えていった資源や金が、それをもっと必要とするほかの誰かのもとへ届いたかもしれない。
私は怠惰で発展性のない人間だから、さっさと死んでしまうのが人類にとってよりよいことなのだと、私の貧しい理性は言っている。私に価値はない。そして私は、このちっぽけな理性に従うことが、私の最後に残った小さな意地であり、プライドであるような気がした。
自殺相談所ループヘル
そこのあなた、自殺に興味ありませんか?
相談料無料!
日課の散歩の途中、近所の公園そばの電柱に、見慣れないチラシが張ってあった。このご時世、ネットではなくチラシで広告を出すのは珍しいうえに、その絵柄は極めて明るく楽し気で、いたずらにしてはイラストのクオリティも高かった。
私は、なんとなく心惹かれて、その場で書かれている電話番号にかけてみた。
「現在おかけになった番号は……」
やっぱりいたずらだったかとため息をついて携帯を切った瞬間、後ろから声がかかった。
「おっさん。自殺したいん?」
近づいてくるのは、少年だった。野球帽をかぶっており、冬なのに短パンを履いていた。
「どんなふうに死にたいん? やっぱり派手に焼死とか? ビル街で飛び降りて、えげつない死体で通行人驚かせたる? それとも、いっぱい無実の人をぶち殺してから、死刑にしてもらうっていう遠回りな方法でもいいぜ」
少年はへらへらと笑いながら、何して遊ぶ? と聞くかのような明るさと軽さで、そう尋ねてきた。私は、その少年がなんでそんなことを言うのか疑問に思ったが、でも私にそんな疑問を口にする資格はないような気がした。
まずは、問われた質問には、答えなくてはならない。
「あ、あの」
久しぶりに人と話すから、声がかすれて、うまく声が出なかった。咳払いをして「すいません」と謝ってから、言い直す。
「できるだけ、誰にも迷惑をかけないような方法で、と考えておりました」
「ほーん。迷惑をかけない、ね。それだと山の中で穴掘って、ODしてからその中に埋まるとかかな? うーん。それもまぁ、骨が見つかったときに騒ぎになる可能性があるからなぁ。湖とかでも同じだし、海ならまぁ、いいかもしれないけど。それか、迷惑をかけたくないのがこの国の人限定なら、海外に行ってから死んだり、誰かの役に立ちたいなら臓器売買してからなんていうのもアリだと思うぜ」
「その、なんというか、私、難しいことはできません」
「難しいこと?」
「はい。私は無能で、何もできない人間なので。海外に行くと言っても、多分それまでの間にたくさんミスをして、人に迷惑をかけてしまいます。それに、環境を変えたら、欲も出てきて、人に迷惑をかけるのに、もう少し生きていたいと思ってしまうかもしれません。だから、できるだけ早く、静かに死にたいんです」
「ふーん。おっさんみたいな人、この時代はけっこういるけど、あんまうまくいかないぜ、お前。人に迷惑かけないようにとか諦めて、手っ取り早くその辺の縄で首吊って死ぬのがいいと思うぜ。迷惑はかけるけど、もういいだろ。めんどくせぇだろ?」
「でも、最後くらい、誰にも迷惑かけたくないんです」
「お前今、俺に迷惑かけてるけど、それはいいんか?」
「すいません」
「正直お前、人に迷惑かけるとかどうでもいいだろ。ただ、この先生きるのが苦しくて死にたいんだろ? そのくせ、死ぬのが怖いから、先延ばしにしたくて、死に方を決めかねている。死に方がわからないうちは、死ななくていいもんなぁ!」
私は何も答えられなかった。その通りだと思ったのだ。胸が痛くて、目もかすんで、涙がこぼれそうだったが、堪えた。死んでしまいたいと思う癖に、私は死ぬのが怖いのだ。
「ま、おっさん。死ぬのが怖いのはみんな同じだ。だが、それを克服して自殺するのが、人間として立派だってことだ。だってそうだろう? 人間以外に自殺する生き物はいない。俺は何千年といろいろな生き物を見てきたがな、動物が自殺をするところを見たことがない。もちろん、生きる気持ちを失って、死ぬに任せるようなことはいくらでもあるがな。まだまだ生きられるのに、それも幸福になれるのに、そのすべての未来や可能性を自らの意志で断ち切り、そこで終わらせられる生物は人間だけだ。自殺は、人間の可能性の中でもっとも価値のあるものではないものの、少なくとも惰性と欲望に任せてぐだぐだ生きるよりは、ずっと人間らしく、生物として高度だ。おっさん。誇れ。自殺したいと思うことに。そしてそれが、お前にとって実行可能であるということに」
言葉のほとんどは私の頭の中に入ってこなかった。ただ、ひとつの疑問だけが私の頭を支配していた。
「あなたは、何なんですか?」
「お前たちが悪魔と呼ぶものだ。だからおっさん、安心しろ。お前が今迷惑をかけている相手は、人間に迷惑をかけることをその存在意義とする邪悪な存在だ。だが同時に、俺はお前にこう教えてやろう。この世には、神はいない。いなくなった。今は悪魔しか存在しない。そして悪魔は、人間が生み出した、はじめての概念的存在。人間の、認められなかった精神が分離して、自我と肉体を持ったんだ。俺の言っていることがわかるか?」
「わかりません」
「そうか。お前は出来の悪い人間だ。死んだほうがいいな。よし。それじゃあどうやって死ぬ?」
「私、死ぬのが怖いんです。それに、自殺したら、天国に行けないという話があるのも、十年も踏みとどまっていた理由のひとつなんです」
「あぁ。じゃあ俺が殺してやろう。俺に殺されたら、天国には行けるらしいぞ。もちろん、魂を奪ったりもしない。というか、魂なんて存在しないのだから、どうやってそれを奪ったり、契約を結んだりするんだ? いもしない神を信じている連中の考えていることはわからんが、まぁいい。天国なんてものはないが、お前がそれを不安に思うなら、優しい俺が、その不安を消し去ってやろう。お前は、俺に殺されるという、自殺の方法をとる」
少年の姿をした悪魔が、ふところから出刃包丁を取り出して向けてきたとき、私は本能的に恐怖を感じて、背を向けて逃げ出そうとした。だが、それは失礼なことであるような気がして、立ち止まろうとしたが、理性と矛盾した感情が、私を転ばせた。膝をつき、振り返る。包丁を持った悪魔が、近づいてくる。
「ま、待ってください」
「なんだ。まだ何かあるのか」
「や、いや、もっと、もっと痛くない方法で死にたいです」
少年は、包丁を見つめて、納得したようにうなずいた。
「確かに、この方法だとひどく苦しむかもしれないな」
「ですよね。だから、もっと別の方法がいいです」
「わかった。それじゃあ、お前が眠っている間に、ことを済ませてやる」
「それは嫌です!」
「なんだ。じゃあどうすればいい」
私は頭を悩ませた。私は死ぬのが怖かったのだ。
「その、今年の終わりまで待ってください。私が仕事をやめたのは十一月で、まだ九年と二か月しか経っていないんです。いくらなんでも、きりが悪いと思うんです」
「ふむ。まぁ、確かに気持ちを整理する時間も必要か」
「すみません。ありがとうございます」
そうして私は少なくとも十一月まで生き残ることになったが、私はひそかに、そのときになったら、干支のことを話題に出して、あと二年生きようと思った。そしてそのときには、十二というのはいまいち区切りが悪いということで、十五年まで引き伸ばそうと思った。そのあとのことはまだ考えていないが、考えるのもめんどくさかったので、気にしないことにした。
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