書籍化記念おまけSS

書籍化記念おまけSS レニシャとドレス その1

~作者より~

 大変申し訳ございません。こちらSSは、WEB版では非公開になっている部分のネタバレが含まれております。

 気になる方は書籍版を手に取っていただけましたら、大変嬉しいです。


   ◇   ◇   ◇


「レニシャ様。本当にドレスでなくてよろしいんですか?」


「ええ……」


 桶の湯に浸した布でレニシャの背中を拭いてくれたモリーが気遣わしげに問いかける。洋服ダンスからドレスを取り出してきそうなモリーの様子に、レニシャはあわてて言を継いだ。


「その、今日も一日、温室で作業するつもりなの。綺麗なドレスを汚してしまっては大変だから……」


 温室で作業をするのも、ドレスを汚したくないという言葉にも偽りはない。けれど。


 心の中で何より強く渦巻くのは、ドレスを見たくないという気持ちだ。


 昨日の朝、スレイルを見送った時にデリエラに言われた言葉がよみがえる。


『あなたが着ていたドレスは、いったい誰の物だったと思う? あたくしの前の、先々代の『聖婚』の聖女のドレスなのよ、あれ』


『あなたが着ているドレスは、ヴェルフレム様を嫌っていた聖女のものなの』


『新しくドレスを用意する手間さえ惜しむあなたに、ヴェルフレム様が義務感以上の感情を向けると思う?』


 あざけりに満ちたデリエラの声が耳の奥でこだまし、レニシャは反射的にかぶりを振る。


「レニシャ様?」


「ううん。何でもないの」


 ヴェルフレムを嫌っていたという聖女のおさがりのドレス。


 レニシャのために新しいドレスを作ってほしいとは、欠片も思わない。期待外れのレニシャなどがそんな贅沢ぜいたくをしていいわけがない。


 ロナル村に行くために初めてドレスを着た時は、あれほど心が弾んだというのに。いまは、どうしてもドレスを着る気になれない。


「では、朝食をお持ちいたしますね。少しお待ちくださいませ」


 物言いたげな様子を見せたものの、モリーはそれ以上はなにも言わず、身体をぬぐった布と湯の入った桶を持って部屋を出て行く。


 モリーの気遣いに感謝してレニシャはその背を見送った……。


   ◇   ◇   ◇


 それが、ほんの五日ほど前のことだったのだが。


「あ、あのっ、これは……っ!?」


 屋敷の一階の応接室で、レニシャは混乱に満ちた声を上げた。


 いま応接室にいるのは、レニシャとヴェルフレムとモリーと、あともうひとり。


「レニシャ様のようにお可愛らしい方は、着飾らせ甲斐がありますわ! レニシャ様は色白でいらっしゃいますから、こちらの明るいお色もお似合いかと」


 うきうきと弾んだ声で、濃い橙色だいだいいろの布地をレニシャの肩に当てたのは、タリーヌと名乗った三十歳半ばくらいの女性だった。ラルスレード領で仕立て屋を営んでいるらしい。


 タリーヌが持ち込んだ大量の布で、応接室はあざやかな色の洪水のようになっている。


 五日前、気を失ったレニシャは、目が覚めた途端、ずっとそばについていてくれたヴェルフレムに絶対安静を言い渡された。


「ゆっくり休んだので大丈夫です!」


 と言ってもヴェルフレムはなかなか信じてくれなかったが、なんとか説得し……。


 翌日には寝台から降りていいという許可が出たものの、レシェルレーナの世話はともかく、屋外の温室に行くことは禁じられていた。


 実際、レニシャはもちろんヴェルフレムもいろいろとせねばならないことがありすぎて、温室が気になりつつも、行くどころではなかったのだが。


 ようやく落ち着いてきて、今日こそヴェルフレムの許可をもらって温室の様子を見に行くつもりでいたところ、応接室へ来てほしいとモリーに呼ばれたのだ。


 いったい何だろうと思いつつ、応接室へ行ったレニシャを待ち構えていたのがタリーヌだ。


「さあレニシャ様! お洋服をお脱ぎください!」


 と暖炉があかあかと燃えるあたたかな応接室で挨拶もそこそこに告げられ、あれよあれよという間にモリーに服を脱がされ、身体のあちこちを計測されて……。


 ようやく服を着られてほっとしたのも束の間、「お待たせいたしました」とモリーに招き入れられたヴェルフレムが入ってきてびっくりした。


 そこからは、タリーヌが持ち込んだらしい驚くほどたくさんの布が、次々とレニシャの肩に当てられ……。いまに至る。


「確かに、お前の言うとおり、レニシャによく似合っているな。だが、そちらの桃色の生地も似合うのではないか?」


 レニシャのすぐそばに置かれたソファーに腰かけたヴェルフレムがゆったりと頷き、長い指先で布の山の一角を指さす。


「さすが伯爵様ですわ! こちらのお色もレニシャ様にお似合いになるに違いありません!」


 弾んだ声で頷いたタリーヌがヴェルフレムが示した布をさっと取り上げ、レニシャの肩に当てる。


「タリーヌ。その布を使うなら、このレースを合わせてはどうかしら?」


 モリーが何種類もあるレースのひとつを布の上に重ねた。


「いいわねっ、モリー!」


「うむ。レニシャの可憐さがさらに引き立つな」


「あのっ、あの……っ! ちょっと待ってくださいっ! これはいったいどういうことなんですか!?」


 満足そうに頷きあう三人に、レニシャはあわあわと問いかける。


 と、ヴェルフレムが何でもないことのようにあっさりと告げた。


「お前のドレスを作るんだ。レニシャ、お前が好みの布はあるか?」


「え? えぇぇぇぇっ!? ド、ドレスだなんて……っ!」


 状況から、ひょっとしてとは思っていたが、はっきりと告げられ、すっとんきょうな声が飛び出す。


「こ、この布、絹ですよねっ!? ヴェルフレム様のお心遣いは本当にありがたいですが、私なんかに高価なドレスなんて……っ! もったいなさすぎますっ! それに、ドレスでしたらもう――」


「それだ」


 ヴェルフレムの硬い声がレニシャの言葉を遮る。人ではありえぬ金の瞳が、不機嫌そうに細まっていた。


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