第7話 試行錯誤の日々

「さてと、じゃあ始めますか」


 クリーニング屋を開くにしても、この世界の衣類の特徴や特質を知らないとトラブルの元になってしまう。こうした衣類たちはどうせ処分されるというのなら、せめて私のために犠牲になってもらおう。クリーニング屋の孫としては心苦しいけど、これも必要な犠牲だ。繊維の性質を知るのが第一歩だ。


 それでも一つひとつは丁寧に処理をしたい。犠牲になるものもあるけど、できる限りその被害は最少にしたい。

 

 というのは、いろいろな衣類があるけどどれも逸品が多いというか、洗練された職人が作ったことがわかるものだったからだ。

 確かに汚れが目立って、中にはもう捨てるしかないなと思うものもある。衣類の山の下の方にあったのが特に酷い。時間経過とともに傷んでいっただろう。

 けど、細かいところまで丁寧に縫ってある。卸されたばかりの姿はきっと心躍るものだったに違いない。


「どこまで蘇らせることができるかわからないけど、また着られるようになればいいな」


 こうしてバイト中の3週間は昼前から夕方までは食堂で働いて、帰ってからはクリーニングをし、朝に仕上がりを確認してアイロンがけなどをして、そのままバイトに行くという生活だった。

 一つひとつの素材と薬品との相性や、温度によって変形するのかどうか、水洗いが可能なのかどうか、そういうのをノートにまとめていった。



 実際に衣類を作る人たち、ギルドに通う人たちが行くような店や工房に足を運んだのだけれど、ものすごくこちらを蔑む眼で見てきた。嫌われているとしか言いようのない対応だった。戦う人間には見られなかったからなんだろうか。貴族街へはちょっと行こうとは思えなかった。


 その中で一つの工房だけ、快く見学させてもらった。

 サッソンさんという50代の人がいて、武具や防具も手がけ、精巧な細工も一人でできるようだった。お弟子さんたちが6、7人くらいいた。


「へえ、綺麗にする仕事か。それはいいな」


「え、サッソンさんたちのような職人には、目の敵にでもされてるんじゃないかと思いました」


「ははっ、そりゃなあ。けど、自分でも出来がいいと思ったものなんて、魔法付与なんかなくても長く使ってもらいたいもんだよ。俺も付与しなくてもいいものを作ることが多いからな」


 みんながみんな使い捨てみたいな感覚でもないんだな。

 それに、いくら付与効果が重視されるといっても、剣や鎧などは元々の素材の強度に依存しているわけだから、大切に使うよな。

 武器や防具とは違って、インナーのシャツとかアウターとか、そういうのが使い捨ての対象にされやすい。金属製品以外なんだろうな。



 実際、鍛冶で補強することもあるようだ。

 技術の優れた人が打ち直すと、武器や防具に施されていた魔法付与の残存回数が増えるのだという。残存回数が3だったのが10とか20とか、そんなことが起きるらしい。サッソンさんはそういう職人でもあるようだ。


 もちろん、逆も起こりえて、残存回数が減ってしまうこともある。単純に手入れをしないで錆びてしまっても減るということだ。

 魔法付与効果のある衣服を洗わない冒険者の人たちが多いのは、雑に洗濯をして残存回数が減る可能性を回避するからなのかなと思う。

 繊維を傷めたり色落ちをしたりと、武具や防具と同様に元の衣類の形を著しく劣化させることが残存回数に影響を与える、サッソンさんはそういう事実があることを教えてくれた。

 この事実は私がクリーニング店を開くにあたって無視できないことだ。



 サッソンさんからは素材の相性について教えてもらった。

 これは結果論だったけど、ヒューバードさんのマントを入れていた袋は、厳密には私が知っていた繊維とは異なっていて、性質も違っていた。

 あの袋には袋と同じ素材の端切れが入っていて、密かに回収をしていた。というか、ヒューバードさんに渡した後に気づいたのだった。


 その端切れと似たような素材がこの世界にはあって、それを袋と同じような処理をすると台無しになることがわかった。端切れをサッソンさんに見せて、どういう素材なのかを教えてもらった。これもかなり高級な布地のようだった。

 だから、あの袋が綺麗になったのは、偶然のところがある。


「ひええ、これは油断できないよ」


 慢心はいついかなる時も許されない、心に刻んでおこう。この事実を知った日は夜になっても落ち込んでしまっていた。私には天狗になれる日はないんだ、きっと。


 サッソンさんは博学にして腕も確かな人のようで、他の人に訊いてもかなり評判のある職人さんのようだ。こういう職人さんは本当に尊敬する。

 サッソンさんの作るものにはトレードマークのようなものがある。熊みたいなマークだ。ちょっとサッソンさんに似ているかもしれない。一種のブランドみたいな感覚なのかな。




 この期間の食費はまかない付きだったので発生していない。「これ持って帰りな」とマーサさんがくれたことも多かった。

 その代わりといってはなんだが、貴金属類、宝石類のアクセサリーで良いなと思ったものを綺麗にしてマーサさんや料理長たちに贈ったら喜んでくれた。普段使いでも十分だ。


「まあ、こんなに綺麗にシミが取れるんだねぇ」


 マーサさんの着ている服のシミなどを落とすと喜んでもらえた。シミは頑固な油性汚れだった。せめてもの御礼だ。ご主人からプレゼントされた服らしい。


 あとは基本的なシミ抜きの処理の仕方をこの町で購入できる洗剤や道具などを使って実演をしたこともある。

 汚れはとにかく時間との勝負であり、水洗いできるものはすぐに水に浸けていく。そして基本的にはごしごしとせずにトントンと別の布に汚れを移していく。適宜洗剤を用いながら、しっかりそそいで乾燥させる、こんなことを教えた。


 祖父とクリーニング店で働き始めて2年目の頃、私が通っていた中学校の先生から話をしてくれないかと言われたことがあった。ほとんどの先生は異動していたが、一人だけ再雇用で勤めていた先生がいて、私の中学生の頃の担任だった。先生はカミジョウクリーニング店をよく利用している。

 職業ガイダンスというものがあって、卒業生を呼んでいろいろな職業の話を聞くイベントだった。祖父は「チカちゃんが行くといい」と言ってくれたので、不安とともに臨んだ。

 簡単な汚れを生徒と一緒に取っていくという簡単な作業だったが、それでも感動していたのだから、私の仕事も悪いもんじゃないなと思った。


「マーサさんたちもありがたがってたよな」


 この世界ではこういう商売をするのもありかもしれない。



 最初の数日は駄目にしてしまった服もあるけれど、だんだんと勝手がわかるようになってきた。衣類の山の下に溜まっていたのは長いものでは3年とか4年経っていたらしく、もう修復が不可のことが明らかだった。

 だから、最初から諦めていろんな溶剤や洗剤とか、この世界の食材やソースなどを垂らして実験をした。どこまでアイロンの熱に耐えられるかのか検証もした。


 空いている時間に、図書館に行ってこの世界の衣類や繊維などの情報も勉強をした。中には魔物素材という物騒な素材もあったけど、そういうのがある世界なのだ。

 化学繊維はないのだと思っていたけど、ちょっとそれは結論を出すのは保留にした方がいいかもしれない。

 ヒューバードさんの持っていた袋は魔物素材であり、皮ではなく、魔物から採取できる特殊な素材を組み合わせたもののようだ。ヘビーモスのことも載っていたけど、この図書館では素材についてはほとんど情報がなかった。職人さんに訊いた方が早いかもしれない。



 食堂で仲良くなった人たちが私の仕事を聞いて「じゃあお願いしていいかな」と依頼してくることがあった。


「あ、それはいけません」


 配膳している時に冒険者の人がスープなどを真っ白な服に散らしたので、すぐに応急処置をしたことがきっかけだった。その方は女性の冒険者だったけど、「ありがとう」と言って、そういう個人的な依頼をそれから受け付けることになった。 

 とはいっても、すでに処理の仕方が判明したものについては引き受け、そうではないものについては悔しいが断った。


「お、チカちゃんすごい! またお願いするよ」


 冒険者の中でも男性も女性も仕上がりには満足してもらえた。

 中には残存回数が0のものだけど愛着がある、そんな人たちもいて、そういうのは特別に気合いをいれてクリーニングをしていった。

 価格はまだ探り探りで銅貨2枚で引き受けていた。全部で30人くらいだったけど、口コミで私のクリーニング店の評判が広がっていった。こういうのも大切なご縁だと信じている。

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