追いかけてはいけない

第十三話 原因はわかってる?

 ある日の午後、ランチタイムも落ち着いた二時半ころ。

 虹雨と由貴がいつものように喫茶店でバイトをしていると、60代の女性二人が店に入ってきた。


 彼女たちは入り口で一瞬戸惑ったように立ち止まったが、やがて一人の女性が虹雨を見つけ、軽く会釈をした。虹雨もそれに応じて会釈を返す。


「例の依頼人か?」

 と由貴が小声で尋ねる。


「ああ、一昨日、美帆子さんから相談したい人がいると聞いてた。時間通りだな」

 と虹雨が答える。


 事前に準備していた、店内の衝立で仕切られた角の席に、虹雨は二人を案内した。


「よろしくお願いします。私はこの子の付き添いで来ました」

 と一人が言った。その「この子」というのも同じ60代の女性で、二人とも似たようなグレイヘアーにTシャツ姿だった。


「近くのフィットネスクラブで知り合った友達です。私は杏子、こちらは翔子です」

 と自己紹介が始まる。


「よろしくお願いします。私たち、美帆子さんとフィットネス仲間なの」

 と翔子が続ける。


「そう、フィットネス仲間なんです」

 と二人はにこやかに笑いながら話す。その様子を見て、虹雨は美帆子が体力づくりのために女性専用のフィットネスクラブに通い始めたという話を思い出した。そこは高齢女性たちが生き生きと運動する場所だということだった。


 虹雨は彼女たちの明るい雰囲気に少し圧倒されつつも、にこやかに応じた。


「所長からお話は伺っています。どういったご相談ですか?」


 二人はまだ楽しそうに話を続けていたが、虹雨の言葉を受け、話を切り替えた。


「所長さんですって! 美帆子さん、本当にバリバリのキャリアウーマンね」

 と杏子が笑う。

「まるでモデルさんみたいで、スタイルも良くて……」


 そこで虹雨が軽く咳払いをすると、二人はようやく話を切り上げた。


「実は、翔子が最近少し困ったことに悩んでいて……」

 と杏子が話し始めた。

「先日、孫が見ていたネットの動画で虹雨さんのことを知って……」


「ありがとうございます。お孫さんはおいくつですか?」

 と虹雨が尋ねる。


「中学生と小学五年生です。翔子もようやく一人目の孫ができて、その話をしていたら美帆子さんがこのお店を紹介してくれたんです」と杏子が店内を見回しながら答える。


「美帆子さん、お仕事で忙しいのでしょうか?」


「ええ、今日は市役所に行っています」


「忙しいのに、あのスタイルを保っているなんて素晴らしいわ」

 と杏子が感心している。


 再び二人の会話が盛り上がり、虹雨はやれやれといった表情を見せた。彼は由貴に軽く合図を送り、コーヒーを運んでもらう。


「あら、サービスがいいのね。嬉しい」

 と杏子が喜び、翔子も頷く。


 虹雨は話がまた脱線しそうになる前に、話題を切り出した。


「それでは、改めてお話を伺います。変わったこととは、具体的にどのようなことが起きているのでしょうか?」


 翔子は杏子に視線を送りながら、口を開いた。

「実は……最近、私の家で奇妙なことが頻繁に起こるようになって……」

 彼女は話を続けた。


「夜になると、誰もいないはずの家で足音が聞こえたり、窓が勝手に開いたりするんです。最初は風や家鳴りだと思ってたんですけど……」

 翔子の話をじっと聞く虹雨。


「それは怖かったでしょうね。これまでに不思議な体験をされたことは?」

「いいえ、こんなことは初めてで……どうしたらいいのか、本当にわからなくて……」

 震える声で答える翔子。さっきの明るさは影を潜めていた。


 しかし虹雨は最初から気づいていた。翔子が現れた瞬間から、彼女の周りに黒いモヤが渦巻いているのを。


「安心してください。私たちがしっかり調査して、解決のために最善を尽くします」

 そう言った虹雨の前に、渚がロールケーキを持ってきた。


「こちら試作品ですが、どうぞ。本日のコーヒーと相性も良いですよ」

 と微笑んで去っていく渚に、杏子は嬉しそうにケーキを食べ始めたが、翔子は元気が無くなっている。その原因は明白だった。


 形を成したモヤが、翔子の首を後ろから絞めているのだ。


「最近、翔子ちゃんが元気をなくしていて……特に何をしたわけでもないんだけど、愚痴を聞いてあげるくらいかな」

 杏子はそう言いながら翔子を見た。虹雨は、遠くから見ていた由貴に軽く合図を送る。


「家族構成を教えていただけますか?」

 虹雨がメモを渡すと、翔子は「夫、自分」とだけ書いた。


「お二人でお暮らしなんですね。お子さんは? お孫さんがいると伺いましたが」

「息子が二人います。長男のところにようやく孫ができて、次男の方はまだ授かっていません」

 翔子はスマホを差し出し、そこには孫の写真がいくつか表示されていたが、家族全員の写真も一つあった。

 翔子、彼女の夫、そして40代の男性、赤ん坊、赤ん坊を抱く女性が写っている。


「長男の家族は近くに住んでいて……でも、お嫁さんとうまくいかなくて……」

 翔子が話すと、彼女の後ろのモヤがさらに動き出した。


「嫁の意識が低いというか、こっちが色々してあげないと何もやらないのよ。それに感謝もしないし……」

 翔子が不満を口にすると、モヤは女性の姿をはっきりと現し、虹雨は驚いた。その瞬間、モヤは消えたが、翔子はすっかり元気を取り戻したように見えた。


「今のは……生き霊ですね」

 虹雨が静かに言うと、翔子は驚いて声を上げた。


「生き霊?! 私が何をしたっていうの? まさか嫁の?!」

 虹雨は頷いた。


「そんなことないわ! 長男の嫁としての自覚が足りない……」

 翔子は興奮して話し続けた。


 時計を見た虹雨は、突然計算機を取り出して打ち込み始めた。その様子に、翔子と杏子は驚いて目を丸くした。


「……お時間です。初回の相談料はこちらになります。また、特別な除霊塩も。お風呂に入れたり、盛り塩に使ったりしてください。ただ、口に含まないようにご注意を」

「え、もう終わりですか?」

「一応、先ほどの生き霊は一時的に消しましたが、関係が続く限りまた取り憑きます。距離を置くか、何か対策を考えないと。もし再び問題が起きたら、またこちらにお越しください。まあ、イタチごっこになるかもしれませんが……」

 虹雨は冷静に説明したが、翔子は深くため息をついた。


「関係を持たないとかなによ。はぁ、あの嫁は何もできないからこっちからしてやってるんだから」

 翔子はため息をついて先ほど食べられなかったロールケーキを一口で食べた。


前に少し、ほんの少し時間を待つ、それだけでも変わりますからね。焦らないこと……それにつきます」

 すこし虹雨は先ほどより声が低くなった。


「いやよー、無理無理!」

 翔子はぶつぶつとまだ言う。

「恐れ入りますがー顧客カード作りたいのでお名前フルネームを」

「……わかったわぁ」

 と殴り書きしながら顧客カードに名前を書く。


 虹雨はその名前に確信した。


 目の前にいる翔子は先日義父母、夫からモラハラを受け相談に通っていた田々原亜美の姑である。

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