11 まだ『聖婚』も成就していないでしょう!?


「窓にくっついてまで魅入るほどの景色か? 秋ならば、どの領でもさほど変わらぬ景色だろう?」


 腕をほどかれ、向かい合って座席に座り直したところで、ヴェルフレムがいぶかしげに問う。


「とんでもありませんっ!」


 ぶんぶんぶんっ、と千切れんばかりに首を横に振る。


「ラルスレード領のように、豊かな領は本当に珍しいと思いますっ! いえっ、私も故郷の村と聖都くらいしか知りませんけれど……っ。でも、私の故郷の村は土地がせていて、本当に貧しくて……」


 胸の痛みをこらえるように、膝の上でぎゅっと両手を握りしめる。


 寡黙かもくだが頼もしい父と、優しい母。母親似の穏やかな上の兄と、ひとつ上の明るくて茶目っ気のある下の兄。


 大切で大好きな家族が暮らす故郷。あたたかな思い出に彩られたそこは、けれど同時に、つらい飢えの記憶も根深くみついている。


 瘦せた土地に厳しい気候。神殿に奉納する麦を納めたら、農民の手元にはもう、麦はほとんど残らない。


 聖都へ引き取られた時、まず何より驚いたことは、三食小麦の白パンが食べられることだった。故郷ではライ麦や豆ばかり食べていたというのに。


 レニシャが聖女の力を見出された時、家族だけでなく村の人みんなが喜んだ。神殿から下賜かしされる支度金で、わずかなりとも村が潤うと。そしてレニシャが聖都で聖女として活躍すればするほど、優れた聖女を輩出した村として、聖都の援助を受けられるかもしれないと。


 そう、村のみんなにも期待されて送り出されたというのに。


 実際のレニシャは、癒やしの力も使えぬ期待外れで……。


 本当は、レニシャはこんな綺麗なドレスを着て、おいしいご飯を食べさせてもらえる身分ではないのだ。周りの全員をだましているようなものなのだから。


 ヴェルフレムが親切にすればしてくれるだけ申し訳なくて、うつむき胸の痛みに唇をかみしめていると、静かな声が降ってきた。


「お前が温室の世話をしたり、作物がよく育つ秘訣を知りたいと言っていたのは……。故郷のためなのか?」


「そ、そうです……っ!」


 心の奥まで見通そうとするかのような声音に、引き込まれるようにこくりと頷く。


「村では農作物や薬草についての知識を得ることすらできませんでした……っ! そもそも、神殿に引き取られるまで、文字すら読めなくて……。ですから、ラルスレード領で北方でも育つ作物や薬草について学んで、それを故郷に伝えることができたら、少しでも育ててくれた家族に恩返しができるんじゃないかと……っ!」


 レニシャの自己満足に過ぎないかもしれない。


 けれど、故郷の家族が苦しい暮らしを強いられているというのに、自分だけが聖女として安穏と暮らしているなんて、自分で自分が許せなくて。


 だから、『聖婚』の聖女として選ばれてから、ラルスレード領へ来る日を、ずっとずっと心待ちにしていた。期待外れで役立たずの自分でも、少しは誰かのために何かできるようになるのではないかと。


 ……実際は、したことと言えば温室の草抜きだけで、まだ何もできていないのだが。


 心の内に秘めていた願いを誰かに話したことなんて、いままで一度もなかったのに。


 なぜだろう。ヴェルフレムの金の瞳を前にすると、するりと言葉があふれ出してしまう。


「……愚かだな」


 呆れ混じりの嘆息とともに吐き出された言葉に、びくりと肩が震える。


「わざわざそんな回りくどいことをせずとも、ひとこと俺に頼めば済む話だろう? 『故郷を援助してください』と。お前が土で手を汚さずとも、多少の援助くらいしてやる」


「え……?」


 想像もしていなかった言葉に、思考が止まる。


 ヴェルフレムの言葉は確かに耳に入ったのに、内容が理解できない


「ま、待って……っ。待ってください……っ!」


 すーはーっ、と深呼吸し、告げられた内容を反芻はんすうする。

 思いがこうじすぎて、目を開けたまま夢を見ているのではなかろうか。


「ほ、本当に援助を……っ!?」


「俺の言葉が信じられぬと言いたいのか?」


 金の瞳が不穏をはらんで細くなる。レニシャは千切れんばかりに首を横に振った。


「とんでもありませんっ! で、ですが、援助なんてそんな……っ! 簡単にできるものではないでしょう!? それに……っ!」


 あっさりと援助を申し出られるほど、ラルスレード領が豊かということなのかもしれない。


 だが……。


「それに、何だ?」

 ヴェルフレムの金の瞳がいぶかしげに細くなる。


「その……っ」


 言葉が続かず、レニシャは唇を噛みしめる。


 これは二度とはない絶好の機会だ。決して逃すわけにはいかない。


 『ヴェルフレムの厚意に甘えて頼ってしまえ』と、心の奥でもうひとりの自分が囁く。『頷きさえすれば、故郷に恩返しができるぞ』と。


 けれど。


「ほ、本当によろしいのですか……っ!? だって、私、まだ何もお役に立てていないというのに……っ!『聖婚』だって、まだ成就しておりませんでしょう!?」


 まだ、レニシャは何もしていない。それなのに、絶対に返せそうにない多大な恩を受け取っていいものだろうか。


 レニシャの言葉に、ヴェルフレムが目をみはる。


「……本気で『聖婚』を成就させる気だと?」


 地をうような低い声に、あわててこくこくと頷く。レニシャは、そのために聖都から来たのだから。


「は、はい……っ。だってまだ神殿で神官様に誓っておりませんし……。まだ訪問できていませんが、ラルスレード領にも神殿はあるのでしょう? それとも、『聖婚』の場合はスレイルさんに頼むことになるんでしょうか……? あっ、でも、やっぱりまずは神殿のご都合をうかがわないといけませんよね⁉」


「……なぜ、神殿の予定を聞く必要がある?」


「えっ? 昔、村で見た結婚式は、神殿で神官様の前で新郎新婦が誓いを立てていたんですけれど……? 『聖婚』だと、また違うんですか? すみません、何も知らなくて……」


 うつむいて詫びると、ヴェルフレムの溜息が降ってきた。


「……昨夜もとんちんかんなことを言っていたお前が、『聖婚』を理解しているはずがなかったな……」


 疲れたようにふたたび嘆息したヴェルフレムが、「ひとつ言っておくが」と淡々と口を開く。


「『聖婚』では、別に神殿で神官に誓う必要はないぞ?」


「そうなんですね! じゃあ、何をしたら成就したことになるんでしょうか!?」


 勢い込んで身を乗り出すと、なぜかもう一度、深い溜息をつかれた。


「そこまで急ぐ必要はない」


「? そうなんですか? スレイルさんには、五年も聖女が不在だったので、すぐにり行うよう、厳しく言われているんですけれど……?」


 首をかしげて告げた途端、金の瞳が細まった。「はっ!」と険を宿した声が放たれる。


「神官のげんなど、真に受けずともよい。そうだな……」


 座席にゆったりともたれたヴェルフレムが腕を組む。


「夕べも言ったとおり、わたしの伴侶となるということは、伯爵夫人になるということだろう?」


「は、はい……」


 レニシャなどが伯爵夫人だなんて信じられないが、魔霊伯爵の妻、ということならば確かにその通りだ。


「となれば、領主の妻として、ラルスレード領についてしっかり学んでもらわねばならん。たとえば、お前がいまこうしてロナル村へついてきているようにな。『聖婚』を執り行うのは、それからだ」


「なるほど……っ! わかりました!」


 するべきことを具体的に示され、目の前が開けたような心地がする。


「私、ラルスレード領のことをもっともっとたくさん知りたいですっ! ヴェルフレム様っ、どうかいろいろお教えくださいませっ!」


 身を二つに折るようにして、深々と頭を下げる。


「ああ、もちろんだ」

 どことなくほっとした様子でヴェルフレムが頷く。


「だが、いまは先にお前の故郷のことを聞いたほうがよいだろう。わからぬことには援助もできん」


「ほ、本当に援助をしていただけるのですか……っ!?」

 顔を上げ、驚愕とともに問い返す。


「くどい。それとも、いらんのか?」


「いえっ! とんでもないですっ! ありがとうございますっ!」


 ぶんぶんぶんっ、と首を横に振り、もう一度がばりと深く頭を下げる。


「貧しいと言っていたが、どんな村だ? 必要なものも事情によって異なるだろう? そもそも、村の場所はどこだ? ラルスレード領から近いのか? それとも、南の聖都寄りか? さらに南にも村々があるだろう?」


「いえっ、どちらかといえば、ラルスレード領のほうが近いです! 北西地方の外れの……」


 ヴェルフレムに問われるまま、レニシャは故郷の村について思い出せる限りのことを説明した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る