12 炎の魔霊と氷狐


 ロナル村までは馬車で片道三時間近くかかると聞いていたが、ヴェルフレムに問われるまま故郷の話をあれこれとしていたら、長いと思う間もなく着いてしまった。


 神殿に引き取られて以降、レニシャの故郷に興味を持ってくれた人なんていなかったので、こんな風に故郷の話を誰かにしたのは初めてだ。


 故郷の村にいた頃、つまらないことで下の兄とけんかしたり、長い冬の間、少しでも家計の足しにしようと、母と二人、木の皮をいで水にさらして細く切ったものでかご作りにいそしんだ話など……。そんな他愛のない話でも、ヴェルフレムは文句ひとつ挟まず、黙ってレニシャの声に耳を傾けてくれた。


 久々に故郷のことをじっくり思い出して、里心に胸が切なくなると同時に、なんだかぽかぽかと心の中に炎がともった心地がする。


 火などいていないのに、馬車の中があたたかいせいかもしれない。これも炎の魔霊の力なのだろうか。だとすれば、たきぎを取りに行く必要がなくてよいなぁ、とレニシャはのんきに思う。


「は、伯爵様。到着いたしました。ひ、氷狐ひょうこが十匹近くおります……っ」


 馬車が停まり、御者台から御者の震える声が聞こえる。


「すぐに蹴散らしてくる。いいか、俺がいいと言うまで、馬車から出るなよ。あと、これを羽織っておけ」


 立ち上がったヴェルフレム一方的に告げたかと思うと、座席に置かれていた毛皮つきの立派な外套をレニシャに投げて寄越す。


「わぷっ」


 視界をふさぐようにばさりと顔の前に落ちてきた外套を、あわてて受け止める。もふもふした毛皮から顔を出した時には、ヴェルフレムがすでに馬車の扉に手をかけていた。


 押し開けた瞬間、身を切るような冷気が吹き込み、ほどかれたままのヴェルフレムの紅の長い髪を炎のように揺らめかせる。


 ヴェルフレムの広い背中の向こうに見えた景色は、一面の雪景色だ。


 いや、違う。


 雪と見まごう真っ白な毛を持った大きな狐が何匹も馬車を取り囲んでいる。真っ白な体の中でそこだけ真っ赤な目を吊り上げ、鋭い牙をむき出しにして唸るさまは、敵意を抱いているのが明らかだ。


 これが、ヴェルフレムが言っていた氷狐だろうか。レニシャの故郷も寒い地方だったが、氷狐なんて見るのは生まれて初めてだ。


 ふぉ――ん! と吹きすさぶこがらしのような高い鳴き声を氷狐が上げるたび、寒風が唸り、雪が舞う。


 まるで氷狐に凍らせられたように動けないでいるレニシャをよそに、ざくり、と馬車から雪の上に無造作に降り立ったヴェルフレムが後ろ手に扉を閉める。


 ヴェルフレムは無手むてだ。腰に剣もいていない。


 ふぉ――ん! と音高く鳴いた氷狐達がいっせいにヴェルフレムめがけて飛びかかる。


「ヴェルフレム様っ!」


 思わず叫んで扉に取りすがったレニシャが硝子越しに見たものは。


 ぽぽぽぽぽっ!


 ヴェルフレムがぱちりと長い指を鳴らすと同時に、どこからともなく空中にいくつもの火球が現れる。


 大人の握りこぶしほどの火球が、ヴェルフレムに飛びかかろうとする何匹もの氷狐に、狙いあやまたずにぶつかった。


 ぎゃおんっ! と氷狐の鳴き声が重なったかと思うと、雪が融けるように白い身体がかき消える。同時に、火球も役目を果たして消え失せた。


「だ、大丈夫ですかっ!?」


 己の目で見た光景が信じられぬまま、扉を押し開け、馬車の外へ飛び出す。降りた途端、ずぶりと足が積もっていた雪に沈んだ。


「ひゃあっ!?」


「おいっ!?」

 振り返ったヴェルフレムが、転びそうになったレニシャを抱きとめてくれる。


「す、すみません……っ」


 屋敷を出た時は雪など積もっていなかったのに、まさかこんなに深く雪が積もっていたなんて。


 いや、途中からはヴェルフレムとの話に夢中になっていたので、窓の外を見ていなかったが、屋敷を出てすぐの時に見た車窓からの景色でも、雪は降っていなかった。


 ということは、これは氷狐がもたらした雪だろうか。


 とにかく詫びねばと謝罪を紡いで顔を上げると、予想以上に近くに人外の美貌があった。が、きつく寄せた表情は、どこからどう見ても不機嫌そうだ。


「俺がいいと言うまで、馬車から出るなと言っただろう?」


 低い声で告げたヴェルフレムが、不意にレニシャを横抱きに抱き上げる。


「しかも、外套を着ておけと言ったのに、そでを通していないではないか」


 羽織った外套ごとレニシャを包み込むように、力強い腕でぎゅっと抱きしめたヴェルフレムが、そのまま雪を踏みしめながら歩き出す。


「す、すみませんっ。氷狐がヴェルフレム様に襲いかかろうとしているのを見て、心配で思わず……。というかっ! あのっ、下ろしてくださいっ!」


「そのドレスと靴では雪の上は歩きにくかろう? 村長の家に着くまで少し我慢しろ」


「いえっ、我慢と言いますか……っ!」


 昨日もヴェルフレムの私室へ連れて行かれる時に抱き上げられたものの、やはり恥ずかしくて仕方がない。


 先ほどは寒風に凍えるかと思ったのに、いまは炎が噴き出しそうなほど顔が熱を帯びている。


 下ろしてもらおうとじたばたと身動みじろぎしても、ヴェルフレムの腕は緩む様子がない。危なげなく歩を進めると、村の中心近くに建つ周りよりも大きな家に近づいて行く。


 氷狐がいたせいだろうか。畑も道も、屋根の上も、一面に雪が積もっている村の中は無人だ。おそらく、みな家の中に閉じこもっているのだろう。


 真っ白な銀世界を歩む紅の髪のヴェルフレムは、遠目に見ればまるで炎が揺らめているように見えるに違いない。


 村長の家だろう。昔ながらのどっしりとした石造りの家の前で、レニシャを抱き上げたまま立ち止まったヴェルフレムが扉の向こうへ声をかける。


「ヴェルフレムだ。氷狐は追い払ったぞ」


 途端、待ち構えていたようにぎぎぃっときしみながら扉が開いた。顔を出したのは、五十がらみの村長らしき男性だ。


「は、伯爵様っ! お早いお越し、誠にありがとうございます! しかも、もう氷狐を追い払ってくださったとは、なんとお礼を申しあげたらよいものか……っ!」


 表情と声に緊張にじませながら、村長ががばりと深く頭を下げる。


「かまわん。被害の状況はどうだ?」


 村長に招き入れられるまま、屋内に足を踏み入れたヴェルフレムが簡潔に問う。


「収穫前の畑がやられてしまいました。それと、氷狐の爪にやられて怪我を負った者が幾人かおりまして……。あの……」


 ぺこぺこと頭を下げながら告げた村長が、もの問いたげな視線を向けた先はレニシャだ。


「そちらのお嬢様は……?」


「ヴェルフレム様! いい加減、下ろしてくださいっ!」


 ようやくヴェルフレム腕が緩んだすきに床に下り立ったレニシャは、深々と男に頭を下げる。


「はじめまして、聖都から参りましたレニシャと申します」


 レニシャの挨拶に男が鋭く息を呑む。


「聖都から……っ!? ということは聖女様でいらっしゃるのですか!?」


「は、はい……。一応は……」


 掴みかからんばかりの勢いに呑まれながらおずおずと頷くと、がばりと頭を下げられた。


「なんという僥倖ぎょうこうでしょう! 聖女様! どうかお助けくださいませ! 癒やしの奇跡をお恵みくださいっ!」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る