それはそれで

 誰もが気持ちよくなりたいと思っている。誰もが、自分に注目してほしいと思っている。誰もが、自分のために何かがあってほしいと思っている。


 この社会が気持ち悪い理由は、ある種のそういった「同じ」であることの矛盾性である。

 たとえば、十人の人間がいたとする。そのうちのひとりが、残りの九人に、自分に注目してほしいと思っている。でも彼が注目できる人間は、多くて二人程度だ。

 そして、十人いる中の十人とも全員が、彼と同じように考えている。彼自身は、二人にしか注目できないのに、残りの九人全員から注目されたいと考えている。


 極端な話、現代はこういう風な構図でできている。皆、自分が自分がと前に出ようとする。あるいは、自分を前に出させてくれる存在を、褒めて、注目しようとする。


 誰もが、自分自身が他の人より優れていてほしいと思っており、そういう状況を作り出すのに躍起になっている。それも、ほとんど無意識的に。


 それがうまくできている人間と、うまくできていない人間がいる。やる気のない人間は、多分全体の二三割くらいしかいない。言い換えれば、満たされていて、幸せな人間のこと。


 ともかく、ぼくらは生きるのにうんざりしているし、色々なことがめんどくさくなっている。


 そのくせ、他の人間たちと同じように、ぼくらは尊敬されていたいし、注目されていたいし、愛されていたいのだ。

 はっきりいって、苦しみから楽に逃れる方法などありはしないのだ。別の苦しみを引き受けるか、あるいは死ぬかくらいしか、ぼくらに選択肢はない。

 自殺教唆などするつもりはないが、生きることがそんなにいいことではないということくらいは、別に言ったってかまわないと思う。生きてりゃ何かいいことがあるのは事実だが、まぁそれは、詰まっていた大便が気持ちよく出てきた程度のいいことだ。

 それか、一生懸命やった仕事を人が評価してくれて「やるじゃないか」と言ってもらえる程度のことだ。それだけのために、ひどく苦しむことに納得できる人は、人生をうまく歩んでいけるタイプのおめでたい人だ。羨ましい限りだ。



 日向ぼっこして生きること。存在が無駄であること。誰かが言葉にする幸せに唾を吐くこと。うるさい世間の声に耳を塞ぐこと。

 世捨て人の言葉に耳を傾けては、バカみたいだがほんのちょっと正しいかもしれないと思って笑うこと。



 自分は特別な人間になるんだと意気込んでいた時期もあった。

 そうなんだと確信していた時期もあった。恥ずかしいことだ。


 ただ自分の無意味さと凡庸さに向き合って、まぁそれでもいいかと納得して、それでただなんとなく生きる日々に、奇妙な不快感を覚えて。

 でもどうすることもできなくて。時間だけが過ぎ去っていくのに、その時間はあっという間と呼ぶにはあまりにねばついていて、苦痛に満ちていて。考えるべきことはあまりに多くて、うんざりする瞬間ばかりで。

 自分の存在が無意味だとしても、この社会や世界には意味があると思うと、僕らは、どうしても多くの情報を取り入れて、少しでも貢献できないかと考えるようになる。

 でも、それができないし、できたとしても、うんざりする。なんでうんざりしているのかもわからないまま僕らは、どうでもいいと思うようになる。


 いつだって僕らにとって重要なのは、理想やら理念やらじゃなくて、単に自分が満たされているかどうかなのだ。悲しいほどに、空しいほどに、満たされていなければ、理想や理念のために動くことなどできやしないのだ。

 ということで、自分を幸せにすることを第一の目標にするのが最善手なので、真面目な皆さんはそうしてください。できるだけ疑念を抱かずに。抱いてしまったら、能天気な誰かに相談して「そんなに深く考えなくてもいいよ」という素晴らしいアドバイスに従ってください。

 それすらできない人は、吐き気をこらえたまま一緒に生きていこうね。大丈夫。いずれみんな、ぼくらと同じ苦しみにあえぐことになる。二十年かな。三十年かな。わからないけれど、ぼくらは少し先を行っているだけ。ぼくらの凡庸さがぼくらにそう言っているんだ。

 お前は特別じゃない。お前と同じ苦しみを抱いている人間が少ないのは、時代の凡庸さが、お前の凡庸さに追い付いていないからだ。

 お前が体験してきたこととお前が考えてきたことは、誰でも体験できることだし、誰でも考えられることだ。まだそうした人が少ないのは、時間が十分に経っていないからだ。時代がまだまだ動物的で、人間的になっていないからだ。

 くだらないことで悩む生き物である人間が、くだらないことで悩む余裕をまだ持っていないからだ。

 大丈夫。この先人間の生活はどんどん暇になり、空虚になり、くだらなくなり、娯楽に飽き、自らのむなしさに向き合い、意味の乏しいものをたくさんつくりだしては、死にたくなっていくのだ。そうだ。皆、死にたくなっていくのだ。ぼくらと同じように。


 ある意味において、それこそがぼくらの悲願であり、絶望でもある。ぼくらの優しさは、他の人にぼくらと同じ苦しみを味わってほしくないと願う。

 でもぼくらの苦しみそのものや孤独は、他の人間もぼくらと同じように苦しめばいいと思う。苦しんでくれれば、ぼくらは癒されるし、なんとなく安心できるような気がしている。


 でも大丈夫。誰が何といおうと、世界はどんどん苦しみの方向に向かっている。世界はだんだん天国のようになっていくけれど、ぼくらの精神はだんだん地獄のようになっていく。それでいいのだ。そうであるべきなのだ。そうなってしまうのだから、そう思うしかないのだ。


 だから、ぼくらのくだらない悩みや苦しみは、それがどんなものであってもしごく正当なもので、真剣になるに値するものなのだ。

 当然、他の人間のくだらない悩みや苦しみには、誰も目を向けない。だから君やぼくの悩みや苦しみにも、他の人は目を向けない。それでいいじゃないか。それの何がいけないんだ?


 割り切っていこう。人間性を。

 切り裂いていこう。大切にしてきた感情を。


 だいたいどんなものもどろどろでできている。ぼくらの愛するものも、ぼくらの憎むものも、切り開いたならどれも中身はどろっどろ。いいじゃないか。それはそれで。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る