第19話 この世界の動物繊維

「それで引き受けたってチカさんらしいですね」


 ヨハンくんが笑いながら言った。

 いつものように、2階でわいわいと夕食を食べている。カシムさんは気に入ったのか、テレビにはDVDの時代劇が流れている。勧善懲悪物が好きなのかもしれない。悪人をリアル成敗をされるとちょっと困る。


 この頃にはもう私が違う世界からやってきたことは話していたし、勘の鋭いカシムさんとヨハンくんはもしかしたらと思っていたらしい。

 でも、私がこの世界に慣れていないことに一番に気づいたのはハンナさんで、初めて店を召喚する前から違和感を抱いていたようだ。

 正直に告白したら、それでも3人は驚いたのだから、私みたいな人は本当に滅多に存在しないようだ。



「座布団にも魔法が付与されるって聞いて驚いたよ」


「結構特殊だと思いますよ。ずっと座りっぱなしの職業の人がそういうのを使うって話は聞きます」


 書店員は忙しいイメージだけど、この世界の専門書店員は山のように動かないのかもしれない。


「工房か。確かにこの町の工房は他の場所よりも職人が多いな」


 カシムさん情報では、物作りの職人が昔から多くて、他国からも注文があるらしい。ハッバーナよりも物価は高いけど、賃金もその分高いらしい。それなら納得だ。




「さて、始めますか」


 リンネさんの座布団は、側面から中身を取り出せる形になっている。日本の座布団と似ているところがあって、ファスナーが付いていて、外カバーと中綿とを分別することができる。


「ファスナーの技術はあるんだな。これって地球の人が導入したのかもしれないな」


 図書館で被服、アパレル関連の本を読んでいた時に、どういう処理の仕方があるのかを調べていたら、ファスナーの項目があった。

 他にも、この世界には化学繊維はないと思っていたけれど、もしかしたら存在している可能性がある。ちょっと別の分野の本をあさってみた方が良さそうだ。


 仏壇前によくある法要座布団にはファスナーはなかったけど、この座布団にはある。職人さんが手入れをしやすいように考えていたのかもしれない。


 カバーから中綿を抜いたら中綿はさらに薄いカバーがあって、シミがある。

 その中に何やらかの綿が入っている。薄いカバーが摩擦によって一部が裂けていたので、薄汚れたモコモコとしたものがあったけれど、これが日本で触ったことのある綿かというと、ちょっと根拠に乏しい。


「えっと、図鑑図鑑……、綿の項目はあるけど、結構細分化されているな」


 地球では綿は天然繊維の中で最もよく消費された繊維だと言われている。

 植物繊維の木綿や麻があり、動物繊維の羊毛綿やカシミヤなどがある。

 紛らわしいけど、綿と言っても動物繊維の真綿は蚕の繭を処理した繊維であり、つむいだ糸で織られたものが絹である。コットンとシルクの違いだ。


 リンネさんの所で買った図鑑の説明によれば、この世界には動物繊維の綿が他にもあるようで、蜘蛛の糸を綿にしたものもあるようだ。ちょっと地球では考えられない。

 デススパイダー、キングスパイダーと、なぜか英語の名前だけど、ギルドでもAとかEとか普通に使ってから同じようなことなんだろう。

 蜘蛛ではなく魔物の一種らしく、こうした蜘蛛が出す糸を丸めている綿もあるという。真綿に近いから動物繊維ということになるのだと思う。大きな蜘蛛のようだ。


「やっぱり、工房の人に訊くのが一番早いよね」


 それから、いくつかの衣類をクリーニングしつつ、時折リンネさんの所に行って「もうしばらくお時間いただきます」と謝罪した。冗談なのかどうかわからないけど、「こっちの座布団の方がいいねぇ」と言ったので、早めに綺麗にしなければならないと思ったものだ。

 自ら進んで言ったくせに、軽い気持ちで提案なんかするものではなかった。

 この世界では具体的な物をクリーニングをすることが自分の成長につながると思ったのだけど、もっと熟慮すべきだったな。



 工房にも足を運んで、直接関係はなかった工房でも見学させてもらうことがあった。

 その中の工房で、やっとこの座布団を作った工房を見つけることができた。


「ああ、『連作癒し物』か」

 

 工房のお兄さんが懐かしそうにそう言った。

 私よりも年上、カシムさんよりも上のお兄さんが賑やかな声で座布団を触っていた。ヨークさんという人だ。


「『連作癒し物』ですか?」


「そうそう、俺のじいちゃんが昔、仲の良かった魔法付与師と共作したものでね。販売したのは短い期間だったけど、戦わない人たち用の物を作ってもいいんじゃないかって意気投合したらしいよ。その中の一つだよ。座布団以外にも枕とか人形なんかもあったらしいよ」


 ヨークさんが生まれた直後くらいだったようで、当時のことは覚えていないらしいけど、小さい頃に使っていた寝具や、働き始めてからたまに私のように持ってくる人がやってきたのだという。


「そうなんですか。とても素敵なことですね。それで、私はこれを綺麗にしたいと思うんですけど、この中の素材がどういう性質のものかを知りたくて。外の布地もそうですね」


「じいちゃんはもう亡くなったけど、その当時の材料は記録してあるよ。ちょっと待ってな」


 ヨークさんが嬉しそうに走って行った。やっぱりお爺さんが作ったものを見て喜んでいるんだろうな。


 しばらくしてヨークさんがやってきた。手には紙切れと何かの素材がある。


「はい、これだよ。中身はこれだな」


「綿……ですかね?」


「魔物の素材だな。これは見本だよ。今はここでは使ってないからそれはあげるよ」


「本当ですか? ありがとうございます!」


 前に調べたように、蜘蛛の糸由来の綿らしい。

 ピンスパイダーという珍しい蜘蛛で、ヨークさんが手に持っているのがその綿のようだ。動物繊維ということになるのかな。図鑑にもあったはずだ。


「それにしてもじいちゃんの刺繍、やっぱり凝ってるよなあ」


「かなり気合いが込められたのがわかりますね」


 座布団の真ん中には不思議なマークがある。

 やけに細かいし、ずっとお尻によって押しつけられていたというのにそのマークだけは崩れずに残っている。謎の技術だ。

 何かの動物のようだが、ヨークさんのお爺さんが好んだマークらしくて、このマークを見ればすぐにお爺さんの作品だとわかるのだそうだ。そう言われてみると、工房の中にも同じマークがある。ハッバーナの工房のサッソンさんの熊のマークみたいなものなんだろう。


 カバーの素材や使った染料まで事細かに書いている。お爺さんはまめに記録していた人だったようだ。どこか私の祖父と重なるところがある。



 それからは急ピッチで、でも焦らずに外カバーのシミ抜きをしたり、洗浄していった。

 ヨークさんから、中綿以外の素材のサンプルも頂いた。この世界の本の情報と付き合わせて、どの溶剤が適切か、慎重に調べていった。


 中綿を包んでいる薄い布にはシミがある。リンネさんの話ではご主人が買って間もなく茶をこぼしたということらしい。

 家で座布団を丸洗いする人はそんなにいないと思うけど、ポリエステル100%であればそれは可能だ。

 でも、綿の比率が多い場合は水洗いは避ける。せいぜい天日干しが有効だろう。加えて、ピンスパイダーの綿は真綿に近いのだろうから、私はこれは絶対に洗えないと思っていた。


「ピンスパイダーは大丈夫だ」


 ヨークさんの情報によれば、この座布団は水洗いをすることが可能なのだという。これはお爺さんの書き込みにも書いてあることだ。図鑑にもピンスパイダーの特徴に載っていた。


 でも、その言葉をそのまま信じるわけにはいかず、サンプルとしてもらったピンスパイダーの綿を水につけたり、洗剤につけたりして、確認をしていった。水分を吸収して変な形になるわけでもなく、不思議な素材だなと思った。


 座布団のカバーもそうだけど、中綿には食べこぼしや何かの飲み物がこぼれたり、皮脂や汗などの汚れがある。ここにダニが発生したり、黴は生えたりする。

 大きなたらいに特殊な溶液を垂らして混ぜて、それにつけ込んでゆっくりと汚れを取っていきたいけれど、それが可能かどうかの検証だ。これができるだけでも随分と出来が異なる。

 ビーズクッションは気持ちの良い感触だけど、洗濯をするとなるとかなり新調にしないといけないか、水洗いをしない方がいい。中まで乾ききらずに嫌な臭いを発して結局捨てられることが多いクッションの一つである。


 積み重ねた検証から、中性洗剤につけ込んで中の汚れを追い出していくことが可能だろうと思えた。ヨークさんのお爺さんはここまで検証していたのかもしれない。

 

 こうして、中の汚れを吸い取って、平らになるようにして天日干しにした。ちょうど天気にも恵まれて陽気な気候と爽やかな風に任せるだけだ。

 薄いカバーのほつれは手縫いで補い、形を整え、あとは力を加えずに中を乾燥させていった。


 カバーの布地についたシミを一つひとつ落とし、ヨークさんの工房にあったマークとヨークさんのアドバイスを受けながら、当時の色を再現できるように配慮をした。


 といっても、それほど強気に冒険ができるわけではないので、気持ち程度の色修正に過ぎない。まだまだ祖父の技術に追いつけないことに苛立ちを覚えることもあるけれど、「焦ってもいいことないよ」という言葉が身に染みる。死ぬまで勉強の世界だ。


 依頼を受けてから2週間、予定よりもちょっと長くなってしまったけれど、リンネさんの元へと向かった。

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