第81話 炎と永遠 2
裏口には荷馬車が止まっていた。
荷台には『アンゲラー酒店』と書かれていた。
「どうかお気おつけて」
ルイーザが心配そうに胸の前で両手を組んでいる。
エルンストは自信に満ちた笑顔を向けて頷くと、勢いよく馬の背を鞭で叩いた。
夕暮れの中、ゆっくりと門へと進む。そこにも兵士の姿がある。
エルンストはハンチングを目深に被る。
「止まれ」
兵士は馬車の前で両手を広げ、進路をふさいだ。
ゴクリと唾を飲み込む。指先が冷たくなる。
言葉を交わせば声でばれてしまうだろう。その時は、兵士を殺すまで。
何の罪もない人間を手にかけるのは気が引けるが、運が悪かったと思え。フィーアのためならば、俺は味方を殺すことさえいとわない。
エルンストはハンチングのつば先から兵士を盗み見た。
階級も低く、真新しい軍服。
兵士になりたてではないか。
俺に声を掛けないでくれ。お前を殺したくない。
兵士は荷台の文字を読むと、「さっきの酒屋か。通っていいぞ」とあっさり通してくれた。
ほっと胸を撫でおろすと、無言で会釈をし屋敷を後にしたのだった。
*
城下町に入ると探していた酒屋はすぐに見つかった。
かなり手広く商売をしているようだ。
店の主人、ギルベルトの父親は快くエルンストを迎えてくれた。どうやら事情を知っているらしい。
ルイーザの機転に感謝するエルンストだ。
「今夜は我が家でお過ごしください」
「ああ、世話になる」
「どうぞ、こちらへ」
勧められた椅子に座った。
エルンストの前には赤い液体が入ったグラスが置かれた。
「エルンスト様のお屋敷にお届けしているワインより、味は数段落ちますがね。私ら平民は高級ワインは取り扱うのがせいぜいで、口に入れることは出来ません」
アンゲラーはグラスを口へと運ぶ。
エルンストも一口飲んで、すぐにグラスをテーブルに戻した。
「やはりお口に合いませんか」
アンゲラーは笑った。
するとアンゲラーの妻らしき女性がエルンストの前に夕食の皿を置いた。
パンにスープ。それに僅かな肉。
その質素さにエルンストは驚いた。
店構えを見るとかなりの商家のはずだ。それなのに、何故こんなに質素な食事なのだ?
「あなた様にのお口には合わないでしょうが、これしか無いのですよ」
アンゲラー夫人は料理を配膳すると姿を消した。
「平民の生活はこんなものです」
アンゲラーは呟く。
「ありがたく頂こう」
肩身が狭いのは何故だろう。
平民を見下しているつもりは無かったし、貴族が特権階級とも思っていなかった。
下の人間に労を強要し、上の人間が搾取する。そんな社会構造に慣れていた。このいびつな関係に疑問など持たなかった。
これこそが貴族の特権意識だったのだ。
自分の地位は勝ち取ったものではなく、与えらたものだ。
そして自分は今、平民に助けられようとしている。
「私はあなたに皮肉や嫌味を言うつもりはないんですよ。言ったところで何も変わらない。我々の先祖の代から。ただ貴族の豪華な暮らしの陰には平民の苦しみがあることを知って欲しいのもです」
エルンストはアンゲラーの話に耳を傾けた。
「このところ、私たちの生活はますます悪くなっています。物乞いも増えました。皇帝の贅沢と、貴族の宮廷闘争とやらだと噂されていますが、私たちに関係のないところで被害を受けるのは、ごめんこうむりたいものです。だれが宰相だろうが、大臣だろうが、世の中が安定していれば、我々にはどうでもいいことなのです」
「もっともだな」
平民には貴族の権力争いなど迷惑なだけだ。口も出せないし、改革する権利すらない。
最近のゲオルグの悪政。平民の不満。側室一族の権利独占に対する貴族の不満。
「このままでは、我々平民も立ち上がりますぞ」
あちらこちらの小さな火種は、大きくなりつつある。
この国の未来は内戦しかない。
専制君主制は善政をしいていればいいが、そうでなくなった時、一気に破綻する。
皇帝ゲオルグは我が主君にあたわず。
エルンストは強く決意を新たにしたのだった。
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