終点のノア ~二人の少女と一体のアンドロイドの荒廃世界漂流記~

夜叉←やしゃ

第1話 上空の漂流

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへいくのか」 ポール・ゴーギャン

 全くもって、その通りである。まどろみの中、今日も古びた画集片手にソファーへ飛び込んだ。ぼふっと埃を散らしながら体に吸着する繊維。絵の中ではほとんど裸の老若男女が思い思いの時を過ごしている。背景は青く、仄暗い。朝食の前にこの画集をパラパラ眺めるのが私の最近の日課になっていた。

 


 

「ね~ここどこ?」

 

 フローレンスの声が船底の方から聞こえる。この質問も一体何回目だろうか。私たちは今、二層雲海の中間層を飛んでいるのだ。ここはどこかと問われても、目指している場所がどこにあるかもよくわかっていないのだから、私たちが今いる地点なんてわかるはずもない。そんなことよりも、私はこの異常な寒さの方が気になって仕方がない。船内にいるとましだったが、先週ベランダに出たときは脳みそまで凍りつくかと思う冷気に襲われた。


「いや、知らないよ」


「ん~、そーゆー意味じゃなくて、今どんなとこを飛んでいるのかきいてるんだよ?」


 そんなことだったら船底から出てきて、窓からちょっと下を確認するだけでわかるのに、全く怠惰なやつだ。無視が一番。


「あらあらリナさん、無視は悲しーなー」


 そうぼやきながらフローレンスが船底から這い出てきた。どうやら目覚めたばかりらしく、無造作に束ねた茶髪をもてあそびながらしきりに目をしばたたかせている。同い年だというのに、彼女は何故こうも童顔なのだろう。何か声をかけて欲しそうにこちらを見つめてくるが、こちらはこの船の操縦の仕方を覚える作業中である。そのためにわざわざマニュアルを作ってもらったのだ。といっても、マニュアルを作った本人も雲母船の機能を全て理解しているわけではないらしいが。そもそも、雲母船自体が偶然コミュニティに引き取られたものであって、私たちのコミュニティに仕組みや機能を完全に理解している者は誰一人としていなかった。ただ、メンテナンスや基本の操縦方法が他の飛行ユニットと同じなため、運用可能であるというだけ。とにかく、小娘の相手をしている暇はない。雲母船はずっと運転してもらっているが、いつ私が運転しなければならない場面に直面するのかわからないのだ。このちっぽけな飛行ユニットを操縦できるかどうかが将来、命運を分ける可能性だってある。


「ちょっとコックピット見てくるよー」


「シャノンの邪魔をするんじゃないぞ、あと計器にも触るなよ」


「わかってるよ~」



 そういってフローレンスはずるずると丈の長いパジャマを引きずりながらメインルームを抜け、コックピットに向かっていく。


「シャノンおはよ~」


 フローレンスがコックピットの扉を開けると、中から「おはようございます。」と人間の肉声に少し電子音が混ざったような心地よい声で返事が返ってくる。彼女は空を飛ぶときに、いつも操縦席に座ってくれている銀髪女性モデルのアンドロイドだ。彼女の銀髪に、白を基調としたユニフォームはとても似合っていると思う。しかし見た目とは裏腹に頑固な一面もあり、私が彼女に自動運転でいいのではないかと提案しても操縦席から離れようとしない。彼女曰く、自動運転は緊急時のみの妥協案らしい。私たちの安全を重視してくれるのは嬉しいが、正直、旧式のオフラインアンドロイドの運転よりも自動運転の方が安全性は高いのではないかと思っていることは内緒である。

 

「ん~まだ二層雲か~」


「そうですね」


 コックピットからはいつもの会話が聞こえてくる。シャノンによると、眼下には延々と広がる下層雲と時折顔を覗かせる岩肌以外まだ何も見えていないらしい。広大な二層の雲海に挟まれた太陽によって、いたるところでチンダル現象が起き、絵画のようななんとも幻想的な風景をフローレンスは今頃コックピットから展望しているだろう。私はもう見飽きてしまっているのだが。というのも、私たちがこの忌々しい雲に囚われてからすでに二週間が経っていた。ここでは太陽は浮いたり沈んだりすることがなく、恒常的に二層雲の狭間から太陽光を層間に供給し続けている。そういえば、私たちがコミュニティに属していた頃お世話になった先生が、昔は昼と夜という概念が存在したと言っていた。しかし、今となってはそんな法則はでたらめなのだ。私たちが知る太陽とは、目がくらむ鬱陶しい角度から永遠に光を発し続ける奇妙な天体であり、ほとんど上下に動くことはない。もうすこし上の方から照らしてもらえるとこのあたりの地域も極寒に苦しむことはなくなるはずなのだが、今日も変わらず太陽は横から顔を照りつけてくる。


「この雲を抜けるのにいつまでかかると思う?」

 

「予想もつきませんね。だから私は最初に進むべきではないと忠告したんですが。」


 フローレンスがシャノンに痛いところをつかれている。二週間前、私たちはシャノンの反対を押し切って二層雲を突破しようと決めたのであった。私も、このまま進もうと言うフローレンスに賛成した手前、シャノンにその話題を出すのははばかられていたのだったが、確かにこの雲海地獄がいつまで続くのかは気になっている。食糧はまだしばらくもつであろうが、問題は雲母船のバッテリーである。汎用バッテリーが雲母船の動力であるため、替えはいくつかあるといっても電力は食糧と同様、もしくはそれ以上に重要な私たちのライフラインだ。どこか電力供給のインフラが生きている場所を見つけて充電しなければ、私たちの旅はあっけなく終わりを迎えることになる。


「ははは~そっか~」


 フローレンスは自分が皮肉られていることに気がついていない。


「あ、リナ!コーヒー淹れようか?」


 唐突に彼女がコックピットの扉から顔だけをこちらに出してきた。


「私が淹れる」


「あ、そう?ありがと!」


 提案はありがたいが、彼女は以前、コーヒーを淹れようとして火傷している。面倒な心配をするぐらいだったら自分でやった方がいい。キッチンへ向かうために、重い腰を上げる。梯子をつたって薄暗い居住スペースへ降りた、はずだったがまたもや二段ベッドの上の段だけに灯りが灯っている。フローレンスが消し忘れていたのだろう。ハア、と溜息が漏れていた。ベッドによじのぼって灯りを消す。まあ確かに些細な生活電力を節約したところでどれほどの足しになるのかもわからないのだが、ここは気分の問題であろう。枕元にはフローレンスお気に入りのバタフライナイフが大切そうに置かれている。きちんと収納されているとはいえ、よくこんな物騒なものと一緒に寝られるものである。するするとベッドから降り、足元に気を付けながらキッチンにたどり着く。キッチンといっても簡易的な最低限の設備しかなく、人一人が入るだけで精一杯な小部屋。しかし、コーヒーの香り漂うこの廉価的なプライベート空間が私は嫌いではない。自然と鼻歌が出てしまう。二人共、飲むのはいつもブラックだった。慣れた手つきで棚からカップを2つ取り出しながら、いつまでこの贅沢が許されるだろうという思いが巡る。こいつを飲むために必要なものを揃えることは乙女には少し過酷すぎるのだ。そうはいっても、最近は寒すぎてコーヒーなしの生活なんて考えられない。なんて事を考えていたらいつの間にかコーヒーは完成。出来上がったカップから漂ってくる香りはいつもより少し弱いような気がする。


「フロー!飲むだろ?降りてきて!」


「はいはーい」


 がたがたと足音を響かしながらフローレンスが梯子を降りてくる、というよりも途中で足を踏み外し脛を強かに打ちながらズルズルと滑り落ちてきた。運動神経はいいはずなのにどうしてこうなってしまうのだろう。


「いてぇ……」


「はい、これ」


「うぅ……ありがと」


 

 フローレンスが脛をさすりながらもう片方の手でカップを受け取る。


「そういえば、パズルは進んでいるのか?」


 彼女は最近、どこで拾ったのかわからないジグソーパズルに熱中している。


「うーん、半分くらいは埋まったんだけどねぇ。まだもうしばらくかかるかな。」


「……なんの絵になりそうだ?」


「なんかねぇ、でっかい魚?なのかな?よくわかんないや」

 

「そうかい。ま、完成したら見せてくれ。」

 

 自分のベッドの淵に腰を掛け、目を瞑って中の液体をすすった。熱い。が、心地よい苦味がすーっと鼻へ抜けていく。いつもこの瞬間に、なぜだかわからないが頭脳が冴えわたるような感じがする。昔、このことをフローレンスに話すと、プラシーボ効果だー!と習ったばかりの単語でこれ見よがしに騒がれた記憶がある。あれはいつの話だっただろうか。

 ささやかな沈黙が流れたあと、ちらりとフローレンスの方に目を向けると、彼女はカップを目一杯傾けてコーヒーを飲み干しているところだった。まだ充分熱湯のはずなのだが、彼女はケガのしすぎできっと感覚神経がおかしくなってしまったのだろう。憐みの目を向けながらまた一口すする。やっぱり熱い。が、これがいいのだ。フローレンスのような風情も情緒も解さない人間にこの嗜みはもったいないと言われればその通りだが、隠れて飲むほど私は薄情でない。自然と皺が眉間に寄ってきた。もう何も考えないでおこう……。




 一日で最も平和な時間を満喫した後、私は布団を天日干しすることにした。節水のために長いこと洗濯機やシャワーの利用は控えているため、やはり少し臭うのだ。布団を抱えて梯子を昇ると、メインルームにいるフローレンスが引き上げてくれた。ついでにコックピットにいるシャノンに呼びかける。


「シャノン!ベランダで布団を干すから速度を落としてくれ」


「了解です。速度を時速20㎞に変更します。」


 と、すぐさま返事が返ってくる。雲母船は通常時、最も燃費が良い時速50㎞で飛行していたが、人がメインルームの上に位置するベランダへ出る時は安全のため速度を著しく落としてもらっている。


「あ、やっぱり寒いから一旦停止してもらってもいいかな」


「了解です。停止します。」


 両翼の先端で紫色の光を発している巨大な疑似反重力ドライブが回転し、上を向きながら光を失っていく。みるみるうちに速度は落ちてゆき、雲母船はホバリング状態へ移行した。もう一度布団を引き上げるために梯子の上でハッチを開けているフローレンスの後ろ姿は、昔一度だけ見た漁師さんをなぜか彷彿とさせた。きっと漁師さんも茶髪で力強かったからだろう。魚はおろか、家畜でさえほとんど存在しない世の中だというのに、彼はどこで漁を行っていたのだろうか。その瞬間に新鮮な冷気がメインルームへとなだれ込み、反射的に震える体を押さえこまなければならなかった。こんな作業はさっさと終わらせてしまおう。


「きゃ!リナ!ちょっと来て!早く!」


 と、先にベランダに出たフローレンスが金切り声をあげている。いつもマイペースな彼女にしては珍しい焦りようだ。手招きしている様子から推し量るに、どうやら布団を引き上げる気はないようだ。


「どうしたんだ?今行くよ。」


「な、なんかいる」


 フローレンスの声は不安で微かに震えていた。なにかいるとはどういうことだろうか。私は不吉な予感に身を焦がされながら急いで梯子を昇る。

 黒い。雲母船は黒を基調としたボディーであるが、そいつは圧倒的な黒さで左翼の根本部分に存在していた。体長は翼を拡げて1.5メートルほど。長く真っ黒な体毛で全身が覆いながら、そいつは流線型の体全体をべったりと雲母船にへばりつかせて息を忍ばせていた。体毛のせいで顔は見えないが、体の半分はあろうかという大きな口を吸盤のようにして体を固定しているようだ。顔に比べて体は細身で足は小指のような太さをしている。おぞましい生命体を目にして、背筋に悪寒が走り、悲鳴をあげたいという衝動に駆られる。いつの間に、という衝撃が脳天を走り回った。よく見ると口の吸盤を使って徐々に移動したのであろう跡が雲母船の翼には黄色い筋として残っていた。幸いそいつはこちらのことを気に留めていないようだ。


「い、一旦船内にもどる」

 

 これ以上はないというくらい小さな声でフローレンスに呼びかける。

 

「うん!」


 心臓の高鳴りもそのままに船内に転げ込む。生きている動物を直接見るのなんて初めてだった。昔、配給で極稀に配られていた家畜の肉はどんな姿をしていたのだろうという問が脳裏をかすめる。が、今考えるべきはそれじゃない。いつあいつがこちらに害を及ぼしてくるかわからないのだ。そこまで大きな体ではないため直接襲ってくることはないだろうが、見たところあいつは高速で飛び続けている雲母船上を移動できる。飛行中、エンジンに吸い込まれたりしたら一大事である。脅威は排除しなければならない。


「シャノン!そっちから左翼は見えるか?」


 コックピットに駆け込みながらフロントガラス前の彼女に問いかける。


「左翼ですか?フロントガラスからギリギリ見えますよ。」


 冷静な彼女の声でこちらの混乱も急速に散っていくのが感じられる。


「シャノンも見てくれ、変な動物がくっついているんだ。」


「動物……珍しいですね。……え……なんなんですかあれ!?」


「う、こっちが知りたいんだよ……」


 彼女はフロントガラスの端っこに顔を近づけて謎の生命体を観察しだした。雲母船の翼はコックピットからほとんど死角といってもいい場所だから、四六時中コックピットにいる彼女も気がつかなかったのだろう。


 なんでわからないんだという言葉は喉元で抑え込む。彼女はアンドロイドだといってもヴィンテージレベルに古い型である。全知を求めるのは酷であろう。それにしてもシャノンは知らないことが多すぎる気がしないでもないが。


「メインルームからも一度確認してくれ。声を出してもこちらに気づいた様子はなかった。」


「わかりました。」


 メインルームの丸窓からはあいつを極至近距離で観察できるはずだ。横目でフローレンスをみると、いつの間に取ってきたのか自身のバタフライナイフを握りしめている。彼女がそれを握るときは自分を落ち着かせるときだ。あいつに出くわしたとき、よっぽど驚いたのだろう。大丈夫だと目で伝えると、コクンと彼女は頷いた。


「うーん、形と大きさでいうと大型のコウモリなんですが……いやでもあの体毛と口の吸盤は……やっぱりわからないですね。」


「……なんにせよあいつをこのまま乗せておくわけにはいかないよな。」


 一瞬、食糧にできないか、という発想が浮かんでしまったものの、得体の知れないやつを食べるのはリスクが大きすぎる。ライフルで狙撃するのが確実であろうが、雲母船の船体を傷つけない様に引きはがすのは至難であろう。何かいい案はないだろうか。


「一度、最高速度まで加速してふりおとせないかやってみよう。」


「了解しました。船体が揺れる可能性があるので、着席してください。」


 メインルームにも席はあるが、振り落とす瞬間をみたいという好奇心にいざなわれ、三人ともコックピットの席に座り、左翼の方を睨む。


「それでは発進します。」


 透き通った宣言と同時に疑似反重力ドライブが紫の光を取り戻していく。時速20㎞。やつは微動だにしていない。時速40㎞。まだ、下層雲流の方が淫らだ。時速50㎞。普段の飛行速度だ。雲を後方に抜き去っていくのは存外心地がよい。時速90㎞。奴は体毛を激しくたなびかせている。船体がカタカタと揺れ始めた。最高時速140㎞。気流の影響をもろにうけ、船体が上下に浮き沈みしだした。奴の翼は風圧に身を任せてバタバタと振られている。が、口の吸盤はしっかりと船体をつかんで離す気配はなかった。


「どうですか?」


「……無理みたいだな。」


「私がライフルで撃ってくるよ~任せて~」


 さっきまでの不安そうな表情はどこへやってしまったのやら。フローレンスは銃が使えるとなると気分が上がるらしい。確かに彼女の腕なら被害は最小限で命中させることができるだろう。しかし、ここまでは想定済みの事態。


「まだだ、シャノン。このまま高度を上昇させてくれ。」


「りょ、了解です。」


 奴が吸盤の原理でへばりついているのだとしたら、周りの気圧を下げたら吸着力は小さくなるはずじゃないか?フローレンスとシャノンが理解しがたいというような目でこちらを見つめている。フローレンスはまだしも、シャノンにはそんな目をしてほしくなかったのだが。機首が引かれるとみるみるうちに高度は上がっていった。船内の気圧調整装置が作動し、空調設備が音を響かせている。揺れは先ほどよりも強くなり、上層雲が目の前に迫ってきた。


「つ、突っ込みますよ?」


「ああ」


 数瞬後、視界は真っ白に染められていた。生き物のような巨大な雲のヴェールが雲母船を包み込んでは消えていく。視界はゼロだが、前方に障害物がないことはレーダーが示してくれている。最近読めるようになった計器の1つだ。左翼の方にちらりと目をやるが、たった数メートル先のはずの物体さえ見えなくなっていた。まあいい、もうすぐ上層雲を突き抜ける頃だろう。傍らではフローレンスが退屈そうに大きなあくびを放っている。彼女とは昔からずっと一緒にいるが、思考回路を理解するにはまだまだ途方もない時間がかかりそうだ……。


 唐突に目の前の視界が開けた。眼前に構えていたのは上層雲によって光が遮られている薄暗い空、そして視界の端に太陽とは違う光源が一瞬映りこんだ。さっと左に目を向けると、既にやつの姿は消えている。


「よし、振り落とせたな。」


「やりましたね。やはりこのあたりの外気温は氷点下です。通常高度に戻ります。」


 シャノンの銀髪がいつもより光り輝いている。きっと周りが急に暗くなったせいだろう。


「いや~手強かったね~」


 かきもしていない汗を拭うフローレンス。


「本当にやつを振り落とせたのか通常高度に戻ったら船体全体を確認しなければならないな。それにしても……何か光っていた気がするんだが……停止して高度だけを下げてくれ。」


雲母船はゆっくりと回転しながら高度を下げていく。


「あ、あれ!」


フローレンスが指さす方向にあったものは果たして、上層雲を貫き、遥か遠くにそびえたつ灯台だった。


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