知性主義者

知能が高い人は知能が低い人を見下す傾向にある。

また、自制心が強い人間は、自制心が弱い人間を見下す傾向にある。

我慢することが得意な人間は、我慢できない人間を見下す傾向にある。

勉学が得意な人間は、勉学ができない人間を目下す傾向にある。


さらに、人間は自らの想定している「他者」の範疇外の存在を無視し、できる限り自分から遠ざけたいと思うようにできている。ここでいう「想定範囲内の他者」とは言い換えれば「コミュニケーションが通用する相手」のことである。


自分の言いたいことがうまく伝わらないということほど、意味もなく苛立つことはない。それを相手のせいにするのは自然な心の動きだが、高度な精神性を有している人間は、自分の言い方に問題があるのだと工夫する。その努力の程度が大きければ大きいほど、その両者の溝は大きくなり、いつかは「教祖」と「信者」、よくても「先生」と「生徒」の関係のようになっていく。


人間が賢くなってほしいと思うのは、おそらくすべての人間の想いであると思う。知性が導き出すことは、正義、平等、博愛である。人間は協力することによって、個の利益や幸福を増大させることができる。しかし、人間の自然性、獣性は、争い、奪い合うことを常としている。


おそらくは、人間の仕事のうちでもっとも崇高で意味のあることは、啓蒙であろう。もちろん、獣性に支配されている人間が中途半端に知恵をつけると詐欺や言葉による反逆を企てるかもしれない。おそらくは、そうなることだろう。それでも、そのような過ちを許し、乗り越えて、人間はより優れた社会を作り出していくことができるはずだと僕は考えている。


人間は、知性的になればなるほど平和的になる。協調的で、協力的で、合理的な存在になる。

弱いものを守ろうとする存在になる。その方が、僕らが生き残っていくために、有利に働くことを、知性が認めるからである。


僕らが知性に見切りをつけない限り、知性は待っていてくれる。僕らはそこに届かんと欲する。


知恵ある人でありたい。他のすべてが僕らから失われたとしても、僕らの本質たる知恵だけは、最後まで手放さずに持っていたい。

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