学会三世

 言葉を大切にする気なんてさらさらない人間として。


1、生まれに抗うことはできない


 創価学会の活動に関して、詳しく説明するつもりはないので、知らない人は軽く調べてみるといい。肯定的な意見も否定的な意見も両方見れば、大体どのあたりが共通しているかはわかるし、その共通している部分だけは確からしいといえるんじゃないかと思う。


 僕の両親は創価学会二世であり、現在でもかなり積極的に学会の活動を行っている。

 僕は物心つく以前からそれに巻き込まれていたが、最初のころは両親の信じている宗教を、僕自身も「絶対的によいもの」だと捉えていた。そしてそれを、積極的に発言していた。そうすることによって、両親も、他の学会員も、喜ぶし、僕を褒めてくれるからだ。

 だが同時に、僕が育った時代は「よく考えること」「常識を疑うこと」が叫ばれ始めていた時代だった。人が通常持たないような疑問を持って、それについて一人で考えて答えを出そうと試みることが、褒められる時代だった。

 もちろん、そういう習慣は勉強に意欲を持たせるし、成績もよくなる。実利的な意味で、理性的に考え、判断することは時代に奨励されていた。

 また、僕の父親はこれ以上ないほどよい学歴を持っており、大企業に勤めている人で、理系らしい理系の人だった。ものごとを合理的に考え、社会に対してどこか批判的なところの強い人だった。父は、創価学会を信じていたが、同時に疑っていた。父はあくまで、自らの健康と精神状態の安定のために、学会活動を行っていたし、それに悪い影響を及ぼすようなことがあれば、一時的に離れるようにもしていた。そういった父とふたりで、母にはわからないような込み入った話をすることも多かったから、僕は自然と、その宗教があくまで「一宗教に過ぎない」ことを理解していった。

 それだけでなく、友人たちに宗教の話をしたとき、否定的な反応が返ってくることが、小学生の高学年あたりに増えてきて、そのたびに僕は強烈な不快感と不安感におびえるようになった。また、スポーツ少年団の中でも、友達の親から、創価学会に対するマイナスのイメージを聞かされる場面もあり、衝撃を受けたのを覚えている。

 決定的だったのは、インターネットだった。中学生の時に、にちゃんねる系の掲示板で、宗教への罵詈雑言を見た時、僕はかなり動揺した。動揺のあまり、何か的外れなことを書き込んだ覚えもある。

 僕は自分の家が信じている宗教が、社会的にはあまりよくないイメージを持たれていることを知った。そしてそれを意識すると、自分の両親が、どれだけフェアにものを見ていないかということが気になるようになった。ある有名人が学会員だとか学会員じゃないかとかで好感度が変わり、学会の悪口を言おうもんなら、まったく根拠もないような悪口を、平気で口にしていたことを、気づかずにはいられなかった。

 両親への不信はあった。でも同時に、学校で教えられることの矛盾や、見逃される不正について目をつぶっていたわけではなくて、創価学会そのものが悪だと断じるには、あまりにこの世には悪と呼べそうなものが多すぎた。

 自分が洗脳されていたとは思わなかった。もしこれを洗脳だと言うのならば、学校で習ったすべてのこと、環境への配慮も、民主主義の素晴らしさも、経済的な競争の重要性も、そこにある明確な根拠を説明できないのならば、上から教えられたものをそのまま自分も信じているだけなのならば、それはやっぱり洗脳であり、洗脳されていない人間など誰もいないのだということが、誰にも言われずとも理解できた。

 僕は孤独だった。自分が感じたこと、考えたことを伝えられる人は誰もいなかったし、伝えようとしても、それが伝わることは一度もなかった。僕の苦しみは透明であり、他の人間にとっては存在しないのと同じものだった。

 学校の勉強は簡単で、運動も得意で、友達も、仲のいい女の子も多く、いっけん順調に人生を歩んでいた僕だが、一番重要なことは、そういった目に見えない精神的な苦悩だった。それを前にしたら、現実生活における厄介ごとのすべては、些事に過ぎなかった。いや、些事というより、僕の精神的な生活を妨害する、邪魔なものでしかなかった。


 因果の鎖というものは奇妙なほど複雑に絡み合っており、たらればひとつで反省ができるほど簡単なものではない。僕が高校を中退したのも、その後何ひとつうまくいくようなことがなかったのも、僕自身の能力の問題でもあり、同時に、よい協力者に、つまり出会いに恵まれなかったという運の悪さもあり、創価学会と、現代社会の矛盾と、それに気づかずにいられないインターネット環境という、これまでなかった奇妙な時世の問題でもある。それは互いに結びついており、何かひとつを切り取って考えることはできない。ひとつを見たならば、また別の問題も引っ付いてくる。自分の過去にどれだけ向き合っても、これでもかというほど、厄介な過去が次から次へとやってきて僕の頭を悩ませるだけである。もちろんその中で得たものも多かった。悟りのひとつと言えそうなほど、確からしい実感の伴った認識も手に入れた。


 他にも自らのこれまでの人生において語っておきたいことはたくさんあるが、ここでは、別にはっきりと言っておきたいことがある。


 それは、生まれには抗えないということである。もちろん「すべての人が」なんていうつもりはない。ただ、生まれに逆らってもろくなことにならないような環境にある人がいて、僕はそのうちのひとりであったということを言いたいのだ。

 僕は創価学会員であるが、創価学会の教義を信じてなどいないし、創価学会員の人々と積極的にかかわりたいわけでもない。僕はできるだけ、そういったコミュニティから離れて生きていきたかった。はっきりいって、彼らを気持ち悪く感じるようになっていたからだ。

 だが、悲しいことに、創価学会の外の人々と関わっても、やっぱり彼らも気持ち悪いのだ。創価学会を信じてなくとも、彼らもやはり何かを信じている。自分と同等かそれ以上に、何かを悩み、考え、苦しんでいる人がいかに少ないか。それ以外の人々と語り合った時に感じる、この胸の苦しさは何なのか。僕はどこまでも孤独であり、部外者であった。

 僕が創価学会を悪く思えば思うほど、両親との仲は悪化していった。当然のことだ。彼らにとって重要なのは、自らの幸福であり、それをもたらすものは宗教であり、僕という息子もまた、その中で幸福になるべき存在だったのだ。

 僕が中学生以降、何度も己に尋ねたことがある。両親は、創価学会が「息子を殺せ」と命令したならば、つまり創価学会と僕を天秤にかけたならば、どちらを選ぶだろうか、ということだ。僕は今、はっきりと答えられる。両親は選べない。どちらも大切だと言って、選ぶくらいなら、精神の崩壊を選ぶ。善良な人たちなのだ。別の言い方をすれば、普通の人たちなのだ。

 もちろんこんなことはありえないことだが、この問いは重要なものだった。僕が、両親からどのような意味で愛されているかということを問うものであったからだ。そして悲しいことに、おそらくこの問いが「息子を家から追い出せ」というものに変わったなら、彼らは悲しみながらも僕を家から追い出すだろうということだ。それくらいはわかるのだ。両親にとって、もっとも重要なのは僕の存在ではなく、宗教である。宗教さえあれば、僕がいなくとも幸せに生きていけるが、宗教がなくなれば、僕がいたって幸せには生きていけない。そう。それが現実だったのだ。その現実を、もっとも精神が敏感な思春期に、何度も何度もかみしめる必要に迫られていた。

 そして、そのような僕の現状を知る人は誰もいなかったし、それどころか、そのような人間が存在しうるということすら、誰も考えていなかった。何度も言うが、僕は孤独だった。どこまでも孤独だった。誰からも理解されず、誰も理解しようとしてくれなかった。他者の精神的な世界に、僕の居場所はなかった。僕という存在のこの精神性は、想像上にすら存在しないものだった。認識されない、認識することのできない、そういった苦悩だった。

 宗教はおそらく大多数の人間を幸福にする。そして、きわめて少数の人間を、宗教はひどく悩ませる。

 この点キリスト教は、それも織り込み済みであり、悩む人間、苦しむ人間を特別扱いした。あぁ、不思議なことに、創価学会の教祖的存在である池田大作氏も、悩むことは素晴らしいという、ある種矛盾した事柄を口癖のように言っていた。もしかすると、この不毛な苦しみは、そこに端を発しているのかもしれない。

 ともあれ、僕は学ばざるを得なかった。誰も教えてくれないのならば、自ら学ぶしかない。よい時代だった。図書館に行けば、これ以上ない名著を手に入れて読むことができた。

 僕は文学だけでなく、哲学書を読むようになった。プラトンは、僕の心を慰めてくれた。アリストテレスはつまらなかった。モンテーニュは僕を笑わせてくれた。デカルトには、彼の知恵に驚かされるとともに、自分の無知を思い知らされた。キルケゴールやニーチェなどは、僕を肯定してくれているかのように感じられた。

 精神の世界は、僕が思っていたよりずっと広く、輝いていた。世界は美しく、未来はまだ潰えていないのだと感じた。

 悲しいことに、現代の学問は、非人格的になっている。どんな素晴らしい論文や著作を書く人も、時代がこちらに近づくたびに、その人間性を隠すようになって、どの文章も似たような文体で書かれるようになった。そして、それが進歩、発展として正当化されていった。

 文学は、単なる鑑賞者の暇つぶしに変わり、願いや祈りの込められたものとはほど遠くなった。

 僕らの人間性、精神性、痛み、苦しみ、悩み、そういったものは無視され、拒絶され、透明になり、嘘になった。フィクションの中で鑑賞者に楽しまれるそれ以外は、芸術ではなく「重荷」でしかなくなった。人生が薄暗い理由は、どうしようもなく残酷であると感じずにいられない理由は、僕らが僕らであるところのソレが、軽視されていることにあった。


 そう。話を戻すが、僕がどんな人間であろうと、結局のところ、僕は生まれに逆らえなかった。というか、意味もなく逆らうのをやめた。諦めたというのが正しいのかもしれない。

 あるいは、結局選択肢は生まれによってすでに狭められていた。日本語しか話せない僕は、海外の大学に行くことは難しかったし、そもそも体力的に、通常の大学に通うことは不可能だった。

 慢性的な不眠症を改善するために、僕の睡眠リズムは極めて独特なものとして固まってしまっていたし、時間に縛られるたびに、ひどいストレスを感じるこの体質は、自由にすればするほど、もう変更の効かないものに変わってしまった。

 選べる大学の選択肢はずいぶん限られていた。それに、僕は今更自分ひとりで何かができるほど、あらゆる点で十分に備わった人間ではなかった。どうしても、両親の助けが必要だった。

 だから、僕は創価学会とは今後、うまく付き合っていかなくてはならないのだと、宗教的な意味でではなく、実利的な意味で、判断せざるを得なかった。

 おそらく、抵抗の必要などあるまい。僕の精神は、今さらどうあがいてもこの宗教団体に染まることはできないし、それによる苦しみは絶えないことだろう。だが、結局その外で生きようとしたって、それ以上の苦しみが待っているだけなのだ。


 現代において、自らの人生の精神的な悩みや苦しみを吐露することは、愚かしいことだとされている。青臭いことであり、未熟である証拠であるとされている。大人たるもの、自らの痛みや悩みはちゃんと、社会の常識に馴染むようにコーティングされていなくてはならないし、そもそも社会の中で貢献していくためには、そういったものの存在しないふりを上手にする必要がある。立派に「普通」でなくてはならないのだ。

 僕はこの時代が大嫌いだ。この豊かで、僕のようなろくでなしでも、何ひとつ生活の不安を感じずに生きられるこの素晴らしきよき平和な時代が、大嫌いだ。くそったれだと思っている。

 先人たちの努力や苦労には敬意を払いたい。感謝もしたい。それでも、この経験と、人々の生活と、そういったものとの折り合いがつけられない、このどうしようもない僕は、生涯こうして悩み苦しみ続けて生きていくのだ。そのような生において、敬意や感謝が何になるだろうか? 僕が敬意を払い、感謝をしたところで、いったい何が変わるというのだろうか? あぁ、これはマナーなのだ。マナーだから、従っておくのがいい。それだけのことなのだ。


 立派に社会化されたひとりの人間として、結局は僕も生きていく。

 いわゆる上手に「普通のふり」をして、ちょっと特殊なコミュニティの内側で、このどうしようもない自分のご機嫌を取りながら、きわめて合理的な、広く伸ばされた薄っぺらい共有された世界観の中で生きていく。生きている。

 人生は苦痛である。それはもうどうしようもないことだ。


 生まれには抗えない。別の世界には行けないのだ。でも、自分の暮らすその世界を少しだけ自分の生きやすいように作り替えることならできる。


 人間が幸福を望むのは、人間が水を望むのと同じ原理であり、最終的な目的などではない。創価学会の思想は、僕自身の価値観とも経験とも、どうしようもなく相容れないものであり、正直に言って、僕は彼らを少し憎んでいる。でもその中で生きる以外に、僕に道はないのだ。いや、もちろんこの日本社会の「普通」に馴染む道だって、開けている。でも彼らの偏見に染まった利己主義に付き合うのは、創価学会のくだらない迷信やフェアじゃない感性に付き合うより、さらに不愉快なのだ。


 最良、最善の世界で生きることなんてできない。ならせめて、まだマシなところを選ぶしかない。もっといい場所が見つかれば、いつでもそこに向かおう。いまいる場所から逃げ出してはいけない理由なんて何もない。

 僕の人生はこれまでずっとむちゃくちゃだった。むちゃくちゃなままでいいと思っていた。これからもそうかもしれない。そうでないかもしれない。もうどうでもいいんだ。僕は自分の人生を真剣に歩むには、あまりにも悩みすぎた。何もかもがくだらなくて、小さいことのように思える。明日、いや、数分後でもいい。近い未来に自分の命が尽きるとしても、それが告げられたとしても、僕はそう焦らないことだろう。死ぬことは怖くない。もっと怖いことはいくらでもあった。その怖いことが起こった世界の中で生きてきた。

 自らの存在が誰からも知られないこと。自らの将来が完全に失われてしまったこと。自らの信念を、捨て去らずにはいられないような事実に向き合うしかなかったこと。自分のもっとも大切にしていたものを、他者から踏みにじられて、それでいて黙って泣くことしかできなかったこと。しかもそのすべてを、自分がもっとも信頼する人々によってなされてしまったこと。それでいて、自らはその人たちを憎むことも恨むことも、ほとんどできなかったこと。

 人生は苦しみだ。存在は痛みだ。


 僕は疲れ果ててしまった。だから、生きようと思うのをやめた。自分らしくあろうとするのもやめたし、目標や向上心を持つのも、持つふりをするのもやめた。死んだように生きることを選択して、ただ流されるままに生きようとしている。


 生まれには抗えないということは、そういった日々の結果なのだ。

 きっと誰も僕を笑うことはできないだろう。でも僕は僕を笑う。それが楽しいのだ。楽しくて仕方がないのだ。

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