14 どうかこの者に癒やしの奇跡をお恵みください……っ!


「っ!?」


 反射的に引こうとした身体を、背中に手を回され、抱き寄せられる。


 何が起こっているのかわからない。混乱に頭が真っ白に染まる。ただ、くちづけられた唇だけが、火傷やけどしたかのように熱い。


 心の奥底まで見通すような紅の瞳が怖くて、ぎゅっと固く目を閉じる。身動みじろぎして逃げようとすると、「逃げるな」とわずかに唇を離したヴェルフレムに叱責された。


「俺の魔力にお前の力が反応しているのがわかるか? それを感じ取れ。そうすれば、癒やしの力を使えるようになる」


 告げると同時に、ふたたびヴェルフレムの唇が下りてくる。


 恥ずかしくていますぐ逃げ出したい。


 けれど、怪我人を治したい一心で、ヴェルフレムに言われた通り、力を感じ取ろうと集中する。


 けそうに熱い唇。抱き寄せる力強い腕に、肌がちりちりと炎にあぶられるような心地がする。


 同時に。


 ヴェルフレムが与える激しい熱とは別の、柔らかなあたたかさが自分を包み込んでいるのを感じる。


 ゆらゆらと揺らめくあたたかさは、まるで風に舞い踊る木の葉のように不安定で。


 けれど、これがレニシャが持つ聖女の力だというのなら――。


 ヴェルフレムから与えられる熱ではない自分の中からあふれる熱を、波立つ水面みなもからすくいあげるように感じとる。


 いまなら確信できる。


 きっと、癒やしの力を使えると。


「……どうだ?」


 唇から離れた熱と、耳に心地よく響く低い声に、ぱちりとまぶたを開ける。

 じっとこちらを見下ろす紅の瞳を真っ直ぐ見上げ。


「い、いまなら癒やしの力を使えそうです! 村長さんっ、怪我をした方はどちらにいらっしゃいますか!?」


「こ、こちらです……!」


 呆けたように突っ立っていた村長があわただしく奥の部屋に通じる扉を開く。村長に導かれるまま、レニシャは部屋へ駆け込んだ。


 部屋の中には簡素な寝台が四つ置かれており、どの寝台でも、まだ若い青年が苦しげな様子で横たわっている。


 レニシャは扉から一番近い寝台に駆け寄ると、すぐそばにひざまずき、眉間に皺を寄せて苦しげな声を洩らす青年の手を両手でぎゅっと握りしめる。


「いと慈悲深き光神ルキレウス様。どうかこの者に癒やしの奇跡をお恵みください……っ!」


 自分の周りに揺らめくあたたかな力を握りしめた手を通して青年に伝えようと、農作業で荒れた大きな手に額を押しつけて祈りを捧げる。


「光神ルキレウス様、どうか慈悲をお恵みください……っ!」


 いままで何度試しても、一度も応えられることのなかった祈り。


 けれどいまは、不安よりもきっと大丈夫だという確信のほうが大きい。


 レニシャの祈りに応じるように、青年の身体が一瞬、ほのかな光を放つ。かと思うと。


「痛みが……」


 青年が、驚いたように閉じていたまぶたを開ける。


「トラス!? 具合はどうだっ!?」


 どうやら村長の息子らしい。村長が勢い込んで問いかける。トラスと呼ばれた青年が、夢から覚めたように目をしばたたいた。


「あんなにうずいていた痛みがない……。身体にこもっていた熱も……! あなたは……聖女様、なのですか……?」


 ぼんやりとレニシャを見上げるトラスに「もう、大丈夫ですよ」と微笑み返し、レニシャは別の寝台に足早に歩み寄る。


 トラスと村長のやりとりを聞いていたのだろう。信じられないと言いたげに目を見開いている青年の寝台のそばにひざまずき、トラスと同じように手を握りしめ、祈りを捧げる。


 光神ルキレウスへの祈りを繰り返し、四人ともを治した時には、部屋の中に言い表しがたい興奮が渦巻いていた。


「ああっ! 聖女様、ありがとうございます……っ!」


「何とお礼を申しあげたらよいのか……っ!」


「まさか、聖女様がわざわざいらして奇跡を賜ってくださるなんて……っ!」


「あ、あの……っ?」

 寝台からおりてきた四人の青年と村長に囲まれ、レニシャはおろおろと声を上げる。


「もう起き上がっても大丈夫なんですか!? もう少し休まれたほうが……っ!?」


「聖女様のおかげですっかり治りました!」


「本当にありがとうございます!」


 レニシャよりずっと体格のよい青年達に囲まれて腰が引ける。無意識に後ずさろうとした途端、くらりと目眩めまいに襲われた。


 よろめいた身体を力強い腕に支えられる。同時に、いつの間にか肩からすべり落ちていたらしい毛皮の外套をかけられた。


 ふわりと揺蕩った香りに、振り返るより早く腕の主が誰なのか悟る。


「ヴェルフレム様! あのっ、ありがとうございましたっ! ヴェルフレム様のおかげで、癒やしの力を使えました!」


 身をよじってヴェルフレムを見上げ、感謝の言葉を伝える。告げた瞬間、『ヴェルフレムのおかげ』がくちづけだったと思い出し、かぁっと顔が熱くなる。


 緊急事態だったとはいえ、あれは恥ずかしすぎる。ばくばくと心臓の高鳴りが止まらない。なんだかくらくらして、ヴェルフレムに支えられなければ、立っていられない心地がする。


 だが、ヴェルフレムの腕にどきどきが止まらないのも確かだ。


「す、すみませ――」


「急に、全力を使うからだ」


 身を離して詫びようとした瞬間、溜息交じりの声が降ってきた。かと思うと、不意に横抱きに抱き上げられる。


「ヴ、ヴェルフレム様っ!?」


「癒やしの奇跡を行うということは、自分の力を相手に分け与えるのと同じことだ。しかも、魔霊につけられた傷は、治すのにより多くの力がいる。だというのに、出し惜しみせず全力の力をそそぐとは……。先に忠告しておくべきだったな。お前でなければ、気絶しているぞ」


「え……?」


 やけに身体が重くて頭がくらくらするのは、癒やしの力を使ったからということなのだろうか。なにせ、レニシャは初めて使ったのでよくわからない。


 ふたたび溜息をついたヴェルフレムが村長を振り返った。


「氷狐は倒し、怪我人も治したゆえ、急ぎの用はもうないな? 積もっていた雪ももう、融かしてある。他に被害があるようなら、調べて報告しろ」


「か、かしこまりました。このたびは本当にありがとうございます。なんと感謝申しあげればよいか……。お礼の申しようもございません。もちろん、そちらの聖女様にも」


「い、いえ……っ」


 まさか自分にまで礼を言われるとは思わず、身を折るようにして深く頭を下げた村長に、レニシャはあわててかぶりを振る。途端、くらりと視界が回り、抱き上げるヴェルフレムの腕にぎゅっと力がこもった。


「おい。おとなしくしていろ」


「いえっ! あのっ、大丈夫ですから下ろし――」


「ではな、村長」


 レニシャの言葉を無視して一方的に告げたヴェルフレムがきびすを返す。

 あわてて追ってきた村長が、ヴェルフレムの歩みを止めぬよう玄関の扉を開けた。


 雪の上を渡る冷たい風が吹き込んでくるに違いないと、反射的に首をすくめたが。


「あ、れ……?」


 扉の外に広がる光景に、呆然とした声を上げる。


 先ほどまで、村の中は一足早く冬が来たかのように、一面の銀世界だったはずだ。

 だが、いま目の前に広がっているのは。


 秋の風を受けて揺れる黄金色の小麦の穂。黒々とした土の道。雪の残滓ざんしは家々の壁にへばりつくようにして残るわずかな塊だけだ。


「ヴ、ヴェルフレム様、これは……?」


 呆然と呟くと、何でもないことのように告げられた。


「雪が積もっていたのは氷狐のせいだからな。それを倒し、積もっていた雪を融かしただけだ」


 至極あっさりと言われても、素直に頷けるわけがない。あれほど積もっていた雪をこんな短時間で融かしてしまうなんて……。


 初めてとはいえ、たった四人の怪我を治しただけで、レニシャは立てないほどになっているというのに、レニシャを抱き上げて進むヴェルフレムは、疲れている様子は欠片も見えない。


 それほど、力が抜きんでているということだろうか。


 いや、本当は疲れているのに無理をしている可能性だって、ないとは言えない。


「ヴェルフレム様! やっぱり下ろしてください! 自分で歩きます! ヴェルフレム様もお疲れでしょう……っ!?」


 足をばたつかせて訴えると、「何を言っている?」と呆れた声が降ってきた。


「この程度のこと、俺にとっては大したことではない。どう考えても、お前のほうが疲れ果てているだろう」


 御者が扉を開けた馬車へ乗り込んだヴェルフレムが、そっと座席にレニシャを下ろす。


 途端、そのまま地の底にまで引きずり込まれそうな疲労がずしりとのしかかってきた。眠くて目を開けていられない。


「屋敷へ着くまではまだまだかかる。遠慮せず眠れ」


 ヴェルフレムの大きな手のひらがレニシャの顔を覆い、そっとまぶたを下ろす。


 眠気を誘う耳に心地よい低い声。

 でも、これだけは伝えておかなくては。


「ヴェルフレム様……。ありがとう、ございます……」


 初めて聖女の務めを果たせた喜びに、自然と口元がほころぶ。


 自分を見下ろすヴェルフレムに微笑みかけ、あらがえぬ眠気にレニシャは身をゆだねた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る