第3話 森の奥


 魔術師の女性はふと、ここがどこなのか気になって訊ねる。


「ああ、『聖域』の守護者トレント王の洞です。 あっちが出入口ですが、見て来ますか?。


あ、絶対、外には出ないように。 近くのトレントを刺激してしまいますから」


女性は自分が侵入者だということを思い出して頷く。


 ぼんやりとした明かりがある通路を少し上ると、出入り口のような穴があった。


人が一人通れるくらいの縦穴から顔を出す。


夜になったらしく、暗くてよく見えないが森の匂いがする。


 どうやら雨が降っているようだ。


しかし、手を伸ばしても雨には触れられず、木の葉を濡らす音だけが聞こえた。


「あー、雨か」


突然、背後から声がして、女性は驚いて振り返る。


 足音も気配もないエルフの青年は女性の横を通り過ぎて穴から外に出た。


「月が出てないから何も見えないな」


空を見上げているようだ。


「ええ。 でも、ここが深い森の中だといことは分かったわ」


女性は、逃げられないのだということを再確認しただけである。




 さて、二人は同じ部屋で眠ることになる。


一部屋しかないのだから仕方がない。


魔術師の女性は、普段エルフの青年が使っている寝台を借り、青年は離れた床に毛皮を敷いて寝転がった。


(このエルフは私をどうする気なのかしら?)


女性は不思議に思う。


うつらうつらとしているうちに時間だけが過ぎていった。




 エルフの青年が動き出す気配がした。


暗い部屋で魔術師の女性は身体を硬くする。


しかし、彼は小さな明かりを点けて着替え始めた。


もう朝になったのだと思い、女性も身体を起こす。


「ん?、まだ起きるには早いですよ」


青年は女性を見て、そう言った。


「目が覚めちゃって」


女性は寝台から降り、青年に訊ねながら洗顔や手洗いなど朝の支度をする。


そして上着を手に取ると、外に向かう青年の後を追う。




 出入り口から外を見るとまだ空は明けきらず、森は薄闇の中だった。


昼間はまだ暑い季節なのに空気が冷たい。


「俺は朝の見回りですが、本当について来る気ですか?」


魔術師の女性は頷く。


「行ってもいいなら。 その、トレントは大丈夫かしら」


ああ、とエルフの青年は頷いて、女性に手を差し出す。


「手を繋いでいれば大丈夫です」


女性は迷ったが、そっとその手をとる。


「冷たくて、すみません。 エルフは人族より体表面の温度が低いので」


白くて華奢なエルフの手は思ったより大きく、傷のある働き者の手だった。


「確かに少し冷たいけど、気にはならないわ」


女性は、青年が少し嬉しそうな顔をしたことには気付かなかった。




 森の小径は狭く、二人は身体を寄せ合って進む。


魔術師の女性は異性と手を繋ぐことも、こんなに近くにいることにも慣れていない。


最初は緊張して止まってばかりいた足も、エルフの青年が全く気にする様子がないせいか、徐々に落ち着いてくる。


「雨上がりだからなあ」


下草も木々の葉も二人の服や足を濡らしていく。


青年は女性のことを心配してくれるが、女性の方は笑って、


「私は兵士よ、これくらい平気」


と、首を横に振った。


 やがて陽が昇り始め、森の雫たちが光り輝く。


「なんて美しいのかしら」


女性は立ち止まり、トレントの木々を見上げる。


その横で青年が同じように足を止め、木漏れ日の中、目を閉じて歌うように呟いた。


「雨も陽も雪も風も、全ては天の御心のままに」


唇から低く漏れた祈りの声に、女性は思わず青年の横顔を見つめ、その声に聞き惚れる。


「美しいわ……」


「ええ、森は一年中美しいですよ」


青年はそう言って微笑み、女性は慌てて赤くなった顔を伏せた。




 うろに戻って朝食になる。


その前に、森歩きで濡れた服を何とかしなければ。


「すぐ乾かしますよ」


エルフの青年の側に、ボッという音と共に赤い光の玉が現れた。


赤い玉は火の精霊ようで、周囲がほんのりと暖かくなる。


「風も欲しいな」


ボソリと青年が呟くと、風の精霊も姿を見せた。


 その二体の精霊がクルクルとふたりの間を回る。


「わあ」


服が、髪が、暖かな風に包まれて乾いていく。


「ありがとう」


魔術師の女性が精霊に向かって礼を言った。




 エルフの青年が不思議そうな顔をする。


「あなたも魔術師なら、これくらい簡単でしょう?」


魔術師の女性は少し顔を赤らめて目を逸らす。


「わ、私は魔力の制御が苦手で」


魔術兵らしく派手な攻撃魔法は得意だが、身体の周囲だけに温風を起こすなど繊細な魔法は苦手だった。


「それに、あなたのは精霊魔法ね。 人族には使えないわ」


その言葉に青年は首を横に振った。


「いえ、精霊に好かれれば人族でも契約は可能だと思いますよ」


「え?」


青年の話では、精霊は美しいモノを好むのであって、エルフだからとか、自然だからとかいう理由で好きになるのではないそうだ。


「それに、精霊にも変わり者はいます。 俺みたいなエルフらしくない者を好む精霊とか、ね」


苦笑を浮かべた青年の傍で、二つの光が同意するようにピカピカと瞬いた。


「俺は、あなたなら精霊に好かれそうだなと思いますけど」


エルフの青年はそう言って、スイッと緑色の光の玉を魔術師の女性のほうに押し出す。


クルクルと女性の周りを飛んでいた風の精霊は、しばらくして青年の傍に戻った。


「気に入ったらしいですよ。 ただし、俺の次だって」


女性はプッと吹き出し、


「そう。 残念だわ」


と、仲の良いエルフと精霊を見て微笑む。


何故か、少しも残念そうではなかった。




 エルフの青年が、朝食用にパンケーキのようなものをたくさん焼いてテーブルに置いた。


「好きなものを付けてください」


一緒に、果物を煮詰めたものや蜂蜜のような甘い木の汁を入れた壺が置かれている。


魔術師の女性はパンケーキを一枚、手に取り、シロップを垂らして口に運ぶ。


「……すごく美味しいわ」


その甘さに驚く。


「甘い物のほうが疲れが取れると聞いたので」


青年は薬草茶を啜り、パンケーキを頬張る女性を嬉しそうに眺めた。


「それで、どうするか決めましたか?」


食後の片付けをしながらエルフの青年が魔術師の女性を見る。


食後の薬草茶を飲んでいた女性はハッとして目を瞬く。


「そう、だったわね」


忘れていたらしい。


クスクスと笑って青年は提案した。


「良かったら砦を見て行きますか?」


今回のお目当てである戦争の遺跡。


「いいの?」


国軍の兵士である女性は驚いた。


「ええ。 あなた一人で何か出来る訳じゃないでしょうし」


青年の目を掻い潜り、魔道具や兵器を持ち帰る事は難しいだろう。


「見たければですが。 帰る前に一度ご覧になるといいと思いますよ」


帰る、という言葉に女性の顔が少し曇った。



 

 魔術師の女性は特に荷物など持って来ていない。


着の身着のままでエルフの青年について行く。


トレントの群れの中を通るため、手はしっかり握られている。


 どこからか黄色い光を放つ玉が現れ、一緒に移動し始めた。


「あれです」


青年が指差す方角には、先ほどまで森の木々しか見えなかったはずなのに、今は空間が開けていた。


そこに向かって歩いて行く。


「これが」


石材を積み重ねた壁がある。


「あなたたち人族が探している戦争の遺物。 エルフ族の最後の砦です」


二人は手を繋いだまま、その身長の二倍はある壁を見上げた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る