第9話

 つぎに父の部屋を訪れると、父は領地から送られてきた陳情書に目を通しながら、枕を背にして座っていた。


「アティカス、そろそろ来る頃だと思っていたよ」


 俺はすでにアビントン侯爵邸を出て、住まいは別の場所に移している。


「アビントン侯爵家はアティカス、お前に継がせる。継承の手続きをそろそろ始めようと思う。お前はこの屋敷に戻り、侯爵家当主としての役割を全うせよ」


「はあ?なんで?」


 父は訝しむように俺を見つめる。

 包帯を顔に巻きつけられていても、強い意思を持ったヘーゼルの瞳が俺をじっと見つめた。


「アビントン侯爵家は嫡男であるサイラスが継ぎ、次男である俺はオルコット伯爵家に婿入りすると言ったのは父上ではありませんか?」


「状況が変わったのだ」

「状況が変わった?」


 ハッ、思わず笑っちゃうよ。


「どう状況が変わったと?兄上はキャスリン・ダウニングを娶り、俺はオルコット伯爵へ婿入りし、アビントン侯爵家は二つの伯爵家と太い繋がりを持つんでしょう?俺には男関係が派手でふしだらな令嬢であると噂されるアラベラとの婚約を破棄させ、様々な男と浮名を流して病持ちとして有名なキャスリンを侯爵夫人として受け入れた。その先に起こる状況なんて、想定以内のことばかりじゃないですか?」


 枕を背にする父の方へと一歩一歩近づきながら、今まで偉そうにふんぞりかえっていた侯爵家の当主を見下ろした。


「侯爵家が本気を出して調べれば、キャスリン嬢がどれだけ問題がある令嬢だったのかという事はすぐに知る事が出来たでしょう。ダニング伯爵に金をチラつかされたんですか?それとも天使のように清純に見えるキャスリンの容姿に騙されたんですか?貴方たちは人を容姿でしか判断しないから、見かけが美しいキャスリンなら何の問題もないと思い込んだんですかね?」


 ベッドサイドに腰をかけ、父の瞳を覗き込みながら俺は話を続けた。


「息子の妻の味はどうでしたか?相手は妊婦ですよね?つくづく反吐が出ますよ。それにね、アビントン侯爵家がダニング伯爵家から性病持ちの娘を迎え入れて、家族全員が感染したなんて話は社交界ではすでに広まっているんですよ?なんで侯爵と侯爵夫人まで感染したんですかね?例えば息子だけだったなら、または使用人が感染したというのならまだ話はわかるけれど、何故、当主と夫人まで感染することになったのかとね?みなさん疑問に思っている訳ですよ」


 父の手がシーツを握り込み、ブルブルと小刻みに震え出す。


「事業に失敗して多額の借金を抱えている時点でアビントン侯爵家の威光など消失したも同じ事だというのに、今回のこれはどうにもなりません。我が家はキャスリン嬢を迎え入れるのと同時に、権威なんてものは失墜しているのですよ」


 ダニング伯爵家は娘の素行に問題はあるものの、王国でも五本の指に数えられる程の財産家でもある。キャスリンが侯爵家に嫁ぐ際には、巨額の金が動いているというのは誰もが知っているネタだ。


「ここまで権威を失墜させ、遂には没落にまで導くというのだから、キャスリンは一種の才能持ちとも言えるでしょう。陛下とも話をしたのですが、事が事だけに、アビントン家は当主の死亡と共に爵位は返上、領地も王家へ返す形とすると宣言するそうです」


 一通の封蝋が施された手紙を父の前へと差し出した。


「僕はアラベラと結婚しオルコット伯爵家を引き継ぐことになるので、アビントン侯爵家はこれで終わりです。駒として扱った息子は、父上の思う通りに駒としてオルコット家へと行きますので、後は父上のお好きなように差配されたら良い」


 震える手で手紙を手に取る父を横目に見ながら魔石を回収すると、

「最後まで、美しき家族に囲まれながら人生を全うなさってくださいませ。それでは黴と言われ続けた息子は失礼させて頂きます。さようなら、父上」

そう言いながら俺は父の部屋を後にしたのだった。

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