第1章 第1話 旅立ちの日1

カンッ、カンッ、カンッ


 地図にも載らない小島、町はおろか村すらないその島に二つの人影がある、一人は黒髪黒目でガタイがよく筋骨隆々の赤い羽織りを着た四十代と思われる男、もう一人は二十代同じく黒髪で細身だがしっかりと筋肉がついた青年。

 二人は今稽古の真っ最中、ガタイのいい男は木剣を、青年は木槍を持ち互いに打ち合っていた。


「どうしたレンガそんなもんか?」

「うるせぇ!親父こそどうした、息が乱れてるぜ?手加減でもしてやろうか?」

「はっ!昨日まで小便漏らしてたガキが生意気言うじゃねぇか?なんだったらこの後漏らしてねぇか見てやろうか?」

「切り殺されてぇのかクソ親父!!」


 罵り合いながら打ち合うという器用なことを平然とやっている二人。

 そして打ち合いに区切りをつけるためお互い距離をとる。

 再び撃ち合いを始めようとするも父リュウガが待ったをかける。


「今日はここまでだ。朝からぶっ通しだったからな、帰って飯にしようぜ?」

「ふぅ、そうしよう。しかしこの実践形式の修行もいい加減飽きてきたなぁ、かれこれ十五年くらいほぼ毎日やってると思うぞ」

「馬鹿!これもお前がいつか戦乱渦巻く大陸で生きていくためにやってることだ。」


 そんなこと言われても、この島を出る意味も理由もないのだから仕方のない話である。


「前から言ってるだろ?俺はこの島が気に入ってるんだ、当分出ていきゃしねぇよ」

「はぁ。たく、お前ってやつは…。あぁあ、これじゃいつ孫の顔を見れることやら」


 余計なお世話だ!、と叫ぶレンガ。


 そうこうしている間に辺りはすっかり夕暮れになり、二人は修業を終え帰路に就くのであった。




 うっそうと茂る森の中、そこに小さな小屋があった。

 二人は長いことこの小屋に住んでいる、しかし不自由はしたことがない、なんせ野郎二人、雨風凌げて飯が食えればそれでいいのだ。


「なぁレンガ、食糧庫にあった鹿肉知らねぇか?」


 特大の租借音を立てながら「旨かったぞ」と答えるレンガ。


「やっぱりテメェかぁ!!…て、二人しかいないから当然か」


 むしろ他に誰を疑っていたんだ?、と心の中で突っ込みを入れる。

 するとリュウガは、テーブルに頭からガクリと倒れ、猛烈に深い溜息を吐いた。


「あれはなぁ…俺が大事に熟成させてた、晩酌用の肉だったんだぞ?」

「だから言ったろ?旨かったって」

「味の感想を聞いてるんじゃねぇ!!畜生!!もう自棄、今日は浴びるほど飲んでやるぅ!!」


 リュウガはそう言って、樽の蓋を剥がすとそのままガブガブと酒を呷り始めた。




 どれほど飲んだだろうか、リュウガの足元には酒樽や酒瓶などがいくつも転がっている。

 しかし当の本人はと言うと、やっと顔が赤らみ始めてきたくらいだ。これほどの量をつまみもなしに飲み切るわが父の肝臓は、いったいどのような構造をしているのか気になる。


 いや、やはりどうでもいい。


「おいレンガ、お前本当に大陸にわたる気はないのか?」




 また始まった。始まってしまった。

 目の前にいるほろ酔い男は、普段から俺に「大陸に渡れ」と、言っては来るが、一度拒否すると暫くその話題は暫くしてこなくなるから、まだマシだ。

 然しちょっとでも酔いが回ってしまうと、眠りにつくまでこの話題を続けてくるから非常にウザったい。こうなってしまっては仕方がないと、レンガはその話題に渋々付き合うことにした。


「いつも言ってるだろ?俺はここにいる。もし俺が出て行ったら、親父が歳喰って足腰立たねぇよぼよぼの爺になった時面倒見る奴が居ねぇだろ?」

「はんっ!そんなこと考える暇があるんだったら、さっさと嫁貰ってガキを沢山こさえろってんだ!」

「嫁なぁ…そういや親父ってお袋とどうやって出会ったんだ?」


 正直な話、母親の事は何も覚えていなかった。


 昔一度だけリュウガから母親の事を聞いたが、あったこともない母親の話をされても頭に入ってこなかった。家族とは父と子、それがレンガにとっての常識だった。

 仮に今ここで「私があなたの母親よ!」と言う者が出てきても、恐らく自分は戸惑いこそすれ、感動の再会にはならない。


 それだけレンガにとって、〝母親〟という存在は曖昧なものであった。




「〝アスラ〟との出会いか、お前もなかなか知りたがり屋なんだな」

「気になっただけだ…それで?お袋と出会った切っ掛けは何だったんだ?」

「うーん、どうしようかなぁ、教えようかなぁ、いや~だ!やっぱり恥ずかしくて言えな~い!」

「気持ち悪いんだよ!!あぁ、聞いた俺が馬鹿だった」


 話を終え食事を再開する。

 しかしリュウガは一つだけ、母との出会いの経緯を教えてくれた。


「アイツと出会ったのは他でもない、この島だ」

「嘘だろ?地図にも乗らないこのへんぴな島でか?」


 こんな島に訪れるとは、どうやら俺のお袋は相当な変わり者らしい。


「勘違いすんなよ?アスラがこの島に居て、俺がこの島に来たんだ」


 それは初耳だった。


「まじか、てっきり親父はこの島に住む原住民の生き残りかなんかと思ってたぜ」

「……オッホン!まぁ俺はこの島になんやかんやあって来て、島に住んでたお前の母親と恋に落ちて、お前が生まれたってわけだ」

「ふーん」

「いいか?本来お前はこの父リュウガと母アスラにもっと敬いの心を持たなきゃならんのだ、よって今後はもう少し俺に対して敬意をもって…」

「ご馳走さーん」


 リュウガが話に夢中になっている間に、自分の分の夕飯を食べ終えたレンガは、食器を洗い場に持って行っていった後、布団で眠りにつくのであった。


 一人取り残され、その場に寂し気な空気が流れる。


「はぁ、本当に俺の種で出来ているのか不安になってきたぜ…」


 酒の入ったグラスを置き、リュウガは自身の首から下げている石・を見つめてポツリと呟いた。


「でも、それでも俺たちの息子は立派に育ったよ、アスラ」


 かなり酔いが回っているのか、首に下げた赤い石をいじりながら独り言を続ける。


「『重大な使命がある』そう言ってお前は、まだ赤ん坊だったあいつを置いてどこかに行ってしまった。それがいったい何なのか、俺には分からん。ただ、お前が無事で帰って来てくれるならそれでいい。いつかまた、こうして酒を飲もう。今度は、レンガも加えてな」


 だが、と言葉を続ける。


「そのためには、なんとしてもあいつに旅立ってもらわにゃならん。……そろそろ頃合いか」


 リュウガは独り言を終えると、グラスに残った酒を一気に飲み干した。




 朝日が昇り始め夜空に光が滲みだした。


「おいレンガ起きろ」


 リュウガに足で揺さぶられたレンガは目をこすりながら起きる。レンガはいつもより早い時間に起きたため若干不機嫌気味に何だよと眠気の混じった声で言った。


「修行の時間だ。早く準備しろ」


 いつもと違う様子で催促してくるリュウガにキョトン、としながらもレンガは言われた通り準備を始める。




 場所は変わりいつもの修行場に来ていた二人。風が辺りに茂る森の木々の枝を揺らす。


「それで?こんな朝っぱらから修行だなんてどういうつもりだ親父…うおっと!!」


 言い切る前にリュウガは持ってきた二つの武器のうち槍をレンガに投げ渡した。突然のことに槍を落としそうになるレンガは文句を言おうとしたが渡された槍を見てその言葉は引っ込んだ。


「親父これ、本物の槍じゃねぇか!?」

「そうだ。今回は互いに本気まじでやる。今のお前の力がどの程度の物か図るには丁度いいだろ」

「でもまたなんで急に…っ!!!」


 突然レンガの眼前に肉厚な剣が迫る。咄嗟に槍を構え剣筋を逸らす。仕掛けてきた相手は他でもない、リュウガであった。


「親父てめぇ…いきなりどういうつもりだ?」

「ぼさっとすんな。集中しろ」

「何言って、ぐはっ!!」


 腹に強烈な蹴りを貰い吹き飛ばされる。「くそっ!」と悪態をつきながらも、空中に蹴り上げられたレンガは後転し体勢を立て直す。リュウガもこの程度で倒れるとは思っておらず追撃に懸かる。大地を蹴り一瞬でレンガとの距離を詰めると体を捻り回転の勢いを乗せた斬撃を放つ。レンガは難なく回転切りを槍でいなすとお見舞いとばかりに突きを放つもリュウガはそれを首を左に傾けるだけで躱して見せる。そして二人は互いに体制を整えるため距離をとる。


「そんな遅い槍がお前の全力か?」

「親父。いい加減教えろ。今回の修業はどういうつもりでやってんだ!」

「ずっと前から言ってるだろ。お前が戦乱渦巻く大陸で生き延びるためだ。これはその最終確認ってとこだな」


「だから俺は大陸になんか行かねぇって。そうしたら親父が…」

「いつまでも腑抜けたこと言ってんじゃねぇ!!」

「っ!?」


 リュウガの怒号にレンガは委縮する。


「男ならいつか一人で生きていかなきゃならねぇ時が来る。それをお前は俺がどうのと惨めったらしい理由をつけやがって。そんな野郎に育てるためにいままで修行を付けてきたわけじゃねぇぞ!!」


 その言葉に腹を立てたレンガはあぁそうかいと反論する。


「言わせておけば好き放題言いやがって。こっちは気を使って心配してやってんだぞ!!」

「いるかそんなもん!お前に心配してもらうほどヤワじゃねぇんだよ俺は!」


 二人は互いの距離を詰めるべく駆けだす。円環を描くように走る。先に攻めたのはレンガだ。下段から上段へと槍を振り上げる。しかしそれはリュウガにより完璧にいなされる。槍を背中に回しくるくると回転させながら持ち手を変えて畳みかけるもその全てを躱され、いなされ、弾かれる。


 功を焦ったレンガは思わず大ぶりな攻撃を仕掛けてしまう。それを狙っていたのか、リュウガは身を低くして回避する。その後足元ががら空きになったレンガの足を払い倒す。


「立てレンガ!お前が〝なよちん野郎〟じゃねぇってんなら、せめて俺から一本取って見ろ!」

「うるせぇ!!言われなくても、やってやるよぉ!!」


 体を捻り回し蹴りをしつつ立ち上がるレンガ。リュウガは後転で回避する。しかしレンガはソレを狙っていた。後転しきるリュウガに対し、槍を逆手に持ち替え力の限り投擲する。その行動は予測していなかったのか一瞬目を見開くリュウガ。

 飛んできた槍を剣で弾き再びレンガに向き合う。だがその先にレンガの姿は見当たらなかった。リュウガは冷静に辺りを警戒する。すると頭上で木の枝がかすれる音がして、上を見上げるとそこには拳を振り上げ今にも殴りかからんとするレンガが居た。


「もらったぁぁぁ!!」


 正面からは分が悪いと悟ったレンガは槍を投げた直後木の枝に跳躍し、一種タイミングをずらしてからの奇襲を行ったのだ。


 さすがの親父もこれは避けられない。


 これは完ぺきに決まった、そう確信した。だが、結果はレンガの想像道理にはならなかった。頭上から降ってきたレンガを見た瞬間、リュウガは即座に剣を手放し、振りかざしていたレンガの拳を握り背負い投げの要領でそのまま地面にたたきつけた。


「かはっ……!!?」


 レンガは落下の速度も相まって叩きつけられた衝撃で肺の中にあった空気が一気に抜け、ほんの数秒程呼吸困難に陥った。何とか立ち上がろうとするもリュウガに首元に剣を突き付けられ、そのまま決着がついた。


「どうだ?ここが戦場なら、もう死んでるぞ」

「はぁ、はぁ、クソっ…」


 息も絶え絶えなレンガに手を差し伸べるリュウガ。


「だが、最後のは悪くなかったぜ。流石俺とアスラの子だ」

「……」




 レンガは何も言わずに差し出された手を取る。




「なんだ、不貞腐れてんのか?」


「うるせぇ、そんなんじゃねぇ!…なんで俺を、そんなに島から出そうとするんだ。今まで親父はことあるごとに島を出ろって言ってきたがよ、その理由が分からねぇんだ」

「……そうだな、そろそろお前にも伝えとかなきゃなんねぇ頃合いだな」


 そう言ってリュウガは首から下げた紅蓮色の不思議な文字が刻まれた石を取り出し、徐にレンガに投げた。


「こいつをお前にやる」

「おぉっと!! いいのかよ?」


 常に肌身離さず持っていたからてっきり思い出の品かなんかと思ってた。


「なぁ親父、これは一体何なんだ?」

「お前、それになんて書いてあるか分かるか? 因みに俺はさっぱり分からん」

「は? だったら俺に分かるわけ……え?」


 読める。字の勉強なんてしたことないのに、こんな文字が読めるわけないだろう、と思った。だが不思議と文字の意味が分かる。


「『欠片を集めろ。大陸にて待つ』。どういう意味だ?」

「そうか…やっぱりか」


 さっぱり理解できていないレンガとは反対に、何かを理化したリュウガは決意を固め口を開く。


「それは、アスラがお前に書き残したものだ」

「っ!!…お袋が、俺に?」


 あぁ、とリュウガは頷く。


「レンガ、お前に伝えることがある」


 そして今後レンガの人生を大きく左右するであろう言葉を告げた。


「お前は只の人間じゃねぇ。天使と人との間に生まれた、『堕とし子』だ」

「…………あ?」

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