16 夜更けの目覚め


「んぅ……」


 ごろり、と寝返りを打った拍子に、レニシャは眠りから目が覚めた。


「んん……?」


 ぼんやりと声を洩らしながら、手の甲でくしくしと寝ぼけまなこをこする。身体を包むのは、いままで寝たことがないほどふこふこの布団だ。藁布団わらぶとんだった故郷はもちろん、聖都の宿舎の寝台ですら、こんなによい寝心地ではなかった。


 唯一覚えがあるとすれば、夕べ借りて寝たヴェルフレムの私室のソファくらい……。


 そこまで考えて、レニシャはがばりと飛び起きる。


 そうだ。ヴェルフレムと一緒にロナル村へと行ったはずだ。そこで初めて癒やしの力を使うことができて……。


 だが、初めて使ったため力の加減がわからず、四人を治した後、立っていられないほどの疲労に襲われたのだ。ヴェルフレムに抱き上げられて馬車に乗せられ、休んでよいと言われて目を閉じたが……。


 まさか、いままで寝こけてしまっていたのだろうか。


 あわてて周りを見回すが、部屋の中は無人で、寝台のそばの卓に置かれた蝋燭立てで炎が揺らめくばかりだ。窓の外は真っ暗で、深夜であることは間違いない。


「そ、そうだ! ドレス!」


 モリーが着せてくれたレニシャにはもったいない若草色の綺麗なドレス。皺くちゃにしてしまっていたらどうしよう、とあわてて自分の身体を見下ろすが、いつの間にかドレスは脱がされ、羊毛で織られた清潔で厚手の夜着に着替えさせられていた。


「よ、よかったぁ……っ!」


 モリーが着替えさせてくれたのだろうか。何にせよ、綺麗なドレスを皺だらけにせずに済んで助かった。


 だが、モリーにもヴェルフレムにも、多大な迷惑をかけてしまったのではないだろうか。


 レニシャはそろそろと寝台から床に降りる。足裏にふれた木の床はひやりと冷たい。寝台のそばに昼間履いていた毛皮の縁取りつきの靴がそろえて置かれていたので、ありがたく履くことにする。


 そろそろと歩み寄った先は、ヴェルフレムの私室とつながっている内扉だ。扉の向こうの気配をうかがっても、しんと静まり返っていて、何の気配も感じられない。


 何時かはわからないが、こんな夜更けなのだ。当たり前だろう。


 常識的に考えれば、朝を待って礼を言うべきだというのはさすがにレニシャでもわかる。だが、ぐっすり眠らせてもらったおかげで目が冴えてしまい、このまま寝台に戻って布団にくるまったとしても、すぐに寝つけそうにない。


 迷惑をかけてしまったと申し訳ない気持ちを抱えているくらいなら、ヴェルフレムが起きているかどうか、確かめるだけでもしてみようという気持ちになる。


(魔霊だから、寝台を使っていないとおっしゃっていたし……)


 遠慮がちに内扉をノックし、「ヴェルフレム様、起きていらっしゃいますか?」と小声で問いかける。


 だが、返事はない。


 試しにノブを回してみると、案に相違してなんの抵抗もなく扉が開いた。


「し、失礼します……」


 小声で断りを入れながら、そっと扉の向こうをのぞき込む。


 ヴェルフレムの私室は真っ暗だった。だが、闇に慣れた目は部屋の中のおぼろげな形を捉える。


 天蓋付きの大きな寝台は綺麗に整えられて平らなままで、ヴェルフレムの姿はない。その代わり。


「……?」


 レニシャの部屋と通じる内扉と反対の壁に設けられている内扉の隙間から、かすかに光が洩れていた。あちらの部屋に入ったことはないが、ヴェルフレムの執務室だろうか。


 光に誘われるように、そろそろと歩を進める。もう少しで扉に手が届くというところで。


「くしゅんっ」


 火の気のない部屋の寒さに、思わずくしゃみが飛び出す。


「レニシャ?」

 扉の向こうで、いぶかしげな声が聞こえた。かと思うと。


「ひゃっ!?」

 突然、勢いよく扉が開いて、思わず悲鳴が飛び出す。


 明かりを背にした長身のヴェルフレムは、まるで影法師が身体を得て立ちふさがったかのような威圧感だ。


 影になって見えない面輪の中で、人ではありえない金の瞳だけが、炯々けいけいと輝いている。


 初対面の者なら、怯えて泣き出していたかもしれない。だが。


「どうした? こんな夜更けに」


 耳に心地よく響く低い声が聞こえた瞬間、恐ろしさが霧散する。深く響く声に宿るのはあたたかな気遣いだ。


「そ、そのっ、ついさっき目が覚めまして……。たくさんご迷惑をかけてしまったようなので、もしまだヴェルフレム様が起きてらっしゃったら、お詫びとお礼を申し上げないと、と思ったので……」


 まさかヴェルフレムのほうから扉を開けてくれるとは思わなかったので、心の準備ができていなかった。


 レニシャがおろおろと答えると、


「そんなこと……。明日の朝でよかったのだぞ?」

 と苦笑したヴェルフレムが、不意に上着を脱ぎだした。


「それより、なぜ夜着一枚でうろついている? 俺の炎をそばに置いていただろう?」


 ばさりとレニシャの肩にヴェルフレムが脱いだ上着をかける。部屋の明かりに照らされた美貌は、心配そうにしかめられていた。


「あっ! あの寝台のそばに置いてくださっていた蝋燭立てでしょうか……? すみません、気づきませんで……」


 確かに、寒さを感じたのは寝台から離れて以降だ。


「す、すみません。昼間もお借りしたのに、また……」


 ヴェルフレムの上着を肩に羽織ったまま、ぺこりと頭を下げる。いままでヴェルフレムが着ていたからか、それともこれにもヴェルフレムの魔力が宿っているのか、夜気に冷えていた身体がぽかぽかとあたたまってくる。


「そ、それと、寝こけてご迷惑をおかけして誠に申し訳ございませんでしたっ!」


 身を二つに折るようにして深々と頭を下げる。


「迷惑、だと?」


「は、はい……っ。せっかくロナル村へ連れて行っていただいたのに、帰り道で寝こけてしまって……。ヴェルフレム様が部屋へ運んでくださったのでしょうか……? 重かったでしょう? 申し訳ありません」


「何を謝るかと思えば……」


 ふ、と苦笑がこぼれる気配がしたかと思うと、よしよしと大きな手に頭を撫でられる。


 驚いて身を起こすと、柔らかな光をたたえた金の瞳とぱちりと目が合った。


「お前を運ぶなど、造作もない。むしろ、礼を言うべきは俺のほうだろう? 大切な領民を癒やしてくれて、助かった。感謝する」


「い、いえっ!」


 初めて見たヴェルフレムの柔らかな微笑みに、はじかれたようにかぶりを振る。


「癒やしの力を使えたのは、ヴェルフレム様のおかげです! ヴェルフレム様、が……」


 言いかけて、癒やしの力を使えるようにするためにヴェルフレムと何をしたのかを思い出し、一気に顔に熱がのぼる。いまなら上着もいらないほどだ。


「と、とにかくっ! ヴェルフレム様には心から感謝しているのですっ! 本当にありがとうございますっ!」


 真っ赤になっているだろう顔を隠すように、もう一度がばりと深く頭を下げる。そのまま顔を上げられないでいると、もう一度、ぽふぽふと頭を撫でられた。


「礼などよい。それより、身体の調子はどうだ?」


「は、はいっ、ぐっすり眠らせていただきましたので、もう大丈夫ですっ!」


 顔を上げ、力強く言い切った瞬間、くーきゅるきゅると夕食抜きになった胃袋が不満の音を上げた。


「はわっ!?」


 あわてておなかを押さえるが、きゅるきゅる鳴るおなかの音はおさまらない。

 と、ぷっとヴェルフレムが吹き出した。


「力を使った分、身体が栄養を求めているのだろう。ジェキンスかモリーに食事を用意させよう」


「だ、だめですよ! お二人ともぐっすり眠ってらっしゃる時間でしょう? それを起こすなんて……っ! 変な時間に起きた私が悪いんですから、朝まで待ちます!」


 レニシャのわがままでこんな夜中に起こすなんて、とんでもない。ぶんぶんと首を横に振ってヴェルフレムを止める。


「だが、腹が空いているのだろう? 俺は食事も必要ないゆえ、つらさはわからんが……」


「えっ!? ヴェルフレム様は睡眠だけでなくご飯まで不要なのですか!?」


 驚きのあまり、すっとんきょうな声が飛び出す。

 確かに、朝食も昼食も、レニシャひとりきりで食べたのだが……。


「よかったぁ……」


「うん? 何がよかったんだ?」


 思わずこぼれた呟きに、ヴェルフレムがいぶかしげに眉を寄せる。


「あっ、いえ……っ」

 ふるふるとかぶりを振り、レニシャは視線を落とす。


「その……。とっても豪華でおいしいご飯だったんですけれど、ひとりきりでいただいたので……。ヴェルフレム様は一緒に食べることもできないほどお忙しいのか、それとも……。その、私なんかと一緒に食べるのはお嫌なのかと心配していたので……」


 心の奥に巣食っていた不安をこぼしたところで、自分がとんでもないわがままを言ったことに気づく。


「い、いえっ! すみませんっ! お忘れくださいっ! 私が勝手に不安になって気をもんでいただけで……っ!」


 あわあわと両手を振り回して弁解すると、虚をつかれたような声が降ってきた。


「……俺と一緒に食事をしたいと?」


「っ!?」

 単刀直入に問われ、言葉に詰まる。何と答えるべきかしばし迷い。


「その……っ、せっかくのおいしいご飯ですから、ひとりで食べるより、おいしいって言い合いながら一緒に食べたほうが、もっとおいしく感じると思ったので……」


 結局、気の利いた返事が思い浮かばず、心に浮かんだ言葉をそのまま告げると、今度はヴェルフレムが小さく息を呑む音が聞こえた。


 一緒にご飯を食べてほしいだなんて、子どもっぽいと思われただろうか。沈黙に耐えきれず、視線を伏せると。


「……そんなところも同じなのだな」


「ヴェルフレム様?」

 ぽつりと降ってきた低い呟きに、長身を見上げる。


 ヴェルフレムの金の瞳は、ここではない遥か遠くを見つめていた。見ている者まで胸が締めつけられるようなまなざしに、なんだかレニシャまで切なくなる。


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