物語「イアコスとアレース」

 昔、イアコスとアレースという双子の兄弟がいた。

兄がイアコス。弟がアレース。生まれた時から一緒とあって、喧嘩など滅多にすることがなかった。何をするにもいつも一緒だ。


 兄のイアコスは、生まれた時から足が悪かった。長い距離を立って歩けなかった。……だからアレースは、人一倍そこらじゅうを走り回って、あちこち探検しては、家にいる兄に、物珍しい商人の話や、獲物を丸呑みして膨れた蛇の話、湧水に何羽か鳥がいたから、わっと脅かしてやった話などを聞かせた。


「お前は語り部のようだね」

 イアコスはアレースに言った。けれどもアレースは、不満だった。

「本当はおまえに本物を見せてやりたいんだよ。でも、持って来られない」

「持ってくる必要はないじゃないか。話だけ聞ければ、それで十分だよ」

 しかしアレースはうんとは言わない。どうしてもこの優しい兄に、外の素晴らしいものを見せたくて仕方がない。幼いアレースは考えた末に、思いついた。

「そうか、ぼくがおまえを背負えればいいんだ」


 アレースは兄を背負って家を出た。イアコスは、しっかりとアレースの肩にしがみついていた。

「みろ、イアコス。これは空だ」

「知っているよ。神々の住まう空だ」

「みろ、イアコス。あれが集落の湧水だ。鳥もいるだろう」

「本当だ、鳥がいるね。でも脅かしたら可哀想だ」

「ああ、あれだ、イアコス。昨日言った商人だ」

「何を売っているのかな」

「見に行くか?」

 聞かれて、イアコスは首を横に振った。

「なんだか、このまま歩くのは危ない気がするんだ。やめよう。家に帰ろう」

「……そうか」

 アレースは帰ろうと言われたにもかかわらず、イアコスをおぶったまま、集落内を歩き続けていた。イアコスは重たい。足も腕も疲れてきた──そんな時だ。

 アレースは疲れのあまりよろけて、そのまま前へ転んでしまったのだ。

 背中にイアコスを背負ったままだったから、受け身が取れない。イアコスは幸いにも無事だったが、顔から転んだアレースは、片方の目に怪我を負ってしまった。


 ……ちょうど、こんなふうにね。


 アレースの片目は使い物にならなくなってしまった。イアコスは嘆いて、自分を責めた。でもアレースには、わかっていた。これは自分の招いたことなのだと。帰ろうと言われたのに、それを聞かなかった自分が悪いのだと。

 傷ついた目からはばい菌が入ってきて、アレースは熱病に臥せった。生死の境を、何度彷徨ったかしれない。


「アレース。アレース。おれの足が悪いばっかりに」


イアコスはそんなアレースの手を握りながら、ずっと祈っていた。

「神様、神様。天におわす運命の女神様。夜の神様。弟を夜へ連れて行かないでください」

「イアコス……」

「神様。連れて行くならおれを連れて行ってください」

「イアコス、そんなことを言うもんじゃない」

「神様、おれのたったひとりの弟を、連れて行かないでください」


 イアコスの願いが聞き届けられたのか、アレースの熱は下がり、目の状態もだいぶ落ち着いた。イアコスはアレースに、もう二度と無茶はしないようにと約束させた。


「おれは歩けないけれど、おまえは歩けるだろう。だからこれからも、外で珍しいものを見つけたら、それを話にして持ってきてくれ。おれは、それでいい」

「話でいいのか?土産じゃなくていいのか」

「お前は無茶をするから、土産はだめだ。そのかわり、話を土産にしておくれ。お前の話はいつも面白い」

 そうしてイアコスはアレースの肩を叩いた。


 アレースはそれから、各地の面白い話を、大人や、商人から聞いてきては、それをそのままイアコスに語って聞かせた。イアコスは笑ったり、泣いたり、理不尽な話には怒ったりしながら、アレースの持ち帰る話に夢中だった……


いや、すまないね。

目にゴミが入ってしまったようだ。


 アレースの話だったね。

 彼は今も物語を集めている最中なのだよ。イアコスに持ち帰り聞かせるための話をたくさん蓄えて、放浪の旅を続けている。帰るべき家に向けて……家路を辿っている頃だろうね。

 イアコスかい? イアコスは……片割れの帰りを、今か今かと待っている頃だろう。だからアレースは行かねばならぬのだよ。


 イアコスの元にね……。

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