第2話 山岳地帯にて

「あんなところに……」


 1週間ぶりに見る人工物。次の目的地だと直感し、身体が身震いした。灯台が機能しているということは、電力が生きているということだ。それの放つ鈍く淡い光と薄暗い空間に浮かぶ私たちは光を目指して進むなんちゃらの虫さながらなのではないだろうか。


「誰かいるのかな。」


フローレンスが呟いた。雲母船が停止して、灯台を真っすぐに捉える。距離はおそらく十数㎞だろう。


「……いたらいいのだが。」


 他の人間……私たちがコミュニティに属していた時もコミュニティ以外の人間に出会ったことはおろか、話題にすらほとんど上らなかった。


「いても、私たちを受け入れる余裕なんてないんじゃないかな。」


 私たちがいたコミュニティ内の話では、他のコミュニティと通信で連絡を取ろうとしても、1回も誰かが返事をしてくれたことはないと聞いたことがある。


「だろうね。誰だって自分が生きるのに精一杯だ。だが、私たちの目的地、ターミナルについて教えてくれるかもしれない。」


 ターミナル。終末世界最後の楽園。ある者は夢の中でたどり着いたと妄言を吐き、ある者は虚ろな目でターミナルを目指すとつぶやいてコミュニティを去っていった。それも徒歩で。つまり正体はおろか真偽すら不明の代物だ。


「ん、ターミナルかぁ……リナはほんとにあると思う?」


 そこでは人類が争いなく安定した生活を送り、様々な生態系が未だに保護されていると聞いた。他にも、孤立したコミュニティの救出が進められているだとか、救世主がターミナルに導いてくださるだとかの都合のいい噂も枚挙にいとまがなかった。だが、たどり着く方法は1つしか聞いたことがない。南を目指せ。たったこれだけだ。そもそも、今の地球の地軸なんてブレブレであってないようなものなのだから、南がどの方向かすらもなんとなくでしかわからない。私たちが向かっているのはあくまではるか昔に南と呼ばれた方向。アバウトすぎる情報だが、私たちには他にあてもない。


「わからないけど、私は……はっきりいって可能性は低いと思う。人は絶望している時にこそ、救いやら希望やらを見出す生き物だし。ターミナルはそれらの意識が結晶化されて生み出されたもので、天国と同じようなものの気がする……かな。」


 フローレンスの表情が翳っている。


「……でもターミナルについて教えてもらおうって言ってたじゃん。」


 こういう時、シャノンは何故か黙ったままだ。


「私だって諦めてるわけじゃないからね。少しでも可能性があるのなら、探すだけだよ。私たちには安定した生活が必要だし、それにあれも届けなくちゃならない。ターミナルがあってもなくても、たどり着いてみせるよ」


 私たちはターミナルの人間への届け物を託されていた。そして、それを託した人物は、ターミナルの存在を確信していた。たどり着きたいという気持ちはフローレンスにも負けるつもりはない。


「そっか。そーだよねー。ナハハー」


 フローレンスは機嫌を戻して首を左右に揺らしている。


「それよりも灯台の話だったろ。フローはどう思う?」


「そーだねー、行く価値はあると思う!というか気になる!」


「そうだな……まぁとりあえずは通信可能な範囲までは近寄ろうか。気になるかどうかは知ったこっちゃないが。」


「んー、そういいながらリナも気になってるでしょ?」


「別に。好奇心は人を殺すからな。」


「対空ミサイルでも撃ち込まれると思ってるの?」


「そもそもそんな代物があっても、扱える人間は残っていないよ。ま、可能性はゼロじゃないが。」


ミサイルで戦う時代はとうの昔に終わっている。そんなものはとっくに撃ち尽くされたり、破壊されたりしているだろう。今の時代、争いはもっとローカルになっている。つまりは対人用の銃火器での争いがほとんどで、大量殺戮兵器なんてものは核以外、残っていない可能性の方が高いのだ。いや、銃火器での争いもここ数年では1度しか経験していない。もはや争うための人数すらこの星にはいなくなってしまったのかもしれない。人類は思っているよりもずっと早く末期に差し掛かっているのだろうか。


 

 数刻後、雲母船は巨大な灯台から2㎞の地点、二層雲海の上層上に浮かんでいた。雲中に隠れて近寄ってみることも考えたが、危険度はそちらの方が高まるだろうと判断した。もし灯台の上に誰かいるのなら、真っ白な海を漂う黒豆のような私たちをとっくに見つけているはずだ。


「ハローハロー 誰かいますかー?」


 さっきからフローレンスがこちらと通信機器を交互に見ながら、しきりに意思疎通を試みてくれている。何か反応があったらすぐに私にマイクを渡すことになっていて、私は変声器でいつでも男性の声が出せるようにしてある。最初はフローレンスの方が相手の警戒心を緩めやすいだろうからだ。

 

「おい!聞こえているんだろー!隠れていてもわかっているんだぞぉっ!」


 意味不明な脅しを時折けしかけたりしているが、フローレンスの蒼い目は真剣である。こちらが不利になる失言などは心配しなくて良さそうだ。彼女はああ見えて、とっさな応答は私よりも上手い。その間に私は双眼鏡で周囲を見渡す。不明な飛行物体……なし。灯台に人が滞在できそうな空間も……なし。点滅している大きな光源の周期は非常にゆっくりで、この辺りの時間が遅れているような錯覚に陥る。不気味な程に沈黙している巨塔はもう目前に迫っていた。


「反応がありません!全滅したようですリナ!」


 フローレンスは呼びかけるのを諦めたらしい。茶髪を鼻の下に挟みながらちょこんと私の横に座り込んでしまった。迷彩柄の衣服と、フローレンスの行動はいつも絶妙にマッチしていない気がする。それはそれとして、長時間呼びかけをしてくれたことに対しては慰労の念を送っておこう。


「どうしようか。上層雲のせいで下がどうなっているのかわからないな。シャノンはどう思う?」


「こんなに大きな灯台は見たことがないですが、灯台というよりはおそらくは軍事用のレーダー塔でしょう。下には軍事施設が残っているかもしれません。軍事施設に通信官がいないわけがないため、反応がないということは破棄されたか全滅したかと。」


「まぁそう考えるのが妥当か。とにかく下りてみるしかないな。高度を下げてくれ。」


 雲母船が徐々に雲へと埋まっていく。視界が回復するのに数分はかかるだろう。

 

「アレ準備しとこうか?」


「よろしく。必要だと思ったら声で知らせるから1つ落としてくれ。」


 アレというのは閃光樽のことだ。雲を抜けた後に迎撃を受けるなど考えたくはないが、一応、すぐに閃光樽を船底から落としその隙に雲へ逃げ込む準備をしておくに越したことはない。原始的だが、それでやり過ごせるぐらいの戦力しか想定されないような時代なのだ。


「わかった」


 フローレンスは裸足のままパタパタと居住スペースのさらに下、かがんでやっと入ることができる船底の倉庫へ向かっていった。


 そのうちに雲が晴れて中間層が見えてきた。太陽の光がやけにまぶしく感じる。隆々とした岩肌。そして灯台の根元には岩肌に食い込むように建設された円盤状の巨大な基盤。基盤の上にはところどころ破壊された建物群。軍事施設だけではない、小さな都市だったものがそこには佇んでいた。


「こんな山岳地帯に……」


 双眼鏡も使って念入りに確認したが、人影はおろか灯り1つ見当たらない。単調に並ぶ肌色のマンション群の多くは高湿度な環境で繁茂したカビによって覆いつくされ、暗い影を通路に落としているだけだ。戦闘があったのだろうか、灯台付近の建物はどれも半壊し、赤錆色の鉄骨を無様にさらけ出している。円盤状の基盤の半分は下層雲に飲み込まれ姿を隠しているが、雲の中は人間にとって生存には適さない。その辺りに人間はいないだろう。見たところ灯台は基盤をも貫いて建設され、土台は岩肌自体に埋め込まれているようだ。


「シャノン、あそこに着陸しよう。周囲の警戒は私がしておく。」


 そう言って灯台の影になっているスペースを指さす。あそこなら視界は広く、周囲を警戒しやすいはずだ。


「そうですね。着陸まで1分といったところです。」


「フロー!着陸する。衝撃に備えてくれ。」


「はいはーい」

 

 船底からの元気な返事と共に、雲母船は灯台のふもとへ滑るように進んだ。着陸地点につくと、駆動音と共に船底から4つのタイヤが現れ、両翼の疑似反重力ドライブはキュウウウと音を発しながら出力を弱めていく。小さな衝撃と同時に私たちは3日ぶりに地面と接した。辺りを見渡すも、付近に異常は見られない。強いて挙げるとするならば、この辺りが思っていた以上にカビ臭いということだ。空調設備が外気をわずかに取り込んだだけで、不快臭が顔面にまとわりついてしまった。こんな時にもシャノンはケロッとした顔で、不気味だけど綺麗な場所ですねえ、と呟いている。アンドロイドはにおい感受性も備えているはずなのだがと思いつつ横目で見やるも、彼女はこちらに背を向けて思いっ切り伸びをしている。シャノンは人間らしいのかそうじゃないのか、はたはた紛らわしいやつなのだ。もう一度、辺りを見渡す。この臭いから推し量るに、この都市が建設された時には雲海に包み込まれることなど想定されていなかったのかもしれない。


「フロー!梯子を出す。出口から離れてくれ。」


 「はいはーい」


 シャノンがレバーを引き、船底が開く音と梯子が展開される音、そしてフローレンスがカビ臭さに苦悶する声が同時に聞こえてくる。


 「おい!なんかすーごいクーサイんですけどー!」


 フローレンスの大声が伝声器からメインルームに伝わってきている。どうやらご立腹のようだ。少しいい気味である。


 今いくよ、と伝えながらリュックとライフルを出すために座席の下の収納スペースをガサガサと漁る。今日はまだまだ忙しい一日になりそうだ。


 数分後、私たちは順番に新天地へと降り立って行った。そこには船の内側から見えた世界とは一味も二味も違った世界が広がっていた。半壊した建物群はカビと焦げと錆に覆いつくされながらも圧倒的な質量と存在感を示し、雲なのか霧なのかわからない白煙は周囲をうねり舐めまわしている。視界は悪く、すぐ近くの雲母船でさえ白みがかっているではないか。さらに空気の流れにのって吹き付けてくる悪臭。この都市は空から見えていたよりももっとずっと死んでいる、そんな気がした。


「さて、どうしたものかな」


 地上に集まった三人はそれぞれ違った風体をしていた。帽子から靴まで迷彩柄一色に身を包み、小さなナップザックを背負うフローレンス。腰には黒光りする二丁の拳銃。ポケットにはバタフライナイフも収められているだろう。なぜか不敵な笑みを浮かべていることには触れないほうがよさそうだ。圧倒的なスタイルでコンクリートに咲き誇るシャノン。風に揺らぐ銀髪と、白を基調としたメイド服は彼女の肌の白さをより一層際立たせている。放っておいたら、周囲の白煙に溶け出してしまいそうな不安を覚えるのも無理はない。超軽装な衣服には似合わない大きなライフルと革製の手持ち鞄を携え、直立不動の姿勢を崩さないのは流石アンドロイドと言ったところか。靴を履き忘れていることにも気づかず、すました顔で棒立ちしているところを除けば、いつもの恰好である。そして、黒のジャケットを着こなし、双眼鏡を覗いているおかっぱ黒髪少女、私。大きなリュックを背負い、ライフルを肩にぶら下げてみてはいるが、二人が探索に出ている間、雲母船をほったらかしにするわけにはいかないので、今日はお留守番である。忙しくなりそうだという予感はテキトーな感想だったなと思い直された。できる範囲でお掃除でもしておこうかしら。

 

 「とりあえず、灯台を回ってみるのはどうですか?」


 「そうだな、それからは適当に辺りを探索してみてくれ。しばらく別行動になるわけだが、何か怪しいことがあれば雲母船はすぐに動かす。その場合は、街の南端にある空き地で集合しよう。船だけは失うわけにいかないからな。まあ、4時間程度を目安に帰って来てくれ。私も近くで船を隠せそうな場所を探しておくよ。あと、シャノンは靴を履くように。」


 「あ、言われなくてもわかってますよ!」


 そう言ってシャノンはなぜかケンケンをしながら雲母船に戻っていった。探索に行く前から余計な心配をさせないで欲しいというのは贅沢な意見なのであろうか。


 「リナはゆっくりお留守番か~。いい身分ですな~」


 フローレンスがお尻をこちらに向け、ペしぺしと叩いて知性のかけらもない挑発をしてくる。


 「雲母船を動かせるのだったら、残ってくれてもいいんだぞ」

 

 かく言う私も基本操作をギリギリ行えるレベルなのだが。何かあったとき、逃げるだけなら十分であろう。今の時代使われている飛行ユニットなんて実用レベルでない骨董品がほとんどなのだから、追いつかれることなんて万に1つもないはずだ。

 

 「ぐ、ぐぬぬ……」

 

 フローレンスはお尻を突き出しながらたじろいでいる。正直言って気持ちが悪い。と、言っている間にシャノンが戻ってきた。


 「では、行って参ります」

 

 「はい、お気を付けて」


 スカートの端をつまみ上げる上品な挨拶を残し、シャノンは白煙の中に消えていった。ぐぎぎぃ……と奇妙な音を発し続ける小娘を引き連れて。

 

 二人がいなくなり時間が経つと、じわじわと静寂が辺りを埋め尽くしていく。そして、毒のようにゆっくりと世界を支配する。シーンという耳鳴りすら聞こえてこない絶対的な暗闇。今回は風の音がある分、幾らかはマシか。が、私はこの瞬間が大嫌いだ。孤立、孤独といった私たちの現実が否応なしに全身を貫き、悪寒が駆け巡る。フローレンスとシャノン、二人に会えるのがさっきで最後だったらどうしようという根拠のない不安が神経をねじり潰し、尿意を誘発する。その時、誰かに見られているということを体が本能的に理解した。いや、気のせいであることは頭ではわかっている。しかしそれでも、私は誰かに見られている。見られていたいのだ。誰でもいいから、私を見ていて欲しい。誰か。私を独りにしないで欲しい。誰か。私は弱いから。誰か。私は独りで生きられないから。私は何も悪いことなんてしていないから。私は………………………………。



 

 ネガティブ思考はここらでやめにしておこう。確かに私は孤独に弱い。しかし、その対処法も完全とは言えないが習得している。対処法というのは、とどのつまり限界までのネガティブ思考である。下がないくらい落ちくぼんだ意思を底に溜め、あとは上がるしかない状態を人工的につくってやる。そうすると、気分が上がっていく間は何か行動ができるようになる。行動こそ命なこの世界で、これは十分すぎる恩恵だ。我ながら素晴らしいノウハウをつくりあげたものだと思う。茶化されるのが関の山なので、誰にも言ったことはないのだが。

 

 「さてと…………戻るか」


 ふと、数週間前に、かつては誰かの別荘であったであろう古びた家敷を訪れた時のことを思い出した。誰もいなくなって長い年数が経ち、荒れ果てた内装にがっかりしていたのだが、植物が編み込まれたような素材で作られた床の部屋の棚に「チータラ」なるおやつの袋が大量に積まれていたのだ。それも未開封で。その袋はすべて倉庫の奥に押し込んだため、まだそのままの数が残っているはずだ。1袋なくなったところで、誰にも気づかれないとしか考えられない。思わず、キラリと光る笑みがこぼれた。



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