10 辺境にうってつけの聖女


(きっと、綺麗で……。期待外れの私なんかと違って、ちゃんと聖女の力を扱える方だったんだろうな……)


 レニシャが聖女の力を扱えないことを、ヴェルフレムはきっと知らぬに違いない。


 スレイルからは、決して明かすなと厳命されている。


 万が一、力の使えない聖女と知られれば、侮られ、よからぬことを画策されるに違いない、と。


 口止めするくらいなら、ちゃんとした聖女を遣わせばよいのにと思うが……。


 聖なる力は貴重だ。神殿も手放したくないのだろう。


 その点、聖女でありながら、力の使えぬレニシャは、辺境に遣わせる聖女としてうってつけというわけだ。


 神殿にはレニシャより年上の聖女が何人もいるというのに、わざわざ成人を待ってレニシャが遣わされた理由はそこにある。レニシャがラルスレード領で何十年過ごすことになろうと、神殿は痛くもかゆくもない。むしろ、何十年か聖女を遣わさなくてよいよう、できるだけ長生きしてほしいと願っていることだろう。


(これから、何十年も暮らすのだもの。せめて、ヴェルフレム様に嫌われないようにしなければいけないのに……)


 失言で不愉快な顔をさせてしまうなんて、自分が情けない。


 うつむき、車輪が土の道を進むがらがらという音を聞くともなしに聞いていると。


「ところで、ロナル村に行く件だが」


「は、はいっ」

 静かに発せられたヴェルフレムの声に、レニシャははじかれたように顔を上げた。


 その勢いに驚いたのか、ヴェルフレムが瞬きする。


「お前が何を求めているかは知らんが、おそらく楽しい用事ではないぞ。ロナル村に行くのは、レシェルレーナの氷狐を排除するためだからな」


「レシェルレーナ……」


 告げられた名をおうむ返しに繰り返す。


「ヴェルフレム様が駆逐くちくされたという氷の魔霊ですよね? かつてこの地を支配していたという……」


 レニシャが『聖婚』で派遣されることは、五年以上前に決まっていたため、ラルスレード領については、聖都にいる時にある程度学んで来た。


 北方の辺境にもかかわらず、ラルスレード領が国でも有数の農作地である理由は、レシェルレーナの脅威を排し、森林を切り拓いたことで、耕作地が大幅に広がったためだという。


 レニシャの言葉に、「ああ」とヴェルフレムが顔をしかめて頷く。


「毎年、冬になる前にどこかの村が雪や氷の被害に遭うのだ。嫌がらせとしか思えんが、飽きもせず毎年毎年……。何を考えているのやら、理解に苦しむ」


 凛々しい眉をきつく寄せるヴェルフレムは心底わずらわしそうだ。


「同じ魔霊でも、わからないのですか……?」


 首をかしげると、はんっ、と鼻を鳴らしたヴェルフレムが皮肉げに唇を吊り上げた。


「では、同じ人間なら心が通じ合うのか?」


「あ……っ」

 もっともすぎる指摘に、小さく声を洩らして、唇を噛みしめる。


「そう、ですね……」


 人間同士でも、互いの心がわからずに疑心暗鬼になったり、いがみ合ったりするのだ。それは魔霊であっても変わらぬのだろう。


「けど……。同じ人間であっても、わかりあえないことばかりですが……。逆に言えば、人と魔霊で心が通じ合う可能性だってあるかもしれないということですよね……?」


 そうであれば、いいと願う。

 盟約に基づいてとはいえ、『聖婚』で伴侶となったのだから。


 祈りをこめて告げると、ヴェルフレムが金の瞳を見開いた。


「……ス……」


 唇からこぼれた呟きは、かすれていてレニシャの耳にまで届かない。


「ヴェルフレム様?」


 また、変なことを言って呆れさせてしまっただろうか。先ほど呆れられたばかりなのに。


 失言ばかりの自分を情けなく思いながら、不安を隠せずヴェルフレムを見やると、我に返ったようにヴェルフレムがかぶりを振った。


「何でもない。気にするな」


 感情を抑えたような声で告げたヴェルフレムが、ふいと馬車の窓へ顔を背ける。レニシャは反射的に視線の先を追い。


「わぁ……っ!」


 車窓から見える景色に、思わず歓声が飛び出す。


「すごい……っ!」


 昨夜は屋敷へ向かったのは陽がとっぷりと暮れてからだし、旅の間も寒気が入って寒いとスレイルが窓にかけられたカーテンを閉め切っていたため、ろくに外の景色を見ることができなかった。


 けれど、いま窓硝子越しに見えるのは。


 広々とした平地一面に広がる豊かな麦畑だ。いや麦だけではない。かぶや豆、エシャロットの畑も見える。


 畑と畑の間には、石造りの家々が身を寄せ合うように建っており、何人もの農夫達が刈り入れ作業を行っている。


 秋も深まってきたため、八割がたの畑は収穫が済んでいるが、それでもラルスレード領の豊かさは疑いようがない。


「なんてすごい……っ!」


 きらびやかな建物が立ち並ぶ聖都より、レニシャにとっては、こここそが理想郷だ。


 魅入られるまま、もっとよく見ようと腰を浮かせて窓へ近づくと、不意にがたりと馬車が揺れた。


「ひゃっ!?」


 体勢を崩し、転びそうになったところを、素早く立ち上がったヴェルフレムに抱き止められる。香草を燃やした時のような香りがふわりと揺蕩たゆたった。


「気をつけろ」


「す、すみません……っ」

 詫びながら顔を上げると、予想以上に近くに人外の美貌があった。


 ぎゅっと抱き寄せる力強い腕に、反射的に、抱き寄せてくちづけられた夕べのことが脳裏に甦り、顔に熱がのぼる。


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