第8話
ここまで来るのに思いの外、時間がかかったように思うけれど。
愉快だ、ああ愉快すぎる。
俺はこの時の為に、錬金術師となったのだな。
「ああ、アティカス様、侯爵邸には入らない方がよろしいかと思います!」
屋敷から飛び出して来た家令が馬車から降りてきた俺に対して、顔を真っ赤にしたり、真っ青にしながら、額に浮き出た汗をハンカチで拭っている。
「お屋敷の中では現在、原因不明の病が蔓延しておりまして」
「お前はどうなの?体は大丈夫?」
「私はなんともないのです」
家令は挙動不審となりながら言い出した。
「ですが、旦那様や奥様、サイラス様やキャスリン様は症状が重く、また、若い使用人の中にも同様の病状の者が数名出ているような状況でして」
「顔にまで症状が出ているらしいよね?」
「そうなのです。お医者様が言うには顔まで出たらもう、治る見込みはないとのことでして」
兄サイラスの妻となったキャスリンは性病持ちだった。
産んだ子供はサイラスの子供ではなく、しかも、侯爵邸内に病を撒き散らしたとあって針の筵となっているらしい。
「つまりは、キャスリンを媒介としてキャスリンの伴侶である兄も、息子の妻であるキャスリンに手を出した父も、そしてその父と交渉を持った母も感染したというわけだろ?」
「は・・・い・・・」
「病気を発症した使用人というのも、キャスリンと交渉を持ったと疑われるような奴らだっただろう?という事は、キャスリンに指先一つ触れていないお前や、俺なんかが病気に怯えることなど一つもないという事だよ」
「そ・・そう・・そうなのかもしれないですが・・・」
「わかったのなら、俺の邪魔はするな」
勝手知ったる侯爵家の屋敷だが、中に一歩入ってみれば澱んだように空気が沈んでいて、死臭すら漂っているような気がしてしまう。
若いだけあって進行が早いらしく、兄の顔は爛れて鼻の先の肉すら溶けてしまっている。言葉も満足に発する事すら出来ないようだが、部屋に入ると、兄は俺に対して憎々しげに睨みつけてくる気力だけはあったようだ。
「神が作りたもうた奇跡の美を誇る兄さんでも、病気に罹れば万人と同じように崩れ、衰えて腐り落ちるしか道はない」
兄の部屋は俺の部屋の二倍の広さはあり、彫琢も高価なもので揃えられている。
ベッド脇に置かれた小卓の引き出しから小さな石を取り出して手に取り、窓から差し込む光にあてて、その効力のほどを確かめる。
「毒を与えた後、その進行を秘密裏に進める魔法陣を作って欲しい」
そう言い出したのはこの国の宰相だったけど、彼は一体その魔法陣を何に使おうとしていたのだろうか?
頼まれた内容は国王に告げ口をしたから宰相も黙り込んだけど、秘密裏に進行させる、対象だけ時間を急速に進めていくという時間操作については興味があったため、研究を進めていたわけだ。
今回、魔石に施したのは、対象者の病気の進行を進めていく呪術刻印であり、兄夫婦と両親に対して実験を行ったところ、年齢によって進行の差が生じるという事が判明した。
「俺はね、男娼のような真似はやめた方がいいと何度も言ったよね?キャスリンとの結婚も反対しましたよね?だけど、俺がアラベラと結婚できないのを不満に思っているだけだからと一蹴して、相手にするのも馬鹿馬鹿しいと話を聞かなかったのは兄上、貴方自身なのですから、仕方がないと思うのですよ」
そう言って魔石を持って来た箱に納めると、母の部屋へと移動した。
母はまだ元気なようで、侍女を相手にヒステリックに叫んでいたが、魔石を回収がてら、
「あなたは自分が何故、そんな病を患うことになったのか、今でも理解していないのですか?」
と、問いかけて、どうして自分が顔が腐り落ちるほどの病に罹ったのかを説明してやることにした。
元々病気持ちだったキャスリンに手を出したのは父であり、父に移った病は、その歳となってからも父と交渉を続けている母へとうつることになった。顔まで病が移動すれば絶対に助かる事はない、腐り落ちて死ぬのを待つしかないと告げると、母は、ポロポロと涙を流し始めた。
自分の夫が息子の妻、しかも妊婦相手に手を出したのだ。
衝撃は相当のものになったのだろう。
「美醜のみで判断されるから、こんな事になるのでしょうけれどね」
俺は、頬の肉まで腐りかかった母の顔を鏡に写しながら、
「醜いものを散々馬鹿にして、地味であり、醜いという思い込みだけで人を人として扱いもしなかった貴女が、人とも思えぬ容姿にまで変貌しているのですから、心の奥底から笑えますよ。こんな風貌にさせた愛する夫への恨む気持ちは、より大きなものとなるでしょうね?」
と、問うと、狂ったように叫び出したのだった。
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