第10話
ダニング伯爵家の天使とも呼ばれたキャスリンは、男を蕩けさせるような美貌を持った女性だった。褒められるのが大好きで惚れっぽい、恋人となった男など星の数ほど居るのは有名な話でもある。
星の数ほど男を相手にしていれば、そのうちに子供を孕むか、病気をもらうか、どちらになるかと専属の侍女たちはハラハラしていたそうなのだが、結果、キャスリンは一生治らないと言われる病気を患って帰ってきた。
初期に発見して薬を飲めば、症状は寛解する事は出来るけれど、薬を一生飲み続けなければ、やがて病が再発する事になる。
病が再発した状態で男との深い関係を結ぶ事にでもなれば、薬で抑えられていた病がその相手へと伝播する。
病が次々と伝播をすれば、薬を飲まずに放置し続けた人間からより一層、症状が悪化する事になる。
この病、プライベートスペースに激しい掻痒感をもたらす事になり、発疹はやがて膿を出し、激しい痛みを伴うようになる。この病は進行すると、首から上に症状が現れる。皮膚が腐り、鼻がもげ、最後には脳にまで病が侵食して死亡する。
早いうちに医師の診断を受けて治療を受ければ治る病気ではあるが、治ったと思っても一生薬は飲み続けなければならない。
「キャスリン嬢、貴女はアビントン侯爵家に嫁いできて、自暴自棄に陥ってしまったのかな?」
腐臭が漂うキャスリンの皮膚はすでに崩れかかっており、巻いた包帯の上まで緑色に近い液体が滲み出している。
侯爵家嫡男の妻であるキャスリンの部屋は、裏の物置へと移動され、産んだ子供の面倒をみる乳母のカリナが持ってくる食事で、なんとか飢えを凌いでいるような状態だった。
包帯を変える者は誰も居ないから、布団の上まで体から滲み出た液体で汚れ果てている。
「美を誇る兄のサイラスは君を慮ることも、身を挺して庇うことも一切行わなかっただろう?侯爵家では美しいが正義で、君はその見かけを気に入られた人形でしかない」
「・・・・」
「だけど君は兄のサイラスを愛していた。子供は兄サイラスの子であるし、兄と付き合うようになってから他の男に体を許すことなどなかった。だけど、嫁いできた夜に、初夜の床についたのが父だったから驚いたのかな?」
キャスリンの瞳から涙がこぼれ落ちていく。
「結婚式や披露宴で主役となった君に嫉妬をした母は、大切な初夜に兄を君の部屋へは送らなかった。結婚をして初めての夜を、母は息子と楽しいおしゃべりをする事で台無しにし、そのお陰で君は、義理の父と関係を持つことになってしまった」
美しいキャスリンをサイラスの妻として母は認めたが、若くて美しい息子の伴侶に対して醜い嫉妬が湧き上がったのは間違いようのない事実。意地悪をして一人、初夜の床で悲嘆にくれるよう差配したものの、まさか自分の夫がのこのこと出向いていようなどとは思いもしない。
「病を抑える薬を飲んでいる事を知り、脅迫してきた者もいただろう?そうして、使用人とも関係を結んだのだろう?一人と寝れば、二人も三人も同じこと。サイラスにとって、妻はただの装飾品でしかないから、君の変化などに気が付くはずもない。だから君は、薬を飲むのをやめたんだろうな」
誰もが振り向く美貌を捨てて、病で腐り果てる道を選んだのは間違いなく彼女だ。しかも目の前のこの女は、間違いなく侯爵家を道連れにして滅びようとしている。
「おね・・がい・・むすこ・・・お・・ねが・・・い・・・」
包帯の合間から覗く唇が動き、掠れた声で懇願する。
「だい・・じ・・むすこ・・お・・ね・・・」
キャスリンの産んだ赤子は漆黒の髪に漆黒の瞳で、保有魔力量が多いとこの色に変色しやすいのだ。顔立ちはサイラスに似ていると思うのに、髪と瞳の色で浮気相手の子供であると判断されたわけだ。
「俺の甥になるのだし、お前の息子は俺が面倒をみる。お前の息子の名前はなんなんだ?」
ほっとした様子で瞳を和ませる女を見下ろすと、女は首を小さく横に振った。
「名前は俺に任せるってことか?」
女は小さく頷いた。
「金を使って、お前の面倒をみる人間を雇っても良いのだが」
女は首を横に振った。
隙間風が入る物置に放置されて、最低限の世話も受けずに死んだとなれば、アビントン侯爵家だけでなく、ダニング伯爵の評判も地の底へと落ちるだろう。
美しい娘を散々自慢していた伯爵は、最後には死にゆく娘に助けの手を差し伸べる事をしなかった。娘が病におかされているのを知らなかったとは言わせない、アビントン侯爵家の惨状はすでに噂となって王都に流れている状態なのだから。
魔石は回収せずに、甥と乳母を連れて行く事にした。
女はほどなくして亡くなる事になるだろう。
「乳母とお前の息子を今日から俺の家に連れて行く、永遠の別れとなるが良いか?」
女は大きく頷くと、
「あ・・り・・・・とう」
瞳に笑みを浮かべて礼の言葉を言ったのだった。
この女が薬の服用をやめた為、生まれた子供には障害が残るかもしれない。だがしかし、女は腹の子よりも、侯爵家への復讐を選んだわけだ。
「ああ、お前は本当に兄上に良く似ているよ」
顔立ちは兄と同様、非常に整っているというのに、髪と瞳の色が理由で忌避されてその存在を認められないのだから、我が侯爵家のやり口はいつだって同じだ。
「俺がいるから大丈夫だぞ」
乳母に抱えられた甥の頭を撫でながら声をかけると、赤子は嬉しそうな声を上げた。
オルコット伯爵代理の裁判も進めているところだし、俺とアラべラを引き裂いた伯爵家と侯爵家の始末は済んだようなものだから、赤子を安全な所に預けたら、すぐにアラベラを迎えに行こう。
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