第二話 若き母の悩み
虹雨が相談所の部屋に入ると、先ほどの赤ん坊を抱えた女性が椅子に座っていた。目の下にはクマがあり、疲れきった表情だ。
虹雨は軽く挨拶をしながらジャケットの内ポケットから名刺を取り出し、女性に差し出した。名刺には
「廿原虹雨、除霊師・霊視相談」
と書かれている。
「ご相談に乗らせていただきます。廿原虹雨と申します」
女性は震える手で名刺を受け取り、視線を下げたまま、小さな声で
「よろしくお願いします……」
と返事をした。
「霊視、相談……?」
「あ、これは肩書きでありまして所長の助手です」
と話ながらも虹雨は彼女の周囲に漂う霊的なモヤを見つめながら、慎重に話を進めていくことにした。彼女の悩みがただの相談事ではなく、何か深い霊的な問題を孕んでいることを虹雨は感じ取っていた。
女性は戸惑いながらも名刺を無造作にカバンにしまった。
ちゃんとしまうということのできない様子から明らかな不安と恐怖が浮かんでいる。虹雨は彼女が感じているものを、ただの「不安」ではなく、何かもっと異常なものだと直感した。
事前にプロフィールと相談内容はメールで送られていたようで美帆子が虹雨に見せる。
女性は田ヶ原亜美。35歳。赤ん坊は八ヶ月の女の子であった。相談内容は家庭の悩み、としか書いていなかった。きっと入力する時間がなかったのであろう。前日の深夜の申し込みとあった。
美帆子は亜美に優しく声をかけた。
「何があったか、無理のない範囲で教えていただけますか?」
亜美は少し躊躇しながらも、美帆子の静かな眼差しに促されて口を開いた。
「夫が……結婚してから私にひどいことを言うようになりました。私が何をしても気に入らないみたいで……義父母も、私に対して厳しくて……結婚するまではこんなことなかったのに」
声が震え、涙が目に浮かぶ。市役所に相談はしたが個人の家族間のことは取り合ってくれないようだ。
どうすれば良いのかわからずネットの口コミで近場のここを見つけたらしい。他の場所は流石に赤ん坊を連れて出かけたりするには負担がかかったり、市の弁護士相談は夫のいる土曜日の午後のみだったりしたのだ。
美帆子は色々とこれからの段取りや連絡方法、対策を亜美に伝える。亜美は放心状態ながらも聞いている。
虹雨は周囲に漂う霊的なモヤがどんどん濃くなっていくのを感じた。
夫のモラハラや義父母の過干渉が、この女性の精神を蝕んでいるだけでなく、それが負のエネルギーを引き寄せ、低層霊をまとわりつかせているのだろう。
「まず、あなた自身の心の負担を軽くするためにできることを一緒に考えてみましょう。決して一人では抱え込まないでくださいね」
亜美は美帆子の言葉に少し安堵したように頷いたが、言葉と裏腹に完全に不安が消えたわけではないことが虹雨はわかる。
「すいません、僕からはお聞きしたいのは何かご家庭で変わったことは……ご家族が何をしたとか、そうでなくて家で過ごしている際になにか変なことはなかったですか?」
亜美は思い出しながらゆっくりと深呼吸をし、少しずつ話し始めた。
「……実は、家にいるとき、誰かに見られているような気がして……それに、夜になると、夫の部屋から奇妙な音が聞こえて……」
虹雨はさらに彼女の話に耳を傾けながら、モラハラや過干渉だけでなく、家そのものにも何か問題があることを感じ取った。そして、それが彼女にまとわりつく霊たちと関係しているかもしれないと考え始めた。
美帆子が虹雨を見た。虹雨は頷く。
「家にお伺いするのは難しいですよね……」
虹雨がそういうと亜美は青ざめた。
「だめです、もしこういうところで相談したとか……バレたらっ!!!」
と顔を歪めると亜美の周りのモヤがさらに大きく動いた。
「落ち着いて、亜美さん……大丈夫ですから」
と虹雨が亜美の後ろの方にいるモヤに向かって睨む。すると一部のモヤが消える。亜美は顔つきが変わり目がトロンとした。
「……お茶をどうぞ」
そこに下の階からやってきた由貴がやってきた。
「ありがとうございます」
彼女に飲ませたのは特殊な梅昆布茶。体内から除霊できるものだ。
亜美の周りからジワジワと霊が消えていく。
「……今日は、お話聞いていただきありがとうございました。また何かあったらお話しします」
と子供をあやしながら亜美は立つ。彼女の表情はとてもきた時よりから穏やかになった。
美帆子が下まで送っていく。その後ろ姿を虹雨と由貴は見ている。
「睨んだだけで消えるなんて低層霊か……彼女の環境と気持ちが変わらないとまた持ち込んでくるだろうな」
「それが固まって大きな怨霊にならなきゃいいけどね……」
「そんな予備軍が何十人も今までにも来るやないか。その後来なくなってどうなったかわからん人もおるし、何度も来て話したらスッキリして帰ってまた重い怨念抱えてきての繰り返し。どうにかならんかね」
2人はため息をつく。
「嫁姑問題って根深いなぁ。うちの母ちゃんもばあちゃんたちいた時大変でさぁ」
由貴は過去のことを思い出す。2人は幼馴染で母親同士も仲がいいのだ。
「そやな、最後の方は介護とかもしててうちの母さんのところきて愚痴ばかりしとったわ」
「虹雨のお母さんおらんかったら母ちゃんも限界やったわ、感謝してる」
「何を今更……じゃあ喫茶店に戻るか」
「おう」
2人も美帆子もいつもの悩める1人の女性であると認識していた。
他にもいくつかの悩める人々が訪れる。
その中の一つだと……。
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