第二話 不思議な紋様

 里にあったどの文献にも載っていない、未知の紋様。何かの魔法陣のようにも見えるが、その形に全く心当たりがない。


「何だ、これ」


 仮に魔法陣であれば魔力を流し込む注ぎ口に当たる部分があるはずなのだが、それらしいものは見当たらなかった。試しに魔力を込めた右手で触れてみたが、何が起こる訳でもない。この紋様のそばだけ木の葉が落ちていないので、恐らく描かれてからまだそう時間が経っていないのだろう。


「子どもの落書き……にしては本格的だよな」


 どう見ても、何かの法則に則って記されているように思えてならない。俺の知らない未知の法則で記された紋様。何とも知的好奇心がくすぐられるではないか。


 俺は手帳を取り出して、その紋様を書き写す。もしこれが魔法陣の一種であるのならば、書き写している途中で何かしらの魔力の流れが見えてきそうなものだが、やはりと言うべきか、最後まで書き写しても何も感じられなかった。


「防衛用の結界って訳でもないだろうし、ギルドで訊けば何か情報が得られるかな」


 専門職である俺よりも詳しい人物がそうホイホイといるとは思えないが、世界は広い。もしかしたら、たまたまそういった人物と鉢合わせる可能性もゼロではないだろう。


 念のため周辺の様子も確認。しかし、地面に紋様が描かれている以外は、特に人間が残した痕跡らしきものは見当たらない。ともすれば入念に痕跡を消したとも捉えられるが、これはあくまで推測。正体がわからない以上、これ以上下手に手を加える訳にも行かないし、とりあえず今は放置するしかないだろう。気にはなったが、俺は近くの木に目印を残すだけに留め、その場を後にした。


 とりあえず月華草の採集地を訪れ、つぼみの状態をチェック。この分ならば今夜にも咲くだろうと当りをつけて、町へと引き返す。帰りがけにルートをいくつか確保していたら、町に付く頃には日が暮れかけていた。


 念のためギルドへと立ち寄って、例の紋様のことを確認する。


「はて、そのような紋様の存在はこれまでに報告がありません。私も見たことがない紋様ですが……」


 どうやらギルド側も、この紋様の存在を認識していなかったようだ。


「念のため、写しを取らせていただいてもよろしいでしょうか。専門家の意見を聞きたいので」

「あ、はい」


 一応俺もその筋の専門家と言ってもいいくらいなのだが、冒険者ギルドならばいくらでも伝手つてはあるだろうし、中には俺よりも詳しい人間がいるかも知れない。


「よかったら俺が写しましょうか。これでも一応魔法職なので」

「そういうことならお願いしてもよろしいでしょうか。私のような素人が描くよりはずっといいでしょうし」


 そういう訳で、受付嬢が出してきた紙に、もう一度先ほどの紋様を写す。何度描いてみても不思議な紋様だ。何か意味のある構造なのだろうが、それが意味するところがまるでわからない。


 写し終えた紙を受付嬢に渡し、一度食事をしに宿屋へと戻ることにした俺。宿屋飯も旅の醍醐味の一つだ。しばらくはこの町に留まることになるだろうし、食事の質は重要である。商業都市と言うだけあって交易が盛んなので、各地から新鮮な食材は集まるだろうが、大事なのはやはり料理人の腕。あまり食事の質が悪いようであれば宿屋を変えることもさない。


 と身構えてはいたものの、出てきた食事はどれも美味く、満足に足るものだった。これならば長期の滞在も安心である。部屋に戻って一心地ついてから、俺は出立の準備を整えた。


 昼の間に下見をしておいたルートを通って月華草の採集地を目指す。背負ったかごが少々邪魔くさいが、これは今回の依頼を達成するのに必要不可欠な道具だ。比較的障害物が少なく歩きやすかった一番最初のルートを通って向かうことしばし。例の紋様がある場所までやって来た。


「あれ?」


 すぐに気付く。紋様がわずかにだが光を放っていた。つまり、何かしらの力を行使している途中と言うことだ。仕事の途中だと言うのにどうしてもそれが気にかかって、つい寄り道をしてしまう。


 その場に片膝をつき、改めて紋様に目を向けた。赤い光を放っている以外には昼間と特に変ったことはない。明らかに何かの魔法式が発動している様子なのに、それでも何の力も感じなかった。


「こんなことってあるか?」


 これが魔法陣であるのなら、こんなことは通常ではありえない。つまり、これは魔法陣ではなく、全く別のことわりによって構成された力であるということになる。とするのなら、一体どういう効果を持った紋様なのかが、ますます気にかかるところだ。


「これ自体が力を放っていないってことは、何かを抑制するものか?」


 そう当りをつけて、自分に何か拘束系の魔法などがかかっていないかどうかを確認する。


「あれ?」


 拘束されていると言うよりは、むしろ身体からだが軽いくらいだ。これはもしかすると、俺が普段身体を鍛えるために自らかけている拘束系の魔法が打ち消されているのかも知れない。


「てことは、この紋様の力はデスペルの類なのか?」


 デスペル系の魔法であるのなら、それらしい魔力の流れがあるはず。しかしこの紋様からはそれらしい魔力の流れは感じられない。やはり、俺にとっては未知の力であるようだ。


「けど、こんな誰もいないところで力を使ってどうするんだ?」


 一番不可解なのはそこである。少なくとも、今この周辺にいるのは俺一人。誰かを対象として固定型の魔法を設置していると言うのなら、どれだけの星の巡りを考慮しているのだろう。魔法をかけたい対象がこの場にいる可能性など、ほぼないに等しい。それがデスペルの類ならば尚更だ。


 しかしどれだけ熟慮を重ねても、それはあくまで俺の知識の範囲内での話。この未知の紋様の前では無力であると認めざるを得ない。これ以上時間をかけたところで、依頼達成の妨げになるばかりで、利にはならないだろう。


「この件もギルドに報告しておくか」


 そういう訳で、俺はその場を離れ、月華草の採集地へと歩みを進める。目的地に到着する頃には、月がちょうど高く昇っており、その下に咲く月華草を淡く照らし出していた。


「こりゃ~絶景だな」


 木々の隙間から差し込む月の光に呼応するように輝く月華草の花。薄暗い夜の森の中にあっても、そこだけは明かりなしでも大丈夫だと思えるくらいの光で溢れている。出来ることならば、この光景を切り取って、絵として残しておきたいくらいだ。


 と、感慨に耽ってばかりもいられない。俺の目的はあくまで月華草の採取。この光景を崩してしまうのはしのびないが、もちろん全部の花を摘み取ってしまう訳ではない。俺は出来るだけ花を踏み荒らさないよう気を付けながら、特に常態のいい花を見繕って採集して行く。


 無言で花を摘んで行くことしばし。かごが八分目辺りまで埋ったところで、俺は採集を終了することにした。


「まぁ、こんなもんかな」


 採り過ぎてしまえば今後の月華草の繁殖の妨げになるだろうし、これだけあれば数日の寝食を賄うくらいの稼ぎにはなるはず。もちろん贅沢は出来ないものの、それでも環境に配慮すると言うのは重要なことである。


 花を積んだかご全体に、氷結魔法を応用である保冷の魔法をかけた。これで花がしおれない程度の水分と、鮮度を保つための冷気が確保出来る。数多の魔物を屠ってきた魔法をこんな風に使う時が来ようとは思っても見なかったが、これはこれで立派な魔法の使い道だ。


「よし、帰るか」


 俺はかごを背負って、立ち上がる。背中側がいくらか冷たいが、我慢できないほどでもない。あまり長時間背負っていて凍傷になってもつまらないので、ここはさっさと森を出ることにしよう。


 念のため、先ほどの紋様からは離れたルートで森の出口に向かうことに。仮にあの紋様がデスペル系の効果を持っていた場合、せっかくかけた保冷の魔法を打ち消されかねないからだ。効果範囲がわからない以上、気をつけるに越したことはないだろう。若干距離は長くなってしまうが、それでも安全を重視して森を進み、やがて出口へと至る。すると、町の方が何やら騒がしいことに気がついた。


「何かあったのか?」


 町中の明かりが灯されているのか、壁の縁から明かりがもれて見える。出かける時はそんなことはなかったので、やはり俺が外出している間に何か起こったと考えるのがよいだろう。


「とりあえず早く帰るか」


 俺は足早に町に向かった。この時、妙に足が軽く感じたことに気付かなかったのは、先の紋様の一件があったからだろう。この時点で気がついていれば、あるいは町の被害を少なくすることが出来たかも知れない。後悔と言うものが先に立たないとわかってはいるものの、それでも後になってみれば気付く機会はいくらでもあったのだ。


 ともあれ、この時の俺は何も知らないまま、町に帰ることしか出来なかった。

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