15 かつて心を許した親友の名前


 がたがたと揺れる馬車の音が響く車内で、ヴェルフレムは足を組んで背もたれにゆったりと身を預けていた。


 だが、馬車の中は無音ではない、耳をすませばほんのかすかな寝息が聞こえる。


 馬車の壁にもたれかかり、ぐっすりと眠る対面のレニシャを見つめ、ヴェルフレムは無意識に溜息をこぼした。


 本当に、行動が読めぬ娘だ。


 びくびくしているかと思えば、「一緒にロナル村へ行きたい」と言い出し、ヴェルフレム相手に嬉しそうに故郷の話を飽きることなく話す。


 あふれんばかりの聖女の力を持っているくせに使い方を知らず、使えるようになった途端、赤の他人のために、惜しみなく全力を尽くす――。


 しかも、魔霊伯爵を『優しい』などと言い、礼を言うなんて。


『え~っ! なんでだよ!? 別に魔霊に礼を言っちゃいけない決まりなんてないだろ~?』


 不意に、脳裏に懐かしい声が甦る。


『別に魔霊と人間が親しくなっちゃいけないって決まりだってないんだし!』


 若々しい男の声に、今日聞いたレニシャの言葉が重なる。


『人と魔霊で心が通じ合う可能性だってあるかもしれないということですよね……?』


「アレナシス……」


 無意識に、かつてたったひとり心を許した親友の名を呟く。


 レニシャの存在が気にかかるのは、きっと似ているところがあるせいだ。


 思考が予想の埒外らちがいで、何をしでかすのか読めなくて、まるで人間を相手にしているかのように、魔霊であるヴェルフレムにまで気を遣っていたわって……。


「この娘が、お前が……」


 呟き、「いや」とかぶりを振る。


 そう考えるのは早計に過ぎる。レニシャと出逢って、まだ一日も経っていないのだから。


 すでに、三百年待ち続けてきた。


 長い時を待ち続けてようやく芽生えた期待が無為に踏みにじられるかもしれない事態は――悠久の時を生きる魔霊であろうとも、さすがに避けたい。


 魔霊といえど、感情がないわけではないのだから。


 希望がついえる痛みは――ヴェルフレムとて、知っている。


「まったくお前は……。図々しくて、型破りで……。傍迷惑はためいわく極まりない。お前のせいで、何百年この俺が振り回されていると思っている……?」


 すよすよと健やかに眠るレニシャの寝顔を見つめながら、ヴェルフレムはこの世にいない友人へ愚痴をこぼす。


 三百年前、ヴェルフレムをこの地に封じたと言われる聖アレナシス。けれど、彼の本当の願いは――。


『え~っ? オレが傍迷惑なヤツだってゆーのは、最初の願いを言った時からわかってたハズだろ~?』


 まるで悪戯が成功した子どものような笑顔が脳裏に浮かんで、ヴェルフレムもまた、小さく口元をほころばせた。



   ◆   ◆   ◆



「レニシャ!? ま、まさか屋敷ではわたしの目があるからと、連れ出して手にかけたのではないだろうな……っ!?」


 ロナル村から屋敷へ着いたのは、すでに陽もとっぷりと落ちた時間だった。


 屋敷に着いても起きる気配のなかったレニシャを抱き上げ運んでいたヴェルフレムは、二階に上がったところで投げつけられた言葉に、不快感を隠さず声の主を睨みつけた。


 ヴェルフレムのまなざしに、怯えたようにびくりと肩を震わせたのはスレイルだ。


 えりまできっちりと留め具をしめた神官服は、生真面目さや誠実さよりも、堅苦しさと融通の利かなさを印象づける。


「手にかける、だと? はるばる聖都から来た聖女にそんなことをするはずがないだろう? レニシャは癒やしの力を使いすぎて眠っているだけだ。馬鹿も休み休み言え」


「ば、馬鹿だとっ!? 妄言を吐いているのはそちらだろう!? レニシャが癒やしの力を使うなど、あるはずがないっ!」


 ヴェルフレムの言葉に、スレイルが吐き捨てるように反論する。


「聖女となってから、一度も使えたためしがないからか?」


「なっ、なぜそれを……っ!? くそっ、レニシャが口をすべらせたか!?」


 おそらくレニシャに口止めしていたのだろう。スレイルが焦った様子で罵倒する。スレイルの魂胆こんたんなど見え透いている。レニシャが役立たずの聖女だとヴェルフレムが知れば、侮られるに違いないと危惧きぐしているのだろう。


 まったくもって、くだらない。いや、さらにくだらないのは。


「レニシャがいままで癒やしの力を使えなかったのは、強すぎる自分の力を扱いあぐねていたためだぞ? 神殿へ引き取って何年も教育したにもかかわらず、その程度のことにさえ気づけぬとは……。聖都の神官の質も、ずいぶんと落ちたものだな」


 アレナシスが生きていた三百年前と異なり、平和で豊かになったいまの世では、神官や聖女も己の力を磨き、後進を育てることよりも、神殿内外での権力闘争に明け暮れているのだろう。百年ほど前から、年を追うごとに神官や聖女の質が落ちている気がする。


「だ、黙れ……っ! 魔霊ごときが神殿を愚弄ぐろうするか……っ!」


 怒りが恐怖を塗り潰したのだろう。スレイルが憤怒に赤黒く染まった顔を歪ませる。


「清らかな聖女をけがしておいて何を言う!? お前こそ、聖女におぼれてふたたび神殿の支配下に降った腰抜けではないかっ! その娘は見目だけは悪くないからな! 手にかけていなくとも、すでに夕べ手を出したのだろう!? 美しいドレスまで着せて、ずいぶん気に入っているようではないか!」


 あざけりもあらわにスレイルがせせら笑う。


 やはりそうか、とヴェルフレムは昨夜の非常識な時間の訪問意図を理解した。推測したとおり、スレイルが仕組んでいたのだ。


 長い年月が経つうちに、どんどん『聖婚』の内容が歪められていることには、苦々しさしか感じない。ヴェルフレムが聖女を食い物にしていると……。


 だが、真実を告げたところで、偏見に凝り固まった神殿の者達は、決して信じぬだろう。


 スレイルに告げたとしても、レニシャを責め立てる姿しか予想できない。ゆえに。


「ああ、気に入っているぞ」


 ぎゅっ、とヴェルフレムは眠るレニシャを抱き寄せる。「んぅ」とかすかな声を上げて、レニシャがこてん、とヴェルフレムの胸に頭をもたせかけた。


 安心しきった寝顔を見ていると、心がほぐれて口元に笑みが浮かぶのを感じる。


 本当はヴェルフレムが手を出してなどいないと知れば、スレイルは間違いなくレニシャを責め立てるだろう。男女の機微きびうとい純朴な娘がいわれのない誹謗ひぼうを受けるのは気の毒だ。


「初々しさが、ことのほか愛らしい。しかも、心根も優しい娘だ。このように疲れ果てるまで、怪我をした領民を癒やしてくれたのだからな。まさかこれほどよい娘が遣わされるとは思ってもいなかった。……大切にいつくしもう」


 顔を傾け、眠るレニシャの額に、ちゅ、とくちづけを落とす。


 ふと耳に届いた異音に目を向ければ、スレイルがぎりぎりと歯を噛みしめ、ヴェルフレムを睨みつけていた。


「聖女を食い物にするけがらわしい魔霊めが……っ!」


「……こうなるべく画策したのはお前だろう? 思惑通りに進んだというのに、何が不満だ?」


 威圧感をこめ、低い声で問いただす。びくりと、スレイルが怯えたように神官服に包まれた肩を震わせた。


「どうやら、目を開けたまま眠っているようだな。俺に対する暴言、本来なら不敬だと罪に問うべきところだが、今回だけは寝言だと聞き流してやろう」


 尊大に告げ、これで会話は終わりだとスレイルの返事も待たずに歩を進める。


 これまでも、魔霊であるヴェルフレムをさげすむ神官や聖女は何人もやってきたが、どいつもこいつも神殿の威を借る狐に過ぎなかった。


 面と向かってヴェルフレムに打ち勝つ力も、胆力もないのだから。そんな卑怯者と正面からやりあうなど、時間の無駄だ。


 どちらが上か理解し、おとなしくしてくれればそれでよい。


 ジェキンスに命じて、早々に屋敷から出し、神殿か他の家に身を寄せさせたほうがよさそうだと、私室の扉を押し開けながら思案する。


 どうせ、長いつきあいになるのだから、極力接触を減らして過ごすのがお互いのためというものだ。


 明かりの落とされた私室の中は暗かった。が、ヴェルフレムが念じるだけで、歩みに合わせて空中に炎が現れる。


 内扉を通り、隣にあるレニシャのために用意した部屋へと入る。


 領主の私室としての体裁を整えただけのヴェルフレムの私室と異なり、レニシャの部屋はクッションやカーテンなどに桃色や橙色の暖色がふんだんに使われた居心地のよさそうな部屋だった。ジェキンスの指示を受けたモリーが心を込めて準備したのだろう。


 整えられた寝台にレニシャをそっと下ろし、寝台の隣の卓に置かれた持ち手つきの蝋燭ろうそく立てに炎をつける。暖炉の火は落ちているが、ヴェルフレムの炎があれば寒さを感じることもないだろう。


 寝台に下ろしても、レニシャはぐっすり眠ったままだ。無防備極まる寝顔に、思わずくすりと笑みがこぼれる。


 夕べも、こんなあどけない寝顔で、マントにくるまってソファで眠ったのだろうか。寝台を奪ってしまってはヴェルフレムに申し訳ないと、本来ならばする必要のない遠慮をして。


「愚かで……。お人好しの娘だ」


 柔らかそうな栗色の長い髪をそっと撫でる。


 だが、このままドレスで寝かせてよいものだろうか。


 何着もあるドレスのひとつが皺だらけになろうと、ヴェルフレム自身はまったく気にならないが、夕べ、聖女のドレスが皺くちゃになってしまうと気にしていたレニシャだ。着替えさせてやったほうがよいのかもしれない。もちろん、ヴェルフレムが着替えさせる気はないが。


「モリーを呼んでこねばならんな」


 呟き、モリーを呼ぶべくヴェルフレムはきびすを返した。


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