第十話 魔物の足音と進むべき道

 そういう訳で、俺達は新装備を携えながら、町の西にある平原を目指す。付いてきたのは女性の試験官だった。セレーネさんの情報によれば、この女性はこの町のギルドでも上位の冒険者の一人で、『疾風』の二つ名を持っているらしい。今回は楽して報酬が貰えるからと言う理由で試験官役を買って出たのだとか。いくら上位の冒険者と言えど、毎回高難易度の依頼をこなし続けるのでは身体が持たないと言うもの。たまには楽をしたいと言うこともあるだろう。


「それじゃあ、各自。ワイルドシープのオスから角を二本ずつ採取すること。討伐でももちろん構わないんだけど、一応ワイルドシープの羊毛はそれなりの値が付くから、出来れば殺さないで欲しいかな」


 もちろん俺達も、殺さないことを前提に作戦を立ててある。俺の方はある程度力任せだが、ラキュルに関しては短剣の投擲と麻痺毒の組み合わせによる捕獲という手法だ。


「そっちの君は魔法使いって聞いてたけど、今回はその剣を使う訳?」


 俺が背負っている魔剣を指差して、女性試験官が言う。


「はい。俺の魔法は威力が強過ぎるので、今回は白兵戦のみで挑戦しようかと」

「ふ~ん。セレーネさんも詳細は教えてくれなかったけど、すごい魔法使いなんでしょ? 今度見せてよ」

「それはまぁ、機会があれば」


 「元勇者パーティの一員だ」などと自ら吹聴するのは気が引けると言うもの。この先関わる機会が多くなれば、自然と語る日も来るだろう。


「君は薬師なんだよね? 大丈夫? 戦えそう?」

「不安はありますが、やってみなければ始まりません。全力を尽くすのみです」


 多少不安げではあるが、ラキュルの方も気合は充分。後は黙って結果を待つばかりだ。


「そっか。それじゃあ、探索開始。見つけ次第順番に行こうか」


 女性試験官の一声で、俺達は平原の探索を開始する。もし俺が事前にこの平原を訪れたことがあったのなら、この段階で異変に気付けていただろう。この日の平原はあまりにも静か過ぎた。


 探索開始からしばらくして。流石に異常に気付いたのか、女性試験官が立ち止まる。


「おかしいな。いつもならこんなに探さなくてもワイルドシープには出くわすはずなのに」


 通常であれば、平原のいたるところでワイルドシープが草をむ姿が見られると言う。それがないということは、明らかな異常事態。何が原因かまではわからないが、ワイルドシープを始め、この平原に住み着いているはずの多くの生物が、行方をくらませているらしい。


「何だか悪い予感がする。今日の昇格試験は中止にして、一旦町に引き返そう」


 これに関しては俺も同意見だった。これほど豊かな平原で生物が見当たらないことはもちろんだが、それ以外に嫌な気配がぷんぷんする。これはそう。俺が勇者パーティーとして最前線にいた頃によく感じていた気配だ。


 大抵の場合。嫌な予感と言うものは事前に感じるものではなく、既にことが起こってしまってから感じるものである。俺は自分で口にしておきながら、完全に備えを怠っていた。ここは最前線ではないのだからと油断していたのだ。結果――。


 突如飛来したそれが、何であるのか。一瞬判断が遅れた。


「試験官さん、下がって!」

「え?」


 俺は全身に魔力を流して身体能力を強化し、素早く踏み込んで女性試験官の前に立ち塞がる。抜き放ち防御の構えで固定した瞬間。とてつもない衝撃が、俺を襲った。ディクシズじいさんの打った剣でなかったら、剣ごと、その鋭い爪で切り裂かれていたかも知れない。


「ちょっと待った……。こいつは……」


 女性試験官も知識として知ってはいるようだ。


 突如飛来したものの正体。それは、本来であればこんなところまで流れてくるはずのないもの。種族名をグレーターデーモン。最前線においても厄介と言われる、魔王軍の中隊指揮官クラスの魔物だ。


「何でグレーターデーモンがこんなところに……」

「それを考えるのは今じゃない! 速く撤退を!」


 しかし、女性試験官はむしろ歯を食いしばり、眼光を鋭くして、持っていた槍を構えた。


「何を言ってるの! こんなやつが町の近くまで来てるんだ! この場で迎撃しないと、町が危ない!」


 思わず舌打ちをしてしまう。これだから下手な高ランク冒険者は困る。実力がある分、責任感やら、欲やらが出てきてしまうのだ。彼女の場合は責任感らしいが、そんなことはどうでもいい。初見でグレーターデーモンと戦うのは分が悪過ぎる。何故ならやつは――。


 俺が受けている衝撃が収まる前に、女性試験官がグレーターデーモンに突撃をかけてしまう。攻撃中の今ならば隙があると、長年の経験から予測したのだろう。しかし、最前線において「初見殺し」と名高いのがグレーターデーモンである。その残虐性が高いのはもちろんだが、厄介なのはやつが持っている能力だ。


「ダメだ! 踏み込むな!」


 必死に声を張り上げたが、相手を仕留める気になっている彼女を止めることは出来なかった。その先に待つ未来は一つ。


 瞬間。俺の目の前で真っ赤な血の花が咲いた。


 急に俺への攻撃をやめ、もう一方の腕を振り上げたグレーターデーモン。その爪が女性試験官の胸部を的確に貫いていたのだ。


 グレーターデーモンの持つ特殊能力。それは他者の思考を読む能力である。グレーターデーモンは女性試験官が踏み込んで来るタイミングも、繰り出される攻撃も、全てわかった上で的確に迎撃したのだ。『疾風』の二つ名が付くほどの素早さがあっても、思考を読まれてしまえばこの程度。これこそ、グレーターデーモンが初見殺しと呼ばれる所以ゆえんである。


 胸部を貫かれた女性試験官は既に命を落としているだろう。仮にまだ息があったとしても、助け出すだけの余裕はない。俺は素早くラキュルに指示を出す。


「全力で町の方に走れ!」


 俺の指示を受けて、ラキュルは迷うことなく走り出した。自分ではどうにも出来ないことを、その場で理解したからだろう。


 グレーターデーモンに殺気を向けつつ、俺はその場を動かない。グレーターデーモンはそんな俺の動向に引きつけられ、ラキュルを追うようなことはしなかった。もしグレーターデーモンが動きを見せるようなら、即座に魔剣に込められている魔法を発動するつもりでいたからだ。


 グレーターデーモンの基本的な攻略法方は、数人パーティーで取り囲みひっきりなしの攻撃で徹底的に動きを封じてから、広範囲魔法で一気に殲滅すると言うもの。問題は、いかにグレーターデーモンを一箇所に押し留めることが出来るかどうかにある。俺一人でも出来ないことはないが、その場合、この平原は一面焦土と化すだろう。それくらい、高威力で広範囲の魔法を連発する必要がある。


 ラキュルの気配が安全圏に入った辺りで、俺は魔法の詠唱を始めた。唱えているのは土系統の現代魔法――ロックフォールダウン。まずはグレーターデーモンの足場を崩す。そうなれば、アークデーモンは飛び上がらざるを得ない。そこですかさず雷系統の古代魔法――ライトニングループウォールで空中のグレーターデーモンを囲い込み、逃げ場をなくす。最後に星系統の神代魔法――エインシェントメテオフォールで平原ごと薙ぎ払えば仕舞いだ。もちろん、保険として魔剣に込められたドラゴニックバーンストームを放つ用意をしておく。


 女神の加護で与えられた超高速詠唱と無尽蔵とも言える魔力のおかげで、矢継ぎ早に魔法を連発出来る俺だからこそ可能な討伐方法。勇者様も言っていたが、確かにこの方法はあまりに危険である。最前線ならともかく、こんな町の側で使っていいような戦闘方法では決してない。緊急事態とは言え、この方法を取ってしまったことを俺はいた。


 封印術師であるラキュルが一緒にいることで、何か別の手段が合ったのではないか。もしラキュルの封印術がグレーターデーモンの能力を封じることが出来るのなら、俺の身体能力と合わせて、より少ない被害でこの場を納めることが出来ただろう。俺はもう少し、封印術との付き合い方を見つめ直すべきなのかも知れない。


 エインシェントメテオフォールで焼け野原となった平原を歩き、グレーターデーモンがいた辺りを目指す。すると、そこには死にていのグレーターデーモンの半身が転がっていた。


「少しでも被害を減らすために魔力を抑えたのが原因だろうけど、まさかあの魔法を受けて生きているとは思わなかった」


 グレーターデーモンは最後に何かを言おうとしているようだったが、その前に、俺は持っていた魔剣でとどめを刺す。心臓を貫かれたグレーターデーモンは、静かに事切れた。


 女性試験官の遺体は、先ほどの魔法で蒸発してしまっただろう。遺品の一つでも回収出来ればよかったのだが、あの場ではこの方法以外に思いつかなかったのだから、今更後悔したところで遅い。


 俺はグレーターデーモンの遺体を抱え、町に戻ることにする。グレーターデーモン出現の報告になるのはもちろんのこと、グレーターデーモンは各部は素材としても有能なのだ。


 先に町に戻っていたラキュルと合流し、ギルドへと直行。昇格試験失敗の件に加え、グレーターデーモンの出現と討伐、女性試験官の死亡を報告して、宿屋へと帰還。俺は食事をする気にならなかったので、ラキュルには食事を取るように伝え、部屋に閉じこもった。


「俺がもっとしっかりしていれば……」


 死んでしまった女性試験官の顔を思い浮かべる。お互いまだ名乗ってもいなかったし、付き合いは浅かったとは言え、ともに肩をならべて歩いた身だ。そんな相手の死ともなれば、多少の感傷にも浸ると言うもの。俺はため息をつきつつ、最前線に思いを馳せた。


 やはり俺の居場所はこんな平穏な町ではなく、鮮血にまみれた最前線なのかも知れない。封印術という新しい要素を得た今だからこそ出来ることが、もしかしたらあるのではないか。今のラキュルの戦力では、最前線に連れて行くというのはリスクが高いものの、その道も視野に入れておくべきだろう。何も勇者一人に世界の命運を任せなければならない訳ではないのだから。


 そんな風に考えながら、俺はベッドに横になって目を閉じた。

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