第9話 異変

 バザーで衣類を売りに出して3週間くらい経ったことだった。

 それは突然の出来事だった。


 朝になって「今日もバザーに行くぞ」と張り切ってクリーニングをした服でびしっと決め、店の入り口から出ようとしたら、何かがコツと頭に当たった。

 いや、コツではない、ゴンという鈍い音だった。石だった。硬式野球の球くらいの大きさだ。


 石がやってきた方向を見ると、こっちを睨んでくる男性が何人かいた。髪に付いた砂を払いのけながら言った。


「ちょっと、何をするんですか!」


 叫ぶとみんな散り散りになって走って去って行った。驚いた表情をしている。驚くのはこっちの方だ。


「なんなの、これ!」


 店の周りが泥で汚れている。整理、整頓、清掃、清潔の4Sを心がけている私には許しがたい光景だ。

 どこに行けばいいのかわからないので、とりあえずギルドに向かうとマーサさんが立っていた。


「なんだい、チカちゃん、今日は早いんだねぇ?」


 マーサさんがのほほんとしているが、先ほど起きたことを話すと血相を変えた。


「どういうことだい? ちょっとここじゃなんだ、店に入るよ」


 まだ誰もいない食堂に座ると、すぐにマーサさんが温かいお茶を用意してくれた。そして、その後にカールさんとハンスさんもやってきた。マーサさんが言ったのだろう。


「ちょいと物騒なことになってるな」


 カールさんが神妙な面持ちで言った。


「物騒なことですか? そんなやましいことをした記憶はないんですけど……」


「数日前からかな、俺んところに苦情が入ってきてな」


「苦情?」


「ああ、この町の衣服専門店や職人のやつらさ。お前さん、バザーで衣服を売ってんだってな?」


「はい。ここに持ち運ばれたものを買い取ってクリーニングをして綺麗にしたものを売ったんですけど」


 何かまずかったのだろうか。

 もしかして中古服は売ってはいけないとか、特別な許可が要るとか、そういう事情?


「出来が良すぎたんだ、たぶんな」


「そんな……。それが悪いことなんですか?」


 それが私の仕事なのだし、残存回数が0といっても汚れがあっただけで新品に近いものに出来たのは私の成果であるし誇りでもある。


「お前さんの腕が良いって話だな。だけどな、あいつらは自分たちの店で売ってたものをお前さんが新しく綺麗にして売ってるのが気にくわないのさ」


 たぶん、冒険者の人たちがクリーニングをしに来ることも気にくわないんだろうな。


「法を犯したわけじゃないんですよね?」


「ああ」


 だったら何も悪くない……けど、カールさんの表情を見る限りではそういう話でもなさそうだ。


「だって、まだ着られるものや履けるものが一杯あったんですよ? それなのに雑巾にされたり捨てられたり、それこそ勿体ない。私にはまだ宝の山のように思いました」


 そうなんだがな、と遠くを見つめながらカールさんが言った。

 次にハンスさんが話した。


「いろいろなところの人間に声をかけて店に嫌がらせをしようって話になってるんだ」


「嫌がらせ? 私、この拳くらいの石を投げつけられたんですけど。泥だってまかれてました」


 グーをしてハンスさんに見せた。下手したら命に関わることだ。嫌がらせなんていうレベルは超えている。

 あれ、そういえば痛みは感じなかったな。だからなのか、投石されたことへの怒りはあまりない。店の前を汚されたことの方が悔しい。


 石を投げつけた人たちは他に目撃者がいないので、訴えても罪を問うのが難しい、ハンスさんはそう言った。

 それだと現行犯逮捕以外に捕まえることができないってことじゃないか。なんとも理不尽な世界だ。


「そういうのを専門に調査する人間はいるんだが、いろんな国に行ったり来たりしててな。今はちょうどこの町にいるんだったか。だが、当面は警備を強化しないといけない、か」


 ハンスさんがこれからのやりくりを考えているようだ。

 ああ、こんな迷惑をかけることなんてしたくなかったのに。こんなはずじゃなかったのに。


「私がこの町にいる限り、嫌がらせは続くってことですよね?」


「たぶんそうなる」


 悔しそうにハンスさんが言った。今度来たらスマホで撮影してやろうかと思ったけど、スマホの説明をするのが問題になってしまう。

 だったら、もう結論ははっきりしている。


「それなら私、この町から出て行きます」


「いや、そんなことは一言も言ってない」


「でも、そうでもしないと騒動が落ち着かないんですよね? そうですよね、カールさん」

 

 ああ、そうだな、とカールさんが元気のない声で答えた。


「嫌がらせが止まらないのなら、私が出て行けば問題は解決されます。ハンスさんだって大切なお仕事があるのに私ばかりに気を取られてしまっては支障があるでしょう?」


 ハンスさんは頷かなかったけれど、それが本音だと思う。


「みなさんにはお世話になりました。早ければ今日にでもこの町を出て行きます」


「おい、あてはあるのか?」


「ありませんけど、もうみなさんの前に姿を見せません」


 ちっ、と舌打ちをカールさんがした。


「俺にもっと力があればよかったんだが、貴族たちとも縁の深いやつらが多くてな、くそったれ」


 カールさんがそれでも私を保護しようとしてくれた、その気持ちだけで十分だ。いろいろな権力が行き交う場に自分のことでカールさんを巻きこみたいとは思わない。


「情けないね、この町の連中も。そんな卑劣なことをしてこんな子を町から追い出すなんて。あんたに綺麗にしてもらって感謝してる子たちはいっぱいいたんだよ」


「マーサさん……」


 マーサさんが目に涙を浮かべて言った。

 でも、私が暗黙のルールを犯したということなんだろう。もっとこの世界を、この町のことを想像するべきだった。

 しかし、悔しいのでマーサさんから在庫の衣類をすべて引き取ってから店に戻った。


 マーサさんとカールさんにはこれまでの御礼を言った。

 「またおいでよ」と言ったマーサさんの言葉に思わず涙が流れそうになったけど我慢をした。ここで泣いてはいけない、そう思った。


 帰りはハンスさんとその部下の人たちが送ってくれた。臭い衣服を運んでくれて大変申し訳ない。「すぐに出ますから」と言って入り口で待ってもらい、私はすぐに身仕度をした。すでに物資は買い込んである。


「収納……でいいのかな?」


 店の外に出てからそんなことを考えていると、店のあった場所が一瞬で更地になった。何人かの人が目にしたけれど、こればかりは仕方のないことだ。それに私はもう今日町を出るんだ。気にしたって意味がない。こういうスキルを持っている人だっているらしいしな。


「それじゃあ、ハンスさん。御達者で。みなさんも、ご迷惑おかけしました」


「ああ。その、なんだ。すまなかった」


「いえ、ハンスさんに会えて良かったです。またどこか違う場所でお目にかかれることを楽しみにしています」


 深くお辞儀をして、ハンスさんと別れた。あの日頂いたサンドイッチの御礼くらいはしたかった。

 別れる前にハンスさんとカールさんには、私がクリーニングをしたものの中で二人に合いそうな装飾品を手渡した。これが私の仕事です、そう言いたかったけど、そのせいで町を出て行くなんていうのも認めたくないな。



 バザーの場所に行くと、キリューさんがいて、事情を説明してこの町から離れることを告げた。


「そうか。嬢ちゃんは商売してただけなのに世知辛いな」


「いえ。キリューさんもお元気で」


「ああ。もらった首飾りを付けた日から疲れがよく取れてなあ。嬢ちゃんとの縁がそうさせたんだと思ったんだがなあ。どっか良い場所があるといいな。ラマネード国なんかは過ごしやすいかもなあ」


「ははっ、キリューさんはいつもお元気でしたよ。ラマネード国ですね。ありがとうございます」


 キリューさんからラマネード国でお薦めの町とかお店の情報をもらった。

 感謝して、それではと言って離れた。もうここで売ることもないんだろうな。客が来なかった緩い時間を一緒に過ごすのは好きだったんだけどな。



 職人のサッソンさんのところにも行った。ひどく同情してくれた。


「みんながみんな、やつらみたいな考えをしてると思わないでくれよ。少なくとも俺たちは嬢ちゃんのやってることには意味があると思ってるからな」


「はい。サッソンさんのような職人の方たちからその言葉を聞けただけでもありがたいです」


 サッソンさんに渡すのもはばかられたけど、「これ何のマークですか?」と訊いたら、実は他国の名匠が作ったと思われる手袋があった。

 サッソンさんが「そんなものまで捨てられるのか」とショックを受けていたので、それを綺麗にして、サッソンさんに渡したら思った以上に喜んでくれた。作業用にも使えるもののようだ。

 他のお弟子さんたちにもいくつか渡した。「これはあの国の工房の!」とか言ってたので、有名な工房の作品なのだろう。


 そういう姿を見ていたら、案外回収先をギルドとか食堂じゃなくて、一般向けに開放したら買い取り価格が上がるんじゃないかと思った。でも、それは私のようにクリーニングをして売ることがもたらす事件を未然に防いでいた目的があったからかもしれない。


「こんな風に清潔に維持ができるんなら、嬢ちゃんにはもっと早くにいろんなものを頼めば良かったな」


 最後まで紳士だなと思った。お弟子さんたちにも挨拶をして、去った。




 一人か……。


 次はどこに行けばいいんだろう。この町というより、この国から離れた方がいいように思える。

 乗合馬車の場所を教えてもらってそこに向かうと、ちょうど東国のラマネード国行きの馬車がこれから出るようだった。席はまだある。ラマネード国はそんなに争いがある物騒な場所ではないという話だった。キリューさんからもお薦めの店を聞いたし、そっちに向かおう。

 石を投げつける無礼な人がいないといいな。1週間程度で着くようだ。

 料金を訊いて、渡してからすぐに乗り込んだ。一刻も早くこの町から出た方がいい、そう思った。


 馬車の中にはそんなに人は乗っていなかったけれど、行く町々で人が乗ってくるのだろう。そういう流れに身を任せて、私はこのハッバーナの町を去った。



 二か月も滞在しなかったけど、初めての世界の初めての町だ。

 全てが良い思い出とはいえなかったけど、優しく接してくれた人たちもいる。そちらのことの方をずっと大切に覚えていたい。

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