第5話 迷宮の中


 一息ついて、エルフの青年が立ち上がる。


「あなたは思ったより、ちゃんと剣も使えるんですね。 安心しましたよ」


「な、何よ」


青年は、魔術師であるこの女性が剣を使って戦えるのかを心配していたらしい。


「これでも国軍の兵士なのよ、剣術くらい出来るわ」


そして女性は青年をジロジロ見ながら、


「らしくないのはあなたもでしょ」


と言うと、青年は「まったくです」と笑う。 


 エルフといえば武器は弓である。


しかし、この青年は弓も剣も持っていない。


「俺は弓矢も魔法も得意ではありませんから」


「え?、じゃ、どうやって戦っているの?」


青年はニコリと笑う。


「精霊たちがやってくれます」


青年が全く手を出さなくても、周りにいる精霊たちが勝手に倒すのだと言う。


肯定するように周りの光の玉が明滅する。


「不甲斐ない話ですが、俺は後ろで見ているだけです」


笑顔の青年だが、女性には少し無理をしていることが分かる。


「私も魔術師なのに、実は剣術のほうが得意なのよ。 やっぱり、らしくない者同士ね」


と女性が笑うと、青年は目を丸くした。


そして、


「そうですね」


と、今度はちゃんと笑った。




 地下迷宮自体はそんなに広くはない。


エルフの青年は通路を全て覚えているようで、再び迷いなく進んで行く。


魔術師の女性が後ろから見ていると、魔獣の気配がすると確かに精霊たちが動き出す。


黄色は青年を守り、緑色からは風の魔法が放たれて魔獣を倒し、青色の精霊は青年を癒す。


女性の手元にある赤い精霊が変形した剣も、うずうずしていた。


(本当に精霊に好かれているのね)


女性は何故か微笑ましく思う。




「階段で地下十階まで降りると、先ほど見た海の岸に出ます。


そこに舟を隠してあるので、それで向こうに渡れますよ」


「あんなに流れが早くて渦を巻いてるのに?」


エルフの青年の話に魔術師の女性は首を傾げる。


「ええ。 少しですが、海が穏やかになる時間帯があるので」


青年は、その時間を把握していた。


「行ってみますか?」


前を歩いていた青年が振り返り、女性はふいに見つめられて立ち止まる。


「は、はあ」


(どうせ暇だし)


女性にすれば、ただ彼の後について行くだけだ。


「すみません、途中で寄り道しますが良いですか?」


ここは初めての迷宮だし、何も分からない自分に選択権はない。


「ええ」


女性はつい、いい加減に返事をしてしまう。




 階段を降り、地下六階に入る。


「この階に一度も通れていない通路があって、ここに来る度に何か条件があるのか探しているんです」


エルフの青年が指差した先には、壁に人ひとり分くらいの黒い空間がある。


女性には長い間に崩れた、ただの石壁の隙間に見えた。


「いつもと違うから、もしかしたら今日はー」


青年がそう呟きながら二人でそこに近づき、ほぼ同時に手を伸ばした。


「あ」「えっ」


二人とも同時に声が出たのは、その空間に吸い込まれるように倒れ込んだからだ。




「イタタ……、いったい何が」


魔術師の女性は文句を言いながら身体を起こす。


その隣りでは、


「二人だから?、それとも女性か?」


と、エルフの青年が倒れたままの姿で考え込んでいた。


その周りを慌ただしく精霊たちが飛び交っている。


「え?」


精霊と話していた青年が、いきなり、立ち上がろうとする女性の手を掴んだ。


「動かないで!」


「きゃっ」


女性は青年の腕に抱き込まれる。


「彼女を包め、結界!」


青年が珍しく精霊に命令し、女性が黄色い膜に覆われる。


「ゲホッゲホッ」


彼女は何かを吸い込んでしまったようだ。


咳き込む女性を膜ごと抱え込み、青年は元来た空間を戻ろうとするが、まるで何もなかったような壁しかない。


「クソッ」


いつも無表情に近い青年がハッキリと顔を顰めた。




 エルフの青年は、魔術師の女性を壁の側に座らせ、寄り掛からせる。


「ここに居て下さい。 別の出口を探して来ます。


最悪、壁を壊してでも脱出しますから心配しなくて大丈夫です」


ニコリと笑って立ち上がる。


その笑顔が偽物だと女性には分かってしまう。


(かなり拙い状態?)


笑顔の裏でかなり焦っているらしい青年が、黄色と赤の精霊を女性の傍に残して奥へと歩き出す。


相変わらず足音のしない姿が闇に消えた。


 女性は途端に寂しさを覚える。


知らない場所で本当に一人になる心細さ。


精霊たちが慰めるようにユラユラと揺れるが、女性の不安を取り除くことは出来なかった。




 どれくらい待ったのか。


エルフの青年は戻らない。


「ねえ、様子を見に行ってもいい?」


魔術師の女性は精霊たちに向かって問う。


明滅する黄色の玉が先に動き出し、赤い玉が女性に付き添うようにゆっくりと目の前に浮かぶ。


まるで「こっちに来い」と誘うように。


 女性が壁に沿って進んで行くと微かに水の音が聞こえ始める。


壁が途切れ、角を曲がると目の前に薄明るい部屋が飛び込んで来た。


「ちょっと!、何してるのっ」


目が慣れると壁から落ちる水の下に、水を溜めるための器が置いてあり、そこに青年が突っ伏していた。


精霊たちと一緒に女性が駆け寄り、水から引き離す。


「うぐっ」


青年は上半身の服を脱いだ半裸状態だった。


「何があったの。 ねえ、大丈夫?」


薄く目を開いた青年は、女性を突き飛ばすようにして離れる。


「だ、だめです」


青年は女性から目を逸らした。




「近寄らないで。 俺は今、普通じゃないんです」


「そんなの、見れば分かるわよ!。 だから、何がどうしたのかって聞いてるの」


上半身ずぶ濡れのエルフの青年に、魔術師の女性が苛立った声を上げる。


「あ、ああ、すみません」


女性の声に押され、興奮気味だった青年が少し落ち着く。


「実は、どうやら催淫の香が焚かれていたようです」


『催淫の香』は、娼館などで客をその気にさせるために使う香だ。


それがこの部屋に漂っていたのを感じ取り、青年は精霊に頼んで女性を守らせた。


彼自身は調査のために多少吸い込んだらしく、女性に近寄らないようにしている。




「そんなもの、何のために?」


エルフの青年は魔術師の女性から距離を置きながら答える。


「どうやら、この部屋は性欲の薄いエルフのために作られた、子作りのための部屋らしいのです」


それらしい説明が壁に描かれているという。


「人族への影響は分かりませんが、今、俺に近寄ると危ないですよ」


女性に襲いかかるかもしれない。


そう話す青年は明らかにおかしい状態と分かるように、わざと半裸になっていた。


その上で水を被っていたのは、何とか興奮を抑えようとしたのだろう。


「でも、入って来た場所は戻れなくなったみたいだし。 もしかして」


と女性は予想を口にする、


「私たち、閉じ込められたの?」


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