第20話 思い出のシミ

「ほお、これは買った時くらいにふっくらとしているね。そうだそうだ、こういう感触だったのを思い出せたよ」


 リンネさんの反応は上々だった。正座をしながらピョンピョンと跳びはねている。


 私が驚いたのは、ピンスパイダーの素材の力で、天日干しをする時間に比例して、ふっくらとしていったことだった。

 中綿の水分は抜け出ているのに空気を吸い込んでいる、そんな現象だと思うけど、ここまで膨らむのはやっぱり世界が違うんだなと思ったものだ。しぼんでいた風船が次の日にはぱんぱんに膨れあがっているみたいだった。


「膨らむと、外の布地にも風情を感じられますね」


 へなへなとした中綿だったら、外のカバーもしわしわだけど、中綿がふっくらとしているから外のカバーもぴしっとする。押すと心地よい抵抗感をもたらす。

 魔法付与の効果【ふっくら】がなくても、自然の素材だけでこんなことになるとは、魔物の素材を舐めてはいけないんだなと思った。代わりに持ってきた座布団よりもふかふかだ。

 ただ、気になることとして、ピンスパイダーのその特性については図鑑には一言も書いていなかった。不思議なことがあるものだ。これは記録しておこう。


「ああ、ここのシミは取れてないんだね」


 カバーのファスナーを半分ほど開けて、中綿を包んでいた薄いカバーのシミをリンネさんが確認していた。いろいろと手を施したけれど、目立ってしまっている。


「すみません。それも綺麗にできればと思ったんですが、力及びませんでした」


 薄いカバーに溶液や漂白剤をつけたかったが、それだとピンスパイダーの綿にも影響があって、相性が悪かった。だからその処理は避けることにした。

 一度カバーを開いて、ピンスパイダーの綿を取り出してから処理をするという方法もあるけど、元通りに縫える自信がなかったので、これが今の私の限界だ。


「まあ、こうしている分には見えないからね。それも思い出だよ。何でもかんでも綺麗になっちまったら、それは寂しいからね。味ってもんだよ」


「思い出ですか?」


「ああ。このシミを見る度にあの人のことを思い出せるだろう。そういうのを知ってるってだけでも秘密を抱えているようで嬉しいもんなのさ」


 クリーニング店の人間としては複雑な気持ちだけれど、全ての汚れやシミを取りきったことが必ずしもお客様を満足させるわけでもない、そういうことなんだろうと思う。


 祖父の家の2階の柱や壁には、私が小さい頃に粗相をしてしまった落書きがある。私にはその記憶はないけれど、あんなに綺麗好きだった祖父母がそのままにしていたのは、きっと理由がある。


「ありがとうございます。大切なことを気づかせてもらえました」


「まあ、婆の一人言さ。すっかり綺麗になっちまった方が喜ばれるだろうよ」


 この専門書店は半分以上が古書で占められていて、本のシミなどにも味わいを感じる人がいるようだ。司書のライフさんは苦笑いするかもしれないけど、いろいろな感性や考え方があるのだ。72年生きていた人の言葉には重みがある。


 それからも定期的に通うようになったけど、「最近調子が良くてねぇ」と言っていた。病は気からという言葉もある。クリーニングをした座布団で幸せな気持ちになったんだろうな。



「チカちゃん、お疲れ様!」


 夜はみんなが祝ってくれた。ハンナさんが美味しい果実酒を売っている店を教えてくれて、そこで買ったのを今日は呑んでいる。


「いやあ、やっぱりこの世界の素材を舐めちゃいけないなと思いました。もっと謙虚にやっていきます」


 そんな抱負を述べた。もっとできることが増えていくと良いな。


「この町の職人には良いやつらが多いだろう?」


「はい、カシムさんが言ったように、わりと親身になって教えてくれる人ばかりで助けられてます」


 ヨークさんの工房に一番にお世話になったけど、それ以外の工房の人たちも気さくな人たちが多かった。中には小難しそうな人もいたけど、訪問のタイミングが悪かっただけで邪険に扱われたという印象はなかった。

 みんながみんな、ハッバーナの町のように人を見下すような人じゃないことに安心した。サッソンさん、あんなところで職人をやってるのってストレスが溜まるように思えて心配になる。唯一の良心かもしれない。


「そういえば、魔法付与師ってどこの町にもいるものなんですか?」


 私の仕事には関係ないけれど、ずっと気になっていたことだった。


「そうだな、魔法付与師はそのスキルを持つ人間は少なくてな。それでもこの町には10人くらいはいる。ただ、その中でも上位の魔法付与効果を施せるのは1人いるかいないかだな」


「ああ、だから貴重な効果を魔法付与された装備品の価格が高いんですね」


 そして0になったら二束三文というのは寂しい社会だ。だったら、職人は安い給料なんだろうか。

 これにはハンナさんが答えてくれた。


「いや、元々の装備品がしっかりしていないと魔法付与が上手くいかないんだよ。だから、職人の腕が悪ければ魔法付与の効果も落ちる。持ちつ持たれつってことだね」


 報酬は折半している、そういうことのようだ。

 リンネさんの座布団は一流の職人と一流の魔法付与師だったんだろうか。共作するくらいなんだから、適当なものじゃないと思う。

 他にも、私が今身につけている腕輪が何かの拍子に壊れてしまったら、魔法付与の効果が解除されるようだ。残存回数は0だけどね。


「だったら、もし魔法付与の効果が残っているものをクリーニング失敗したら、効果も吹き飛ぶんですね」


「そうなると思うよ」


 スライム洗浄の失敗例として、そんな報告はなされていた。

 誰も試したことはないけど、これからクリーニングをしていくにしてもそういうのを扱うのは緊張するなあ。鑑定具も買っておいた方がいいのかな。


「ヨハンくん、鑑定具っていくらくらいするの?」


「うーん、紙幣で5枚くらいだったと思いますよ」


「えっ? そんなに高価なの? 簡易的な鑑定具なのに?」


「まあそれはそうですね。もっと詳細な鑑定具だとその10倍、20倍はしますよ」


 今の私にはちょっと手が出せないな。

 一つくらい店にあったら、どういう魔法付与があるかを調べられると思ったけど、これはギルドに行った時に試してみるしかないか。

 そんな利用ができるか交渉してみよう。トマスさんだったら快諾してくれるような気がする。



 買い取った衣類ならともかく、リンネさんの座布団のように安易にクリーニングをしてはいけないというのが今回勉強したことだ。もちろん、ヒューバードさんのマントや袋もそうだ。

 しばらくはクリーニング業再開は先延ばしして、この国の洗濯の仕方や衣類用洗剤について知ろうと思った。

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