第3話 旅立ちの日3
「う……」
目が覚めると、辺りは既に夕暮れ時になっていた。どうやら自分は、かなりの時間気を失っていたらしい。
起きあがろうと地面に手をつくと、ベチョッとした感触が手先に走る。気がついた直後だからか、まだ意識が朦朧としているため、この感触がなんなのか分からない。
そして、だんだん意識がはっきりとしてきたレンガは、その感触の正体に気づき、目を見開いた。
血だ。
それも生暖かい血。よく見ると、辺りには夥しい量の血が撒き散らされていた。
自分の体を見ても、出血どころか傷ひとつ見当たらなかった。だとするなら、この血は一体誰のものなのか。それは目の前の光景が物語っていた。
無数の剣が背中に刺さり、膝をついたまま動かなくなったリュウガの見るも無惨な姿がそこにはあった。
「おや、じ?」
自分は一体何を目にしている?
変わり果てた父の姿に、至高が追い付かない。何故こんな姿になっている? なぜこれほど血が流れている? 様々な思考が濁流となって押し寄せてきた。
するとリュウガの指先がピクッ、とわずかに動いた。それを見て思考を取り戻したレンガは、一目散に駆け寄った。
「親父!おい親父!!しっかりしろ!おい!!」
「……うぅ……レン、ガ……」
まだ意識がある! ホッ、と胸をなでおろしたレンガ。しかしこれほどの量の血を流していて無事なわけはなく、すぐさま手当の為家に連れて帰ろうとしたが、腕を掴まれ動きを止められてしまう。
リュウガの握る手には、もう嘗ての力強さはほとんど残っていなかった。しかしそれでも離すまいと、必死につかんでいる。
「おい、何やってんだ!早く治療を……」
催促するレンガに、首を横に振って答える。
それだけで、リュウガが何を言いたいのか察した、察してしまった。
だんだん鼓動が早くなるのが分かる。いやまだだ! まだ助かる! 親父がこんなことで死ぬはずがない!
そう自分に言い聞かせながら、リュウガの腕を肩に回し、ゆっくりと起き上がらせた。
もうほとんど体温が残っていない。早く治療をしなければ。するとリュウガがか細い声でレンガに話しかけてきた。
「レン、ガ……俺はもう……間に合わ、ねぇ……だから……」
「うるせぇ!! 黙って俺に担がれてろ!!」
分かっている。こんなことは無駄だと。だが、諦めたくなかった。もしここで歩みを止めてしまったら、認めてしまうことになる。
レンガは意地でも連れて帰るぞ! と、歩を進めた。しかし地面の小石に足を躓いてしまう。リュウガ程ではないが、レンガ自身も、先の戦闘でかなりの体力を消耗していた。レンガは今になって、ようやく自身の体の不調に気が付いたのだった。
「くそっ、なんだ? 身体に、力が入らねぇ……」
何とか起き上がるも、そこから先はいくら足に力を籠めようとも、震えるだけで、地に足を立てることすらできなかった。
そんなレンガに、今にも事切れそうなリュウガの力無い声が聞こえた。
「天使の、力の影響、だ……」
「なに、いって……っ!!」
朧げだが思い出した。
主観だが、何か巨大な、炎を纏った怪物が騎士と対峙していた映像が頭の中に流れる。本能のままに力を振るって、この島を吹き飛ばそうとしたこと。その際親父に怪我をさせたこと。諸々の記憶が鮮明になってきた。
「俺の、せいで……親父が……」
深い絶望がレンガを襲った。
あの時自分が暴走などしなければ、気絶などしなければ、こんなことにならずに済んだはずだ。
ドロドロとした負の感情が、レンガを覆っていく。しかし、
コツン、と
リュウガの非力な拳骨がレンガの額を突いた。
「馬鹿野郎……自惚れん、な」
「親父……っ! でもっ!!」
今にも泣きだしそうなレンガの顔を見て、弱々しくも屈託のない笑顔で、自身に抱き寄せるリュウガ。
「気絶した息子をほっぽって逃げる親父が、何処にいるよ」
「っっ!!!」
その言葉に耐えられなくなったレンガは涙を流す。
溢れる嗚咽を必死に抑え、静かに、顔を見せないように涙を大地にこぼす。
相も変わらず人に涙を見せない奴だ、とリュウガは微笑んだ。こいつが泣き顔を晒したのは、木から落ちて腕を折ったあの日だけ。それからレンガは意地でも泣いている姿を見せなくなった。二度と自分を困らせないために。
「いつ以来だっけな……お前が、泣いてるのを見る、のは……」
だんだん目の前に靄がかかってきた。どうやらそろそろ、お迎えの時間が来たようだ。
だが、まだだ。まだ逝くわけにはいかない。
閉じそうになる瞼を必死にこらえ、最後の力を振り絞って声を出した。
「レンガ……今から言うことを……よく覚えておけ」
「っ……あぁ」
「あの騎士は……恐らく、アスラと同じ……天使の力を持っている」
「っ!!」
だが、と付け加える。
「何かが違う……あいつとは……決定的に……何かが……がはっ!」
「親父っ!!」
剣が何本も内臓に刺さった状態で喋り続けたからか、こみ上げてきた血を吐き出してしまう。しかし、リュウガは気にすることなく話を続けた。
「あいつとはいずれ……大陸の、何処かで……まみえることになる。だが、復讐なんて考えるな。……そんなものじゃ……あいつは、倒せねぇ。」
「分かった、分かったから……もう喋るんじゃねぇっ……」
「レンガ……お前はこれから、沢山辛い思いを、するだろう。……だがな、その後には必ず……幸せが待ってるもんだ。だから……前を向いて、生きろ」
もう碌に前も見えない目で、しっかりとレンガを見つめる。
その言葉に未だ流れる涙をぬぐい「……あぁ!」と答えた。この先何があろうとも生き抜く! 短く発した言葉には、そんな強い意志が感じ取れた。
レンガの返事に微笑みで返す。
「決めたぜ。俺は大陸に行く!俺は馬鹿だからよ、この先何が起こるかなんて分かんねぇ。……でも!親父の言う通り『前を向いて』生きてやる! 生きて生きて、生き抜いてやる! だから親父も……」
そう言って振り向いたときには、既にリュウガは事切れていた。力無くレンガにもたれかかる、しかし最後まで、その笑みを崩すことはなかった。
「言いたいことだけ言って逝きやがって……」
旅立った父を思いっきり抱きしめ、空へ向かって慟哭した。ありったけを吐き出した。もう誰も見ている者などいないのだから。
辺りは既に暗くなり、満天の夜空と月が輝いていた。
レンガは今、父を弔うため海岸に来ていた。昔、自分がまだ生まれて間もないころ、母は自分を抱いてよくここに来ていたそうだ。
親父とお袋、そして赤子だった自分。三人でこの空を眺めていたと、親父から聞いたことがある。だが、そのころを知っている親父も、もういない。
頭から足先まで白い布で覆ったリュウガの遺体を、木の枝や枯草で盛られた場所に優しく置いた。そして事前に持ってきた松明で火をつける。
枯草を種火に、火はゴウゴウと燃え盛り、あっという間にリュウガの遺体を燃やし始めた。
煙が天高く昇っていく。あの煙は死者が天に向かって歩いていくための道なんだと、親父が言っていた。自分がこうして上を向いている間に、親父はこの道を通って天国に向かって行っているんだろうか?天使が住まうという、天国に。
「……ハッ、その天使に殺されたんじゃ、笑い話にもならねぇな」
仮に、もし天国と言う場所があって、天使がいたとしたら、『神』なんてものもいるんだろうか? もし神様がいたとしたら、親父は今頃なんて言われてるんだろう。
『お前を手違いで殺してしまった』なんて言われたら、天国で暴動でも起こすかもしれない。
あの親父だ、その可能性は十分にある。
そんなリュウガを想像したレンガは、思わず失笑してしまう。
夕刻にありったけの涙と悲しみを出し切って、今の自分は不思議と冷静だった。その証拠に、レンガの目元はひどく赤くなっている。
「親父はアイツが『天使の力を持ってる』って言ってたよな」
昼間の光景が目に浮かぶ。
「復讐はしねぇ……けど、仇は必ず取ってやる! そのためにはもっと力をつけなきゃなんねぇな……」
自分の中にある天使の力。なにも知らず育ってきたから制御のやり方も分からない。当面の問題はこれだな。
レンガなりに頭を捻り、今後の課題を決めた。もう二度と、後悔しないためにも……。
そうしてリュウガを見送ったレンガは、満月で照らされた夜道を一人で歩き、帰路についたのだった。
夜が明け、朝日が昇り始めた時刻。レンガは今海辺に来ていた。
家に貯蔵していた全ての食料と酒を詰め込んだ大袋を、海辺に取り付けてあった小舟に積み込んでいる。
粗方船出の準備が終わったレンガは、リュウガに託され、首から下げていた紅蓮色の石を見つめる。
結局この石のことは分からず終いになってしまった。
唯一分かっているのは、お袋が大陸の何処かで自分を待っていると言う事だけ。
「大陸にて待つ……か。欠片ってのも気になるが、お袋も曖昧な書置きを残したもんだぜ」
そう言って小舟を取り付けていた縄を切り離し、海原へ出る。
運良く波の勢いが早かったため、島からどんどん離れていくのを、レンガは黙って見届けていた。
全てが終わったら、またここに帰って来よう。そう心に誓い、レンガは赤い羽織をバサッと身に付ける。
昨晩家に帰り、大陸へ渡る準備をしていると、壁に懸けられた羽織が目に入った。
レンガはせめて、この羽織をリュウガの形見にしようと身に付ける事にしたのだ。
「親父が見たら、『女々しいぞ』って馬鹿にされんだろうが……これが、俺なりの親孝行だ」
空を見上げ、見ているかもわからないリュウガにそう伝える。
「……さて、行くか!!」
帆を張り、船の速度を上げる。
地平線の向こう側に、薄っすらと目的の場所が見えてきた。
戦乱はびこる大地、『アングラム大陸』 レンガの壮大な旅路が今、幕を開けたのだった。
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