第6話 新しい生活

 翌朝、世界が元通りになっていないことにがっかりし、家にあった保存食を食べてからカールさんの元へ向かった。

 カールさんのいる店は何でも屋のようなところで、いろいろな職業の人が利用している。ギルド、そんな言葉を使っていた。食堂も併設されている。


 ちなみにハンスさんはこの町の治安維持を任されている人で、地球の警察に近い職業の人のようだ。最初にハンスさんに尋問を受けた建物が警察署のようなところらしい。


「こりゃ珍しい絵だなあ、おい。ちょっと時間かかるぞ」


「時間はありますから、好きなだけ鑑定してくださって構いませんよ」


 カールさんに売るために家から売れそうな物ばかり持ってきたけど、この世界での価値はまだわからない。まだ家にはあるけどこれ以上は持ち運べない。骨董品っぽいものを持ってきた。

 こればっかりはカールさん頼みであり、多少色をつけてくれたら嬉しいな。


 2、3日後にでも来てくれ、カールさんはそう言うと、ひとまず一時金としてお金をもらった。おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう。


 紙幣が1枚、金貨2枚、銀貨10枚、銅貨20枚、鉄貨30枚の入った袋を渡された。だいたいの相場を聞いて、頭の中で計算をした。え、10万円?


「ちょっと、これは貰いすぎじゃないでしょうか?」


 正確な物価はわからないけれど、鉄貨が10円、銅貨が100円、銀貨が1000円、金貨が1万円で、紙幣が10万円、おそらく日本円でこのくらいの感覚だろうと思う。13万円近くになる。ハンスさんに昨日買って貰ったサンドイッチは銅貨2枚だった。


「まあ、いいって。俺も目利きでよ、最低でもこのくらいの価値があると思ってんだよ」


「それならいいんですが……。でもありがとうございます」


 カールさんもなんだかんだ言って色をつけてくれたのだ。そう信じたい。でも、本当に売れるのかな。




「文字は不思議と読めるんだよな」

 

 この町には誰でも無料で利用できる図書館があったけれど、カールさんが「まずはこれを読みな」とお薦めしてくれた本があった。

 この国の歴史や地理を学べる本で、小さい子たちが読むもののようだ。食材を買ってから家に戻り、それを頭からひたすら読んでいる。どうやら、過去に地球からやってきた人用というか、そのくらいのレベルに合わせた本のようだ。知りたいことが優先的に書かれていて、私の境遇を不憫に感じた人が書いてくれたような気持ちになる。


 ルックアート国、これが私が今いる国だ。

 首都は違う場所にあるようで、この町ハッバーナは4000人規模の町であり、多くの町の中継地点であることも幸いしてそれなりに賑わっている場所らしい。

 ルックアート国は南北が海に、東西が他国に接している場所にあり、この町は東国に近い場所で、馬車に乗れば3日くらいで国境を越える。ラマネード国というらしい。


 この世界では王様がいて、貴族もいて、戦士もいる。身分社会っていうのはちょっと怖いな。


「ヒューバードさんはそういう戦士なのかな」


 剣を持っていたから、戦う人なんだろうな。あの剣は本物だったんだ。

 そういう職業の人たちとは町中を歩いている時にすれ違った。どういうわけか冒険者とまとめられることが多いようだ。気性が荒い人もいるけれど、ヤクザとか暴走族って感じでもない。治安はそこまで悪くない町らしいが、どこを基準にして悪くないといえるのかは不明だ。


 一人暮らしで一か月の生活費は金貨1枚あれば少し贅沢な暮らしができる。昨日ハンスさんに買ってもらったサンドイッチも銅貨2枚だった。コンビニで買うサンドイッチの2倍くらいの量で銅貨2枚だ。私の場合は光熱費は魔力で補えるのでその分が浮く。

 それだけにカールさんからもらったお金がどれだけの大金かがわかる。


「まあ、働くとなると賃金が安いんだろうな」


 カールさんがバイトを斡旋してくれて、ギルド併設の食堂を薦められた。カールさんは意外と面倒見の良い人だった。意外とだなんて言ったら失礼だな。

 3週間ばかり空きがあるので、その期間に入ってくれたら助かるとお願いされた。

 1日銅貨8枚の賃金で、こればかりは日本を基準にしても仕方ないか。この世界でクリーニング屋という心許ない店を開くよりはそっちの方が今はいい。


「新人ってのはあんたかい。しっかり働いてもらうよ」


「はい! 頑張ります」


 マーサさんというおばさんが取り仕切っていて、豪快なおばさんだ。私の事情は詳しくは知らないようで、カールさんが口利きしてくれたらしかった。


 仕事は思った以上に肉体労働で、注文を受けて配膳して、場合によって厨房に入って野菜を大量に切ったりお皿も大量に洗った。包丁もあって洗剤もある。混み合う時間帯では大学生の時のバイトよりもハードだ。


 中学生や高校生の時には別の世界に行く物語の小説を読んだことがあったけど、こうして生活している上では文明の水準というのは遅れているとはそんなに感じないし、食事の味付けだって美味しいものが多いと思う。

 



 バイトをした最初の日に、奇妙なもっさりした山を見かけた。衣類だろうか?

 客がはけて落ち着いた頃合いにマーサさんに訊いてみた。


「マーサさん、あの衣類の山って何なんですか? 買い取っているみたいですけど」


「ああ、あれはねえ、その通り、買い取ってるんだよ。ああいう服をほどいてから再利用するのさ、雑巾とかにね」


 あまり行儀は良くないが、近くに寄ってから軽く触ってみた。食堂近くで回収するのは不衛生で感心しないな。あとで手洗いはしよう。


「でも、これって結構良い布地のような気がしますけど、勿体ないんじゃないですか?」


 さらさらっとシルクのようなものもあれば、それこそヒューバードさんが持ってきたような何かの動物の素材や靴や腕輪なんかのアクセサリーもある。


「あたしも勿体ないと思うよ。魔法の付与が切れたものは安いからねぇ」


「魔法の付与?」


「なんだい知らないのかい? ここに来るような連中の装備品には魔法付与師っていう特別職の人間が魔法の付与を行うんだよ。そうかい、見るのは初めてかい」


 すると、マーサさんが別の部屋から虫眼鏡のようなものを取り出してきて、「ちょっと覗いてみな」と言うので覗くと先日のスキル表示のように画面が出ていた。バンダナやシャツ、靴などもある。



【体力回復・小 0/30】


【炎耐性・中 0/30】


【素早さ・小 1/50】



「ね、残存回数が0のものばかりだろう。こういうのはもう売り物にはならないのさ。まあよくて普段着で使うくらいだが、荒くれ者たちが使ったもんだからね、不潔だよ」


 ああ、それでヒューバードさんが「魔法付与効果の残存回数」と言っていたのか。

 あのヘビーモスとかいう動物の革のマントは今見た衣類のように残存回数が0ってことだから、売り物にもならない、そういう意味だったのか。


 効果は「小・中・大・特大」というランクがあるのが一般的らしい。

 ヒューバードさんはせめて2、3回くらいあったらと言ってたから、それなりの魔法付与効果があったってことなんだろうな。どんな効果だったんだろう。気になるなあ。


「中には残存回数が1ってのもありますけど」


「そうかい? ああ、この靴だね。元々が50回だったんだからあと1回残すよりは余裕をもって新品にしたいものなのさ。魔物の大群と戦うことになったら、その1回が命取りになるからね」


「なるほど、そういう考えですか。でも、魔法の付与を再度やってもらうってことはできないんです?」


 傷んだ衣類もあるけど、汚れさえ落とせば十分に着られるものばかりだ。

 襟とか肘のあたりは特にすり切れたり汚れたりしているけど、あまり力の加えられていない部分については綺麗なところもある。ただ、洗濯はしていないなというのが丸わかりだ。


「あたしは詳しくないけど、一度付与したものは取り消すこともできないし、新たにかけ直すこともできないって話だよ。できないというよりは難しいって話だったかねぇ。とにかく冒険者の子たちは荷物だって多いからね。減らせるものはこうやって減らしていくのさ」


「へぇ……」


 リサイクルができたらいいなと思ったけど、そういうものではないのか。なんだかそれは寂しいな。


「昔はもっと大切に扱っていたように思うけどね」


「洗えば着られると思いますよ、靴だって」


 靴のクリーニングだって珍しくない。祖父にもそういう固定客がいたようだった。


「残存回数が少ないのを身につけるのが恥ずかしいって感じるようになってきたのかもしれないね。洗剤を使ってもシミなんかは取れないものが多いんで、水をぶっかける人間が多いよ」


「きちんと段階を踏んでいけばたいていは綺麗になりますけどね。そういう機能性ばかりが優先されるというのもせつないですね」


 洗剤の質が悪いのか、洗剤はあっても上手く使いこなしていないということなんだろうか。

 マーサさんの服にもいくつかのシミがある。マーサさんはそういうのを気にしている人に見えるので、それでも落とし切れていない、それがこの国の現状ということなんだろう。


 店に帰って洗剤を使ってこの世界の水を確認したら、どうやらこの町の水は大部分が井戸水で、硬度成分を多く含む硬水だろうなと思った。日本では沖縄のような硬水の多い地域もあるけど、基本的には軟水で知られている。この町の衣類用洗剤は水と相性が悪い可能性は考えられる。


 あ、そうだ。


「マーサさん、これらの衣類って私が買い取ってもいいですか?」


「そりゃ構わないけど、そんな服、ここ以外じゃ買い取ってもらえないだろうよ」


「いえ、大丈夫です。えっと、賃金で足りますかね」


「ああ、この量だったら3、4日程度の給金で買い取ってくれたら助かるよ。なんというか、あまりに買い取り過ぎて処分にも困っちまっててねぇ」


 一着、一足あたり銅貨1枚くらいの値段だ。

 中には鉄貨1枚という格安のものもあるが、銅貨5枚、銀貨1枚というのもある。それでも破格の値段だと思う。ブランド物が100円ショップで売られている感覚だ。


「まだあるんです? だったらそれも全部頂きたいです」


 あんたも物好きな子だねぇとマーサさんは呆れながら言った。

 別室には大量の衣類が放りこまれていた。再利用すると言いながらも、実際にはそれができていないようだ。衣類の山の下の方が古くて、しかも上からの水分や汚れが落ちて溜まっていそうだ。途中からもう諦めたんだろうな。


 さすがに全部を一度に持ち帰れないので、毎日バイトが終わってから小分けにして持って帰るようにした。それでも毎日持ち込まれるのだから、なんだか寂しい世界だなと正直思った。

 ちょっと直に触れたくないなと思ったので、マスクをして、店にあったゴム手袋とゴーグルをつけて衣類をポリ袋に入れてから運んだ。すれ違う人たちの視線が痛かった。傍から見たら不審者だと思われたに違いない。

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