第2話 花と庭




 朝の挨拶を交わしたグレンは、硬い印象の軍服を身につける軍人としては、中々に似合わないがものを持っていた。


「花?」


 全体的には白の花びらに、ピンク色の線が一筋滲んだ大輪の花の束――を刺した花瓶を持っていた。

 他の護衛が持とうものなら似合わないが、柔らかな雰囲気のグレンには、むしろ似合いさえするのは相変わらずのようだ。

 首を傾げると、グレンはまさに置こうとしていたのか、棚の上に花瓶を置いて花の位置をいじって手早く見映えを調整してから、リディアに向き直った。


「早朝庭師が頃合いとかで、会ったついでにもらっておきました」


 そういうことであるらしい。

 今年も王都にも少しだけ積もった雪が溶け、新緑が地から頭を出すにつれて、気温も寒い凍えるようなものから、暖かく。

 すっかり春になったこの頃、王宮の庭には淡い花や目に鮮やかな花が咲き頃を迎えているはずだ。


 庭師が育てた見事な花は、早くも部屋に華やかな空気と心なしか香りも与えてくれているようだった。


「陛下、まだ庭は見られていないんじゃないですか?」

「うん」


 うん、と返事をしてからまた口調が戻ってしまったと思う。どうも何気なくグレンと言葉を交わすと、必ずと言っていいほどに、子どものときの口調に戻ってしまうときがあるのだ。

 言い直すべきかどうか迷って、どうせいつもだって最低限にしか取り繕えていないのでまあいいと開き直ったリディアは、確かに春満開の風景だろう庭に出ていないし見ていないと気がつく。


「近い内に出ますか?」

「でも、出られる時間を作れそうにないわ」


 リディアは頷きたいのは山々だったけれど、小さく首を横に振る。


 王になり、リディアは徐々にではあるがその仕事をするようになってきていた。

 例えば、参加してもいまいちまだ話についていけない会議への参加。

 国とはいつでも何らかの難題を抱え続けている。ゆえに毎日解決策を検討しなければならない問題は尽きない。

 その最終的な判断は王であるリディアに委ねられることがしばしばなのだが、上手く話について行くことが出来ないリディアには難しいことで、宰相やその他の臣下に委ねっぱなしの状態だった。

 他にも、サイン待ちの書類は、まだまだ勉強続きで授業を受けている間に、同じく尽きるどころか増える。


 自由になる時間が格段に少なくなったのは明らかだった。

 はじめて王宮に連れて来られ、初歩の初歩から教養を身につけていたときとは比べ物にならない。というよりも、習得できていないが必要な知識が膨大にあるのに、そこに「仕事」が入ってきたので圧迫されているのだ。

 だからといっていつまでも待ってもらうわけにはいかず……。


 授業を受け、足りない知識を補うために頭に詰め込む。会議で、難しい国の間の問題などを耳に入れてはああだこうだと目の前で飛び交う議論を見守り、最後には結局委ねる。そして執務室に行くと、ひたすら机に向かう。

 気がつかない内に春になっているはずだ、と花瓶に活けられた花を眺めながら思っていると、


「そうでしたね……」


 呟きに近い声と同時に、視界の端に映っている花に指が触れた。リディアが伸ばしたのではなく、軍服の袖が映った。

 茎に触れて再度の位置調整をしているらしい指の主を見上げると、グレンは花から手を離してリディアに顔を向けた。


「テラスからも庭は見られますから。それだけでもいい息抜きになると思いますよ」


 柔らかな笑顔でそう言われるから、


「そうね」


 リディアも笑顔でそう返した。

 それくらいの時間はあるはずだ。外に散策しに行くわけではないのだから。


「どこからが一番よく見えるの?」

「そうですね。中庭だと……」


 中庭であればここからなどと、何気なく尋ねたことに返される答えに耳を傾けてながら、通りすがり……会議から戻ってくる途中にでも見られるのではないだろうかと思いつく。


 そんな、いつになるかは分からないけど、普段にない予定が出来ただけで何だか嬉しい気がしながらグレンにお礼を言っておくと、彼は「陛下に見ていただいた方が嬉しいに決まっていますから」と言った。


「失礼致します」


 どことなくくぐもった声で入ってきたのは、似合わないくらい鼻を赤くした宰相だった。せっかくの生まれもった顔が台無しである。


 リディアに近づいてくる宰相は、位置としてはリディアとグレンの間にある花を見た瞬間、綺麗な水色の瞳に絶望を過らせた、気がした。そんな雰囲気が漂った。


「おはよう、ユリシウス。大丈夫なの?」

「おはようございます陛下。……この時期を乗り越えれば戻りますので……」


 言った瞬間耐えきれず鼻をすすった宰相は、花粉症らしく、春が来たことを表すために王宮中に花が飾られるこの季節が毎年辛そうだ。

 白目の部分も、泣いたあとみたいにうっすら赤い。


「……頑張って」


 しかしリディアはこう言う他ない。

 経験したことがないリディアからすれば、初めてこの状態の宰相を見たときには風邪か熱かとも思ったもので、今でも苦労しているところを見ていると端からではそんな感じだ。

 風邪すら滅多に引かない、病気にかかった記憶が随分ない方からすると、毎年毎年体調を崩さずともくる変調が気の毒以外の何物でもない。


 ユリシウスが出入りする部屋に花を置かないであげた方がいいのだろうか、と毎年ちょっとは考えることを考える。

 まあ一度何年前だかに提案したことがあったけれど「いえお気になさらず。王宮の伝統を損なうまでのものでもないので――ックシュ……失礼致しました……」と例の様子で固辞された。


 確かに歩けば花がある光景は目に楽しく、本当に至るところに花が飾られているため、その量の多さにどこから出てきたのかと思うほど――実際には庭師が育て準備している――で感嘆するばかり。

 だが、「犠牲者」を出してまですることだろうかと思わないでもないのだ。これでは外にも中にも逃げ場がないではないか。


「ふふ……乗り越えて見せます」


 宰相は普段は見られない目つきで言ったので、今年こそ重症なのではないかと心配極まりない。


「それよりも会議に向かいましょう、陛下」

「ええ」


 会議を行う部屋にも花が飾られるのだったろうか。これから先どこもかしこも花に満ちる王宮なので、些か記憶が定かではない。

 宰相に促されて扉へ向かう途中でふと後ろを見ると、後からついてきている姿が見えて、それに気がついた当人に微笑みを向けられる。


 またやってしたった、とリディアは思う。

 一年前、グレンが戻って来た当初に出来た癖だ。後ろにいるのは本当に彼だろうか、現実だろうかと確かめていた癖が、まだ残っているようだ。

 大丈夫、側にいる。

 今日も何気ないことかもしれないそれが、何気ないということ自体が嬉しくて、リディアは前を向いた。






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