21 何の木なのかご存じなのですか?


 朝食の後、執務室へ戻るというヴェルフレムを見送り、レニシャは昨日と同じように温室の手入れへと向かった。


 昨日、半日作業しただけでは、まだ入口付近の雑草を少し抜けただけだ。これだけ広い温室だと、あとどれくらいかかるだろうか。


 気が遠くなりそうだが、少しずつ進めていくしかない。何より、レニシャにとってはずっと憧れていた作業なのだから、頑張らない理由がどこにあるだろう。


 昨日と同じように、ハーブは抜かないように気をつけながら、それ以外の草を抜いていく。抜いた草は後でまとめて運ぶことにして、枯れ草とまだ青々としている草とに分けて入口付近に積んでおいた。


 冬が近いとはいえ、温室の中はぽかぽかとあたたかい。動いていると汗ばむほどだ。途中、腰が痛くならないよう、何度か背伸びをして息抜きをしながら作業を続けていると。


「今日も精が出るな。だが、昨日、癒やしの力を使って倒れたばかりなんだ。無理はするなよ」


 不意に温室の入口から聞こえた声に、レニシャは驚いて振り向いた。


「ヴェルフレム様! どうなさったのですか?」


 立ち上がって服についていた土や葉っぱを払い、こちらへ歩み寄るヴェルフレムに駆け寄る。


「そろそろ昼が近いから呼びに来た。お前が無理をしていないかも心配だったからな」


「あ、ありがとうございます……」


「だが……。ひとりで手入れをするのは大変ではないか? やはり庭師を手伝いにこさせたほうが……」


 温室を見回したヴェルフレムが、形良い眉をひそめる。


「そう、ですね……。抜いた草を運んでもらえたら、嬉しいです」


 枯れてしまっているものはともかく、まだ青々としているものはまとめるとそれなりの重さになる。


「入口に積んでいる草は、捨てればよいのか?」


「あっ、いえ。そのまま捨てたらもったいないので、乾燥させてから燃やして草木灰そうもくばいにして、温室の肥料にしようかと……」


「なるほど。それはよいな」


 頷いたヴェルフレムがぱちりと長い指を鳴らす。途端。


「っ!?」

 ぼっ、と積んでいた草に火がつく。


「温室で使うのなら、運んで燃やすより、ここで処理してしまったほうが早いだろう? 灰を残す程度で焼けばよいか?」


「は、はいっ。それでお願いします……っ」


 やはりヴェルフレムはすごいと感心しながら、こくこく頷く。


「……うん? ということは、要らぬ草はこの場で燃やしていったほうが早いか?」


「え?」

 ふと、こぼされた思いつきに、きょとんと声を出す。


「いちいち抜いて集めるのも手間だろう? なら、目立つものだけでも燃やしてしまったほうがお前が楽なのではないか? たとえば、あのつる草とか……。あれは不要だろう?」


 ヴェルフレムが指さしたのは温室の少し奥に生えている木に巻きついているつる草だ、つる草に絡まれてかなり元気がない様子だ。


 神殿で学んだレニシャでさえ見たことのない木だ。いったい何の木だろう。だが、温室に植えられているということは、きっと有用な木に違いない。


「そうですが……。でも、あの木まで一緒に燃えてしまったらかわいそうです」


「そんなことはせん」


 苦笑したヴェルフレムが、もう一度ぱちりと指を鳴らす。ぽっ、つる草に宿った炎が、みるみるうちにつる草に燃え広がり、木には一切燃え移ることなく、つる草だけを燃やしていく。


「すごいですっ! そんなことまでできるんですか!?」


 感嘆の声を上げたレニシャに、ヴェルフレムがあっさり頷く。


「ああ。不要なものだけ燃やすことなど、造作もない。ちゃんと根まで燃やしておけば、また生えてくることもなかろう。ほら、ローゼルの木には傷ひとつついていないだろう?」


「ローゼルの木……」


 ヴェルフレムが告げた名前をおうむ返しに呟く。


「ヴェルフレム様は、あの木が何の木なのかご存じなのですか?」


「ああ……」

 ヴェルフレムのまなざしがここではないどこかを見つめるように遠くなる。


「俺の故郷によく生えていた木だ。色あざやかな一日限りの花を咲かせる木で……」


 波間を漂うかのような低い声は、抑えきれぬ懐かしさにあふれている。


 レニシャの目には葉がしおれた低木にしか見えないが、きっとヴェルフレムの目には、花が咲いているさまが映っているに違いない。


「……まさか、温室に植えられていたとはな……。今まで、まったく知らなかった……」


 低くかすれた声で告げるヴェルフレムが、不意に泣き出してしまうのではないかと思えて。


 手が土で汚れていることも忘れて、思わずレニシャはヴェルフレムの手を掴む。


「わ、私がちゃんとお世話をします! いまは元気がないようですけれど、ちゃんと肥料をあげて、手入れをして……っ! そうしたらきっと、来年には花が咲くでしょうから、だから……っ!」


 自分でも何が言いたいのかよくわからない。


 けれど、ただただヴェルフレムにこんな哀しげな顔をさせたくなくて。

 名前すら初めて知った木だということも忘れて請け負う。


「私も、どんな花なのか見てみたいですっ! だからっ、その……っ。もし私が花を咲かせられたら一緒に……っ!」


「レニシャ……」


 ヴェルフレムが驚いたように金の瞳をみはる。と、不意に人外の美貌にとろけるような笑みが浮かんだ。


「ああ。楽しみにしている。俺も手入れを手伝うから一緒に見よう」


 そっと伸ばされたヴェルフレムの大きなの手のひらがレニシャの頬を包み、ぱくりと心臓が跳ねる。


 心臓がどきどきして息が苦しい。なんだか、頭がくらくらする。


 そうか、これは。


 故郷の記憶が甦る。

 これは、だめだ。一刻も早く――。


 ヴェルフレムの腕を掴んだ手にぐっと力をこめて見上げる。


「ヴェルフレム様! 炎を消し――」


 だめだ。立っていられない。


「レニシャ!?」


 ヴェルフレムの焦った声を最後に、レニシャは気を失った。




~作者より~


「期待外れ聖女は追放同然に追いやられた北の辺境領で美貌の魔霊と恋をはぐくむ ~このたび『聖婚』により魔霊伯爵に嫁ぐことになりました~」をお読みくださり、誠にありがとうございます。

 WEB版ではここまでの公開となります。


 こちらの作品は2024年6月17日に『追放された期待外れ聖女ですが、聖婚により魔霊伯爵様に嫁ぐことになりました』と改題、改稿のうえ、novel スピラ様より発売となります。


 レニシャとヴェルフレムの関係はどう変わっていくのか。

 ヴェルフレムに執着しているレシェルレーナは何をしでかすのか。

 そして『聖婚』に秘められた秘密とは……!?


 続きはぜひ、書籍版でお楽しみくださいませ~!(ぺこり)

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