20 また、こうして誰かと食事を楽しむ日が来るとはな


「いえっ! いただきます!」


 言葉と同時に、おなかも一緒にくぅ、と返事をする。ふはっとヴェルフレムが吹き出した。


「昨日は夕食抜きだったものな。さぞ空いているだろう。待ちかねた食事だ。遠慮せずに食べるといい」


「ありがとうございます……」


 ヴェルフレムにうながされるまま、朝ごはんに手を伸ばす。


 ほかほかと湯気が立つほうれん草とベーコンと豆のスープをスプーンですくい口に入れた途端、思わずほにゃりと顔が緩んだ。


「おいしいです……っ!」


 味付けは素朴だが、ベーコンの塩味がほうれん草と豆に染み込んでいてほっこりとする。


 次いで手でちぎれるくらい柔らかな白パンにバターをたっぷりと塗って口に入れる。外はぱりぱりだが、中はふんわりと焼かれた白パンは、もきゅもきゅ咀嚼そしゃくしていると小麦の甘味とバターの風味が口の中に広がって、幸せな気持ちになってくる。


 と、もう一度ヴェルフレムが吹き出す声が聞こえた。


 不思議に思って対面のヴェルフレムを見やると、金の瞳が穏やかな光をたたえてレニシャを見ていた。


「お前は本当においしそうに食べるのだな。見ているだけで幸せなのだとわかる」


「おいしいものをいただいているのですから、幸せになるのは当然ではありませんか?」


 きょとんと首をかしげ、はっと気づく。


「す、すみません。見苦しかったでしょうか……?」


 神殿に引き取られた頃、食堂で聖女や神官達とそろって食事をしていた時に、何度か笑われたことがある。


『必死になって食べているなんてみっともない。やはり貧乏な農民の娘だ』と。


 故郷では石みたいにかちかちになった黒パンしか食べたことがなかったため、柔らかな白パンを初めて見た時は、これもパンなのだと、わからなかったほどだ。


 神殿ではいつも白パンが供されていたため食べ慣れたものの、初めて白パンを食べた時の衝撃はいまだに忘れられない。


 このパンを故郷の家族にも食べさせてあげたいと何度思ったことだろう。


 ヴェルフレムが不機嫌になったのならすぐに謝罪しようと発したレニシャの問いかけに、ヴェルフレムがいぶかしげに目をしばたたく。


「別に見苦しくなどないぞ? 気のおけない朝食の席なのだ。作法など気にする必要はない」


 そう言いながら、レニシャよりよほど優雅な所作でパイのひと欠片を口に運んだヴェルフレムが、ふと口元を緩める。


「ハーブティー以外を口にしたのは数十年ぶりだが……。やはり、食事はうまいな。あまりに長くらずにいたせいで忘れていた」


 レニシャを見つめたヴェルフレムが柔らかな笑みを浮かべる。


「お前に感謝せねばならんな。お前が誘ってくれなければ、食事を食べる楽しみを忘れてしまうところだった。……また、こうして誰かと食事を楽しむ日が来るとはな……」


 低く呟いたヴェルフレムの金の瞳が、ここではないどこか遠くを見やる。


 遥か遠くに過ぎ去った過去を眺めるかのような……。見ているレニシャまで胸が締めつけられるような、切なげなまなざし。


 ヴェルフレムの心に浮かんでいるのが誰なのか、聞いてみたいという願いがレニシャの心に湧き上がる。だが、聞いてよいものなのかどうか、判断がつかない。


 と、ヴェルフレムがいぶかしげに首をかしげる。


「どうした? 食べぬのか? このパイなど絶品だぞ」


「い、いただきます!」


 手が止まっていたことに気づき、ヴェルフレムが勧めてくれたパイにあわてて手を伸ばす。


 どうやらミートパイらしい。切り口からこぼれ落ちそうなほどたっぷりと詰められたひき肉が見え、じゅわりと口の中に唾液だえきが湧く。


 ぱくりと口の中に入れると、さくりとしたパイ皮の食感と、香辛料が効いたひき肉の旨味が口の中に広がった。みじん切りの玉ねぎも入っているらしい。玉ねぎの甘味が高価な香辛料をさらに引き立てて、こんなおいしいものは神殿でもほとんど食べた記憶がない。


「すごくおいしいですっ!」


 まだ焼き上げてから間がないのだろう。あつあつの具は舌が火傷やけどしそうで、はふはふと口を開閉する。が、食べる手は止まらない。


「そうか。気に入ったようでよかった。好きなだけ食べてよいのだぞ」


 ヴェルフレムがまだ切り分けられていないパイの皿をレニシャへ押しやる。


「いえ、おかわりはいただきますけれど、さすがにこれだけの量は食べられません。それに、ヴェルフレム様も絶品だと褒めてらっしゃったではありませんか。ヴェルフレム様もお食べになりたいでしょう?」


 あわててふるふるとかぶりを振る。


 ヴェルフレムが食べたい物をレニシャが奪うなんて、とんでもない。そもそも、こんな豪華な朝食を出してもらえたのも、領主であるヴェルフレムが一緒に食べることになったからに違いない。何より。


「おなかいっぱい食べられることも幸せですけれど、こうして一緒に『おいしい』と言いながら食べられることが、何より嬉しいんです。ですから……。わがままを聞いてくださって、ありがとうございます」


 フォークを置き、両手を膝の上に置いて深々と頭を下げる。


「いや、礼を言うのは俺のほうだ」


 穏やかな声音に顔を上げると、優しいまなざしにぶつかった。


「さっきも言っただろう? また食事を摂る気になったのは、お前のおかげだ。ありがとう、レニシャ」


 柔らかな笑顔にぱくりと心臓が跳ねる。いったいどうしてしまったのだろう。夕べから、なんだか変な気がする。ヴェルフレムと一緒に出かけたり、夜中におしゃべりしたりと、急に距離が縮まったせいだろうか。


「い、いえ……っ」


 ふるふるとかぶりを振りながら、レニシャは願う。


 レニシャがヴェルフレムに親しみを感じているように……。

 ヴェルフレムも、少しでもレニシャに心を開いてくれていたらいいな、と。 


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