第23話 マーメイドのドレス

 ハンナさんやカシムさんから紹介を受けた冒険者の人たちのクリーニングをすることが決まった。というか、すでに何着かはクリーニングをしている。

 まだオープンはしていないけど、ハンナさんたちの宣伝が良かったのか、何人かの人たちが店を訪れることがあった。


 ハッバーナの町と同じように銅貨2枚にしようと最初は考えていたけど、物価を考えたら銅貨3、4枚でもいいかなと思った。

 その値段の提示に何人かの人は「高い!」という表情をしていた。でも紹介してくれたハンナさんたちとの関係もあるだろうから今さらキャンセルするというのも後ろめたいようで、我慢して頼んでいたのが丸わかりだった。これには不本意だしちょっとだけ傷ついた。

 しかし、実際の仕上がりを確認すると「悪かった」とみんなに謝られた。


「こんなにやってくれるのにむしろ安い方だ。すまん」


「いえ。あまり馴染みのない店だと思いますので、最初は仕方ありませんよ」


 胡散臭い仕事に見えるのはしょうがないことだ。もっともっとクリーニングを知らしめないといけないということだ。冒険者の人たちは下手に自分で洗うのが怖いようだ。確かに洗濯板でごしごし洗うのは抵抗があるだろうし、繊維を傷める可能性は高いと思う。

 それだったら、なるべく傷めないように洗ってくれるプロに任せた方が結局は安くなるし、汚れのストレスも溜まらない、そう考えたようだ。


 そのうちに、冒険者以外の人たちからもクリーニング依頼が増えていった。

 これはハッバーナの町と同じように、人々に向けて洗濯やシミ取りの効果的な方法をレクチャーしていたのだけど、これは商業ギルドが管理するお店で行われた。

 商人のボムハースさんという人が、たぶんギルドのトマスさんやリリーさんから私の話を聞いて、興味を持った、そういう経緯のようである。


 私としては特別に難しいことはなく、少しばかりの手当が出るということだったのでやぶさかではない。週に1回、全4回くらいの簡単な体験講座のようなものだ。

 基本的には汚れやシミを取ることを目的とした講座で、漂白剤のようなものはミリーフの町の店になかったのでこれを使うことはなかった。まあ、日本でも漂白剤を持てあます人は多かったからなあ。


 なお、スキルとして【洗浄】や【消毒】、【浄化】と呼ばれるものがあるようだ。その名前の通りなのだけど、汚れやシミを落とすこともあるが、特定の物質を取り除くもののようで、一気に綺麗になるというものではないらしい。こればっかりは実際に見て比較しないと効果がはっきりしない。【浄化】はちょっと想像ができない。



「おお、チカさん、今日も盛況だねぇ」


「これもボムハースさんのおかげです。場所を提供していただいて感謝しています」


「なんのなんの、こういう役に立つ講座ならいつだって開いてほしいものだよ」


 2回目の講座の時にボムハースさんと話すことができた。実は私が気づいていないだけで1回目にも見学していたらしい。

 ボムハースさんはこのミリーフの町の商人で、主に衣類やアクセサリーなどを取り扱っている。衣類も庶民の衣類からお貴族様、場合によって王族にも商売をするというのだから、結構な影響力があるらしいことを受付のリリーさんから聞いた。商人であるとともに、昔はデザイナーとしても活躍をしていた人らしくて、仕立屋ともつながりがある。

 60手前くらいの人だろうと思うけど、妙に恰幅がいい。あまり小さなことにこだわらない人のようだが、商才となれば話は別なのだという。いろんなところに顔が利くらしい。


「もしよろしければ、仕立屋を見学させていただくことは可能でしょうか?」


 ハッバーナではあまりそういう店に行けなかったので、じっくりとこの世界の仕立屋というものを見てみたい、どういう風にして衣類を作っているのかも見てみたいと思っていた。よく行くヨークさんの工房では冒険者の衣類が多いので、いわゆる高級衣類を扱うようなオートクチュールを訪れたい。まあ、クリーニングとは縁がないんだろうけどね。


「そのくらいでしたら一向に構いませんよ」


 そういうと、ボムハースさんは日時を調整して従者の人を私につけてくれるということだったので、ありがたく厚意に甘えることにした。



 ミリーフは人口が1万人くらいだというが、これはハッバーナの倍以上の人口である。私がいるところは庶民街とでも呼ぶべきなんだけど、貴族街という場所もある。ハッバーナにもあったけどちょっとあまり歩きたくないなと思っていたので近寄らなかった。

 ボムハースさんが紹介してくれたところは、この貴族街というところにある。


「困ったな。何を着ていこう」


 ただの見学なんだけど、こちらも冒険者が着る服なんて着ていってもちょっと問題がありそうだ。悩んだ結果、わりとフォーマルな格好で臨んだ。大学の同級生の結婚式で着た服を身につけていくことも考えたが、さすがにそれはないか。

 カジュアル過ぎず、かといって堅すぎず、そういうギリギリの衣類を選ぶ。なんだか変なのと自分でもおかしくなった。


 当日はボムハースさんが馬車を用意してくれた。

 乗合馬車ではなく、映画とかで見る貴族の人たちが載っている馬車だ。御者も正装している。従者の方はミルネーラさんという男性の方だった。


「チカ様、お迎えに上がりました」


「ありがとうございます。あの、こんな格好で大丈夫なんでしょうか?」


「はい、全く問題ないと思います」


 そういうミルネーラさんも前に見た時のように庶民の服ではなく、かなり正装に近いものを着ているのだから、ポロシャツにジーンズを選ばなくて正解だった。




「うっわ……」


 案内されたお店は豪華な衣装ばかりで、それなりの広さがある店だった。社会階層が上の人たちに向けた専門店という感じだ。老舗のようで、100年の伝統があるようだ。


 工房とセットになっていて、どちらも見学をさせてもらうことができた。

 私が扱ったことのない新素材ばかりである。どうやらこういう高級衣服店では魔物の素材を使うことが圧倒的に多いらしい。さすがにヘビーモスとか水竜とかそういう素材を日常的に取り扱っているわけではないけど、中にはそういうレベルの素材も過去に扱ったことはあったらしい。


 ミシンもあるけど手縫いもしている。どうやらそういう裁縫のスキルを持っている専門家集団がいるようだ。私は最初ミシンで縫ったのかなと思うほどの正確さのものを見たけれど、実は手縫いですという服も数多くあった。縫い物スキル、恐るべし。



 お店の方を見学すると、ガラスケースに入っている衣類などがあった。ああ、この世界にもマネキンはあるようだ。こういうのがあるとイメージがしやすい。


 その中でひときわ目を惹くものがあった。


「これは、マーメイドドレス?」


「よくご存じで。こちらはこの店の創業者のご子息の作品です。売り物ではありませんが、一種の見本みたいなものですね」


 なるほど。マーメイドドレスと言ったらいいんだろうが、シンプルな白色のドレスである。ただ、模様がとてつもなく複雑だ。


「キラキラと光っているんですね」


 灯りが反射して、見る角度によっていろいろな色になっている。虹色なんだろうか。

 ただ、不自然に汚された箇所がある。結構広い範囲で何かインクのようなものでもかけられたのだろうかと思われる。


「こちらはマーメイドの貴重なウロコを粉末状にして、それを吹きかけているんです。元々はもっと輝いていたと言われていますが、それを見た人は今ではもうほとんどいないと言われています」


 100年前に店ができて、創業者の息子が何歳くらいで作ったかはわからないが、少なくとも50年は経過しているということになるんだろうか。

 ミルネーラさんとの会話に入りこんでくるおばあさんがいた。


「これはね、自分の娘に作ったドレスなんだよ」


「そんな思い入れのあるドレスだったんですね」


「ああ。今でも美しいことに変わりはないけれど、昔はもっと綺麗なもんだったけどねえ」


 おばあさんは当時のドレスを知っている人のようだった。

 創業者の息子が娘の結婚衣装として作ったけど、結婚前にその娘が亡くなってしまったのだという。誰にも着られないまま、こうして飾られることになったようだ。それを嘆いて「こんなもの!」と何かの液体をかけたところ、今のようなものになったようだ。


「まあ、亡くなったのは私の姉さんだったんだけどね」


 おばあさんはそう語ってくれた。ミルネーラさんは知っていたようだった。


「あら、母さん。今日も見てるのね」


 振り返ると、ザ・マダムと言った感じの女性が立っていた。なんというんだろう、この世界に来てから一番全身からオーラを発している人だ。その後ろには3人くらいの従者がいるけど、3人とも顔立ちが整っているのが印象的だ。


「サユリかい、珍しいねえ」


 サユリということは、もしかして地球からやってきた人と縁のある人なのかなあと思った。サユリという名前とは裏腹に、このお店の衣装よりも華美な格好で、なかなか日本でもこういう人を見ることはないなと思った。芸能人、そんなオーラだ。


「ミルネーラちゃんも今日はそこのお嬢ちゃんを連れてるのね」


「はい。ボムハース様からの紹介です。こちらはカミジョウ・チカ様です」


「私はサユリ・ヴィーゴよ」


 「何よこの汚い娘は」とでも言われることを想定していたが、そうではなかった。

 それから私は「クリーニングというものを手がけています」と言ったら、ピクッと反応した。ん? もしかしてこの言葉を知っているのかな。


 サユリさんは最先端の衣類をいまだに作り続けている人のようで、各国からいろんな注文があるらしいが、「いやよ」とはねのけているらしい。相手が王族であっても強気の態度であるようで心配になったが、自分が納得できないものは絶対に作らない人のようだ。こういう職人もいるんだなあ。

 ちなみにサユリさんが手がけている衣服の値段を聞いて腰を抜かしてしまった。ちょっと私の住んでいる世界とは違うようだ。


「お爺さまも晩年は嘆いてたのよね。小さい頃に聞いたけど、なんでこのドレスを汚してしまったんだって」


 一時の感情、それがドレスを汚すことになった。そういう感情は生きている上ではありうることだろうと思う。そして、後悔することもまたありうる。


「うーん、どういう液体か、そういうのが分かればなんとか綺麗にする可能性もあるのかなと思います」


「そうなの? これが復元するの? いろんなスキルの子たちに頼んでみたけど、みんなお手上げだったわよ」


 そうか、スキルではこういう汚れは落とせないのか。


「私のはスキルではなくて、なんていうんでしょう、職人みたいなものでこれは手作業で直していくことになりそうですね」


 ヘビーモスの素材と同じレベルだと考えると、通常地球で経年劣化したものよりも修復する可能性は高いように思えた。それに自分の娘の花嫁衣装なのだから、そこらへんにあるような素材を使っているとは思えない。それは一つの賭けだな。


 私がうんうんと唸っていたところに、サユリさんが言った。


「できるの? このドレスの修復を」


「できます、とは今の段階では言えません。ただ、挑戦する価値はあると思います」


 でも、これは安易に引き受けられないなあ。この前の座布団でも時間かかったし、しかもこれはもっと大変そうだ。


「お前達」


「はっ!」


 サユリさんが命ずるがままに、後ろに控えていた従者の人たちが手際よくショーケースからドレスを取り出していく。この流れはまさか……。


「えぇ、ちょっと……」


「どこまでできるかお手並み拝見するわ」


「は、はい……」


 こういう次第で、私はドレスをクリーニングすることになった。

 このドレスの材料はすべて記録に残されていた。その一つひとつの素材を仕立屋の人に聞いたり、ヨークさんのところや図書館、ついにはリンネさんのところにまで行った。


「あの人が亡くなってもうそんなになるかねぇ」


「お知り合いだったんですか?」


「そうだよ。よく可愛がってくれたもんだよ」


 50年くらい前に作られた花嫁衣装。ある意味ではヘビーモスの革のマントよりも緊張する。


 サユリさんはバックアップしてくれて、このドレスに関わる素材のサンプルを全て用意してくれていた。その素材にいろいろな溶剤を試していったけれど、残念ながらシミは完全には取れそうにないことが判明した。漂白剤でも効き目はない。もしかしたら店の設備を充実させたら可能かもしれないが、それでもどうかなと思う。シミを薄くしていくことくらいだった。近くで見ると気づくくらい、このあたりが限界だった。

 スキルでたぶん除菌なんかはできていたのだろう、深刻な被害は驚くほどなかった。よほど大切に管理されていたんだろうな。


「へえ、なかなか良いじゃない」


「そうなんですかね……」


 10日くらいかけてクリーニングをしたが、不完全燃焼である。

 ただ、言われてみればマーメイドの鱗が今でもまだ生きているかのように、最初に見た時よりも虹色を示すことが多くなった。そのせいでシミ自体に気づかないというか、そういう効果がある。


(クリーニングで素材が元の輝きを取り戻す?)


 ヘビーモスの革のマントもそうだった。クリーニング中よりもヒューバードさんが羽織った時の方が陽光で煌めいていた。

 ヘビーモスにせよマーメイドにせよ、この世界の魔物の中でもとりわけ貴重な素材は、そんな可能性があるのだろうか。そんなのは図鑑にも載ってなかったし、みんなも言わなかったんだよな。

 サユリさんからは金貨5枚をいただいたのだが、厳重にお断りした。でも、「はぁ?」という目力がすごかったので、強制的に受け取ってしまった。



 後日、あのおばあさんがドレスを見て、感動のあまり発作で倒れそうになったと聞いた。どこまでおろしたてのドレスになったかは心許ないが、サユリさんには「また知識と技術をつけて挑戦します」と言ったら、「母さんが生きているうちにお願いね」と言われてしまった。


 祖父のノートには残念ながらクリーニングができなかった衣類についても記録されていた。それは祖父が若い頃のことだったが、その20年後に同じような衣類をクリーニングできたと追記されていた。20年か……。

 今の私にはできないことが多いけれど、これから先にさらに鍛錬してこのシミを完全に取り除くことができるようになりたいと思った。

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