第21話 この世界の洗濯

「カレーナさん、今日はお願いします」


「洗濯を見たいなんておかしなことを言うんだね」


 カレーナさんやターシャちゃんが共用の洗濯場に連れて行ってくれた。

 町にはいくつかそういう場所があって、みんな定期的に洗濯をしているようだけど、毎日というわけではないそうだ。ハッバーナの町も似たような場所があった。



 タライに洗濯板、これがこの国での一般的な家庭での洗濯の仕方である。

 地球の歴史でも、東洋も西洋もタライに洗濯板というのは共通していると祖父から聞いたことがある。

 昔の映像なんかを見ていたらそういう場面が映し出されたことはあるけど、生で見学したことはない。といってもタライやバケツはクリーニングする時に使用する。リンネさんの座布団はそうだった。


 この国で使用されている代表的な洗剤を検証してみたけれど、思っていたよりも汚れは落とせていると思う。買い取った衣類の中で破棄する以外に使い道のない布などにいろいろな汚れを付けた後に洗ったが、効果ははっきりとしていた。

 これは人間用の石けんや食器用洗剤がこの世界にある時点でなんとなく予測ができていた。


 ただ、洗濯にはその洗剤だけで十分かというとそうではない。しつこい油汚れやシミは落ちないかなと思う。


「そうなんだよ。これは昔から消えなくてねぇ」


 カレーナさんがもう諦めているシミがある。白ではなく黒に近い色の服なので遠くから見たら気づくことはない程度のシミだ。


「うーん、何かの料理の食べ残しがそのままになった感じですかね」


 汚れやシミは、汗や果汁のように水溶性だと水で流し、油脂や皮脂、化粧品のように油溶性だと油で流す、これが基本的な考え方だ。


 これとは別に泥や金属粉のような不溶性の汚れは物理的に除去するけど、墨汁などが落ちづらいのは広く知られている。中性洗剤とご飯粒を混ぜてから付ける、墨汁にはそんなやり方もあるけど、できるなら汚さないでほしい。そして汚したら時間との戦いである。


 実際には単純に汚れは落ちないし、汚れ自体が単純ではなくて、前処理でシミを取ったり、いろんな洗剤や漂白剤を使ったり、苦労をするものもある。

 


 黴なんかは不溶性の汚れになるけど、ヒューバードさんの持ってきたヘビーモスの革のマントでは黴が繊維の深くまで入りこんでいなかった。あとは汗や皮脂などが染みついていただろうし、化学変化が起きたと思うけど、そういう変化も見られなかった。

 ヘビーモスの皮膚がそういう構造になっているということなんだろうけど、非常に珍しいと思う。

 引き受けるべきではなかったと冷静になった時に思ってしまったのだけど、そのおかげでマントの汚れは少しは除去できたわけだ。まあ、ヒューバードさんが持ってきた時に比べるとましだったと思いたい。



 ドライクリーニングは、水洗いだと形崩れや色落ちしてしまう衣類を、水の代わりに有機溶剤を用いてクリーニングする方法である。

 欠点としては水をほとんど使用しないため、水溶性の汚れがなかなか落ちないことだ。たとえば汗は水溶性だから、ドライクリーニングだと落ちにくいということになる。


 家庭用の洗濯とは異なり、ランドリーという家庭用の水よりも高い温度の水を用いる方法がクリーニング店にはある。血のように高温で凝固してしまうものもあるけど、高温だからこそ落ちる汚れもあるし反応する洗剤や酵素もある。温度は汚れ落としやアイロンがけの際に重要な要素である。


 同じく水を用いるウエットクリーニングというのもあって、手間も時間もかかるけど効果的な方法の一つだ。この仕上がりを好むお客様はいた。

 祖父のクリーニング店ではドライクリーニングをすることはできなくて、私も数回ほど他のクリーニング店に見学させてもらって使ったくらいだ。いつかはポイントを貯めて購入するかもしれないけど、事前の勉強と検証が必要になるから、まだまだ先のことだ。




 洗濯を終えて、シミのついていた服を預かって、シミ抜きをすることにした。


「それは何をしているんですか?」


 ターシャちゃんが私のやっている作業を眺めている。


「これはたぶん油のシミだから、その油が溶けやすい液体をかけて、トントントンってやっていくんだよ」


 ベンジンというのがシミ抜き剤によく使われていて、これで油性汚れを除去することができる。別の布を下に敷いてベンジンを筆につけてシミを中心にして塗って、トントントン、その繰り返しだ。

 「昔は各家庭にあったりしたんだけどなあ」と祖父が言っていた。ベンジンは今ではドラッグストアなどで簡単に手に入る。アルコールなんかも油性の汚れを取り除くけど、油性ペンなどはこれを使う。ペンといっても蛍光ペンのシミはかなり厳しい。


「いやあ、ほとんど目立たないね」


 おそらく期待していなかったカレーナさんが驚きの声をあげる。途中からはターシャちゃんがトントントンとやってくれた。中学生に教えた時にもこの地味な作業が結構好きな子がいたようだ。


「これは私のところにしかない液体なんですけど、この町にも同じ役割のものがないか探してみますね」


「ああ、そうしてくれると助かるよ。他の家の人たちも使えるようになればいいけどね」


 そうだよな。身近なもので代用ができればそれに越したことはない。市販の洗剤以外にもピンポイントにシミ抜きや汚れを落とせる方法があれば便利だろうな。

 そのためにはこの世界の繊維素材や資材や食材、よく付着する汚れを調べないといけない。みんながみんなこういうのに興味を持ってくれると私としては嬉しい。



「このシミは?」


 ターシャちゃんが「またトントンするんですか?」と訊いてきた。


「ああ、これね」


 同じく黒い布地に白いシミが付いている。

 私はガムテープを用意して、ひっつけては離す、ひっつけては離す、この繰り返しの動作を行った。すると、白いシミが取れていった。


「これは物理的にひっついているから、こうして物理的に処理するんだよ。顔についた泥を拭いて落とすみたいなものだね。汚れにはいろいろな汚れがあってね、だからいろんなやり方を組み合わせるの」


 固まったソースとかもまずは物理的に取っちゃうと楽なものが多い。繊維の中にまで行かない汚れもあるので、こうしてガムテープに付着させていくことも効果的だ。祖父がやっていたので、最初見た時は私も驚いたものだった。コロコロなんかを使うこともある。


「うわあ、すっかり綺麗になった」


 細かい汚れはあるけど、これくらいならあまり目立たないで着られるんじゃないかな。


 こうして、ターシャちゃんにレクチャーしたり、市販の商品で落とせる汚れやシミがないかを探す日々を過ごしていた。ベンジンもガムテープもないからなあ。


 その日々の中で、祖父が記録していたノート類にも目を通していた。

 本当にいろんなものをクリーニングをしてきたんだなと思わされる。

 祖父も若い時には大失敗してトラブルもあったらしいことが判明した。そのトラブルが何に起因するのか、改善点はどこにあるのか、そんなこともつらつらと書き記している。


「最初から上手くできる人なんていないってことか。当たり前のことだけど」


 生涯勉強、これに尽きる。

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