第4話 砦の跡


 ふいに手が離れる。


「ここにはトレントは来ません」


いつの間にか、黄色い光の精霊がエルフの青年の肩に乗っていた。


「この土の精霊の結界の中ですからね」


青年は誇らしげに黄色い光に微笑む。


「結界ということは、いつもは隠されているのね」


魔術師の女性の言葉に青年は頷く。


「よく分かりましたね、さすが魔術師だ」


彼は背中を向けて歩き出し、彼女はその後を追う。


 やがて石の壁が完全に崩れている箇所があり、そこから中に侵入する。


足場の危うさに苦労しながら石塀を越えると、内側には素朴な光景が広がっていた。


「砦とはいっても石垣に囲まれていただけの小さな村という感じです。


ここには数軒の小屋が点在していますが、すでに誰も住まなくなって二百年ですからね」


瓦礫と雑草で埋め尽くされている、ただの空き地だ。




 魔術師の女性が呆然と眺めていると、エルフの青年がポンと肩を叩く。


「こちらに」


青年が案内したのは砦を囲っている、まだ崩れていない壁の石段。


丸く囲む砦の石塀をそこから上る。


「ここからなら良く分かるでしょう?。 危ないものなんて、どこにもないって」


「え、ええ」


誰も住んでいない土地は、とても争いのあった跡には見えなかった。


「外壁が所々崩れているので、危ない獣が入り込んでいることがあります。 気を付けて」


石壁の上は見張り台の役目もあったのか、人が二人くらいは並んで歩ける幅がある。


青年がそこを歩き始めたので、女性は自然とその後を歩く。




 二百年前、人族と妖精族との間で大きな争いがあった。


この地域は激戦地であり、終戦近くにはエルフの森に人族の軍隊が迫っていた。


現在のエルフの森は当時は奥地であり、この砦が最前線だったのだ。


 しばらくすると風を強く感じるようになった。


「下をご覧なさい、大きな川があるでしょう?。 実はあれ、川じゃなくて海峡なんです」


青年の言葉に、恐る恐る女性が石壁の上から下を覗き込む。


眼下にうねるような水の流れが見えた。


「精霊王は仲間を守るため、人族の土地と精霊の住む土地を隔てようと大地を割ったそうです」


土地の両側にあった海から海水が流れ込んで大陸を二分し、エルフ族と人族の不可侵の象徴のような海峡が誕生した。




「前を見てください」


エルフの青年が指差す方角、海峡の向こうには荒野が広がっている。


「あの荒野は、攻撃魔法の痕跡や戦士たちの血で穢れ、何も生えない土地になってしまいました」


そんな場所にも、今では他の土地から逃れて来た様々な種族が住んでいるという。


「あそこは正確には隣国になります。 しかし、国といっても僻地なので滅多に役人も来ないそうですよ」


小さな町や村が点在しているらしい。


「あなたが国に、もし軍に戻りたくないなら、このままあそこに行けばいいと思います」


「えっ?」


青年が女性をここに連れて来た理由は、彼女を隣国に逃がすためだった。




「俺は今まで『聖域』に侵入した何人かの人族やエルフ、獣人を捕まえましたけど、その中には訳アリもたくさんいました」


親に置き去りにされた子供、迫害から逃げて来た者、世の中が嫌になって自暴自棄になって死に場所を求めて来た奴。


「まさか。 あなた、その人たちを全員逃がしてたの?」


「彼らが望むならば」


女性は渦巻く海峡を覗き込み、首を横に振る。


「私には無理よ。 こんな所、渡れないわ」


「そこは俺が何とかしますから大丈夫です。 あそこへ行くかどうかは、あなた次第です」


青年は真っ直ぐに女性を見つめた。




 魔術師の女性は黙り込む。


「俺は別の仕事がありますので、決まったら声を掛けてください」


そう言って、エルフの青年は魔術師の女性に背を向けた。


遠ざかる青年の姿に女性は何かを決意する。


「待って!。 食事のお礼に、その仕事、手伝うわ」


そう叫んで青年に駆け寄る。


「は?、手伝いなんていらないですよ」


「いいから!。 私、じっとしてるのが苦手なの。 あなたへの答えは働きながら考えるわ」


ニッコリ微笑む女性に青年はため息を吐いた。


「ご勝手にどうぞ」


青年は階段を降りて草むらに入って行く。


その後ろを黄色の土の精霊がフワフワとついて行った。


「ええ、勝手にするわ」


彼女は女性とは思えないほどしっかりした足取りで歩き出す。




 エルフの青年はチラリと魔術師の女性を振り返る。


そして、崩れかけた大きな建物に入って行った。


「あれ?」


女性が入ると青年の姿は見えず、黄色の光だけがぼんやりと薄闇の中に動いている。


明かりの先は階段だった。


慌てて階段を降りると暗い石壁の通路が続いている。


まるで誘うような精霊の光だけを頼りに、女性は青年を追いかけて行く。


 何かの気配を感じた。


グルルルッ


女性が振り向くと大型の魔獣が居た。


今にも襲い掛かりそうな大きな口を目掛け、女性はグッと唇を結び、両手を向けた。


「炎よ!」


一瞬で生まれた炎が放たれる直前に、赤い精霊が彼女の前に現れて魔法が消える。


女性の魔力を精霊が吸収し魔法が霧散したのだ。


「えっ」


次の瞬間、火の精霊が剣の形になり魔獣を切り刻んだ。


「だめですよ!」


青年の声が反響する。


「ここは地下で、しかも古いんです。 大きな爆発が起きると下手したら崩れます!」


「あ、ご、ごめんなさい」


派手な攻撃魔法しか撃てない女性は、シュンとして俯いた。




 頭を掻きながらエルフの青年が近寄って来る。


「この精霊があなたを補助するそうです」


赤い火の精霊が魔術師の女性の傍で揺れていた。


精霊が形を変えて剣となり、女性の手に収まる。


「まあ、ありがとう」


女性が火の精霊に向かって礼を言うと、赤い剣が照れたようにポワンと光った。


 その後は先頭を歩く青年が前から来る魔獣を倒し、後ろから来る敵には火の剣を手にした女性が対応しながら進んで行く。


地下の迷宮はそれほど広くはない。


たまに魔獣が出る通路を進み、階段を降りるを繰り返す。


「ここに結界がありますから一旦休憩しましょう」


暗い地下道の一角に明かりが点る場所があった。


「ねえ、ここは何?、迷宮なの?」


女性の問いかけに、青年は明確には答えない。


「ここは地下三階です。


今、休憩しておかないと、まだ下に行くので体力が持ちませんよ」


そう言って、青年は水筒と携帯食を差し出した。




 石造の地下通路の隅。


魔術師の女性はエルフの青年から水筒を受け取ると隣に座る。


白い指のような細長い携帯食を受け取って口に入れた。


「あ、これ、美味しい」


「良かった、俺の自信作です」


お菓子のように甘いのに、お腹にも少し溜まる感じがする。


「昨日も思ったけど、あなたは料理がとても上手なのね」


幸せそうな笑みを浮かべる女性に青年は微笑む。


「いや、ひとりだから仕方なくですよ。 まあ、時間もいっぱいありましたし」


青年は、誰かに褒めてもらえるとは今まで考えたこともなかった。


嬉しそうに「ありがとう」と小さく呟いた。


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