19 魔霊伯爵との朝食


 ロナル村に行った翌朝。神殿でもよく来ていた作業用の簡素な服に着替えたレニシャが、


「今日はこちらに朝食をご用意しました」

 と、モリーに案内されたのは、ヴェルフレムの私室だった。


 足を組んでゆったりと座るヴェルフレムの前に置かれたテーブルの上には、二人分の朝食が用意されていた。


 いや、フォークやナイフは二セットなのだが、料理の量が明らかに二人分ではない。というか、朝食とは思えない豪華さだ。パンやスープ、炒めた卵ハムが載った皿はわかる。だが、骨付き肉がどどんと乗った皿と、卵黄を塗られててかてか輝くパイの皿はどういうわけだろう。


 状況からして、おそらくヴェルフレムとレニシャのために用意された朝食だろうが……。レニシャひとりでは逆立ちしても食べきれない量だ。


 夕べ、食事は不要と言っていたが、実はヴェルフレムはものすごい大食漢なのだろうか。


「おはよう、レニシャ。よく眠れたか?」


「は、はいっ! ありがとうございます!」


 ヴェルフレムの声に、テーブルの上を見ていたレニシャははっと我に返って、深く頭を下げる。


「でもあの、この朝食は……?」


 おずおずと尋ねると、ヴェルフレムが不思議そうに首をかしげた。


「昨日、お前が言ったのだろう? ひとりで食べる食事は味気ないと」


「っ!? ありがとうございますっ!」


 確かに言った。けれど、さっそくレニシャのわがままを叶えてもらえるとは、思ってもいなかった。


 もう一度頭を下げると、


「さあさ、レニシャ様。おかけください」

 と、笑顔のモリーにうながされた。


「だんな様が食事を召し上がることなんて今までなかったことですから、料理人が腕によりをかけたのですよ。どうぞ、冷めないうちにお召しあがりくださいませ」


 モリーの言葉に、やはりヴェルフレムはいつもは食べないのだと再確認する。同時に、朝からこんなごちそうを用意してもらうなんて、過ぎたわがままを言ったのではないかと、むくむくと不安がき起こった。


「あの、私のわがままのせいで、ヴェルフレム様だけでなく、皆さんにご迷惑をかけたのではありませんか……?」


 椅子に腰かけ、ヴェルフレムとモリーを交互に見やると、


「わがまま? この程度のこと、わがままでも何でもないだろう」


 とヴェルフレムに笑われた。ふっ、と口元にのぼった笑みの柔らかさに、なぜかぱくりと心臓が跳ねる。


「だんな様がおっしゃるとおりでございますよ!」

 と大きく頷いたのはモリーだ。


「だんな様とレニシャ様の仲睦まじい様子を見られるのは、わたくしどもにとっても幸せなことでございますから! だんな様が聖女様とこのように親しくされるお姿を見られるなんて……っ!」


 告げるモリーの声が感極まったように震えている。そこまでモリーが感激するようなことなのだろうかと疑問に思い……。


 そうか、前の聖女と比べられているのだと思い至る。


 すぐさま思い浮かぶのは、昨日ロナル村へ出かける時に着せてもらった若草色の綺麗なドレスだ。レニシャは前任の聖女にあったことはないが、きっとあのドレスが似合う可憐な聖女だったに違いない。


 だが、モリーがこんなに喜んでいるということは、前の聖女とヴェルフレムは仲がよくなかったということだろうか。


 ふと、聖都を出る時、周りの聖女達が囁いていた言葉が脳裏に甦る。


『昔、嫁がされた聖女は、魔霊の妻でいることに耐えられなくって、気鬱きうつになった挙句、病死したらしいわよ?』


『それって本当に病死だったのかしら。本当は魔霊に喰われてたり……』


 まだ三日目だが、実際にヴェルフレムと過ごしたレニシャは、聖女達の噂が根も葉もないと知っている。


 落ちこぼれのレニシャにまでこんな優しくしてくれるヴェルフレムが、前任の聖女につらくあたっていただなんて考えられない。


 だが、それならばなぜヴェルフレムは前任の聖女と疎遠だったのだろう。


 心に浮かんだ疑問をレニシャが吟味ぎんみするより早く。


「食べぬのか?」


 ヴェルフレムに問われ、レニシャははっと我に返った。


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